東方三博士の礼拝 (レオナルド) 作品と関係している他の画家

東方三博士の礼拝 (レオナルド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 21:46 UTC 版)

作品と関係している他の画家

レオナルド・ダ・ヴィンチ『東方三博士の礼拝』修復以前

1481年において本作が未完成の状態であったため、依頼はフィリッピーノ・リッピに引き継がれた。レオナルドの作品の代わりとして、フィリッピーノは1496年に完成した別の『東方三博士の礼拝』を描いたが、この作品は、現在、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている。

ドメニコ・ギルランダイオは、1488年にレオナルドの主題を発展させて、別の作品を完成させた。

修復

2002年、カリフォルニア大学サンディエゴ校の芸術診断学科の卒業生であり、フィレンツェ出身のマウリツィオ・セラチーニ英語版博士は、作品を損傷することなく修復できるかどうか判断するためにウフィツィ美術館から絵画表面の調査を依頼された。1977年に設立された、フィレンツェを拠点とし、「文化遺産の診断」を専門とする会社「エディテック」を率いるセラチーニは、高解像度のデジタル・スキャンとサーモグラフィー超音波紫外線赤外線による診断技術を駆使して、作品を細部まで徹底的に調査した。そして、作品を損傷することなく修復することはできず、レオナルドは下絵を描いただけであり、下絵上の現存する絵具層は、他の画家ないし画家たちによるものだと結論づけたのである。診断調査の一環として、セラチーニは、下絵の詳細な赤外線写真を2,400枚以上撮影し、科学的分析を完了した[3]。セラチーニが使用した診断技術によって明らかにされた新しい図像は、ニューヨーク・タイムズの記者メリンダ・ヘンネバーガーとのインタビューで2002年に最初に公開された[4]。2005年、調査がほぼ終わりかけていた時期に、セラチーニはもう一度インタビューを受けた。今度の相手は、ガーディアンの記者ジョン・フーパーであった[5]。セラチーニは、2006年に調査結果を発表したが、それは、M. セラチーニ著、『レオナルドの心理ー創造における普遍的な天才』(P. ガウルッツィ編集の展覧会カタログ、ジュンティ・フローレンス、2006年)の94〜101ページにある「レオナルド・ダ・ヴィンチによる『東方三博士の礼拝』に関する診断調査」[6] である。

スミソニアン・チャンネルのテレビ番組、『ダ・ヴィンチ探偵、セラチーニ』は、一つの推測をした。サン・ドナート・ア・スコぺート教会が、依頼した祭壇画の準備素描を見て、その提示されたセンセーショナルな構図のために作品を拒否したというものである。教会側は、東方の三博士を含む伝統的な解釈を全面的に期待していたにもかかわらず、代わりに幼子イエスを取り巻く無関係の、やせ衰えた人物の渦巻くような群像と、背景の本格的な戦闘場面を提示されることになった。教会は、レオナルドの作品を破壊せずに倉庫に置いておくことにした。ずっと後になって、レオナルドの芸術作品の価値が高く評価されるようになった関係で、おそらく絵画をより「売却可能」にするために、未知の人物により絵画は手を入れられ、絵具を塗られた。この板絵の手直しによりレオナルドの本来の構想は変更されてしまった。

ウフィツィ美術館は近年、6年間にわたる作品の修復を完了した。何世紀にもわたる汚れや古いニスが除去され、完全に洗浄されている。その結果、レオナルドの木炭による輪郭線が明瞭になっている、信じがたく明るい作品が誕生した[7]。板地も修復され、今後ずっと作品の安定性は保証されている。

ナショナル・ジオグラフィック』誌による絵画修復の報道は、以下のコメントを提供している[8]

「レオナルドの『東方の三博士の礼拝』は、汚れや黒く変色したニスの下に長い間隠されていた、色彩、筆致および図像を明らかにしている。 1481年に委嘱された未完成作品は、制作中に施した修正を含む、画家の思考プロセスも証立てている。」

関連作品


  1. ^ http://www.lascarpublishing.com/leonardo/
  2. ^ V. Schmidt (ed), Italy and the Low Countries: artistic relations: the fifteenth century (Florence, 1999), pp. 49–51
  3. ^ full presentation Archived September 28, 2007, at the Wayback Machine. by Florence.tv that shows Leonardo's underdrawing discovered by Seracini.
  4. ^ Leonardo Adoration of the Magi – Times Article”. Library.thinkquest.org (2002年4月21日). 2012年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月17日閲覧。
  5. ^ John Hooper in Rome (2005年9月20日). “report”. London: Guardian. https://www.theguardian.com/arts/news/story/0,11711,1573915,00.html 2013年7月17日閲覧。 
  6. ^ Structural Engineering, University of California San Diego”. Structures.ucsd.edu. 2013年7月17日閲覧。
  7. ^ image of the restored painting, National Geographic, 2019.05.01 (scroll down through the article)
  8. ^ Why Leonardo da Vinci’s brilliance endures, 500 years after his death”. National Geographic (2019年5月1日). 2019年11月29日閲覧。


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