梅村学人 経歴

梅村学人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 07:56 UTC 版)

経歴

小学生時代はソフトボール部に所属、紀勢町立錦中学校に入学後軟式野球を始め、三重高校進学後硬式野球部に入部、1年秋からベンチ入りする。3年時にはエースとして第88回全国高等学校野球選手権大会に出場。三重大会では40回1/3を投げて59奪三振を記録[1]、プロのスカウトも注目する投手のうちの1人だった。

しかし、初戦の熊本工業高校戦では制球が定まらず2回までに5失点と自滅、3回以降は立ち直ったものの8回を投げ5被安打ながら計9四死球を与え6失点。味方打線も15安打を放ちながら11残塁で4点しか奪えず、6-4で早々に敗退してしまった。

その後、秋に行われた2006年度高校生ドラフトでオリックス・バファローズから3巡目指名を受け入団。

2007年は首脳陣の「基礎を固めさせる」意向からかウエスタン・リーグでは1試合の登板にとどまった。2008年は二軍で8試合に登板するも、10回1/3を投げて12四球、4暴投と制球力の悪さを露呈した。

2009年は二軍での登板機会も2試合に留まり、結局一度も一軍に昇格出来ないまま10月3日に球団より戦力外通告を受けて、プロ野球選手を引退した[1]

現役引退後は公務員として働いている[2]。高校時代の同級生に歌手の西野カナがいる。

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 59 (2007年 - 2009年)

脚注

関連項目

外部リンク


  1. ^ a b 短い夢に未練なし…オリックス右腕、今度は「地方公務員に」”. スポーツニッポン (2009年12月2日). 2021年8月8日閲覧。
  2. ^ 元プロ野球選手4人が指導 三重・明和町で初イベント 小学生球児ら85人が参加”. 夕刊三重電子版 (2023年8月30日). 2023年8月30日閲覧。


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