平手勘次郎 平手勘次郎の概要

平手勘次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 02:42 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

経歴

宮崎県出身[1][注 1]。1901年(明治34年)12月、一等計手に任官し教育総監部付となる[1]。1904年(明治37年)9月、三等主計に任官し会計監督部付となる[1]第13師団糧食部員を経て、1907年(明治40年)3月、陸軍経理学校を卒業し第1師団経理部員に就任[1]。同年12月、二等主計に進み、1908年(明治41年)9月、関東都督府副官部勤務となる[1]。1910年(明治43年)11月、一等主計に昇進し関東倉庫付となる[1]。1911年(明治44年)6月から1912年(明治45年)5月まで経理学校学生となる。1912年(大正元年)12月、会計監督部付となり、陸軍省経理局課員、青島守備軍司令部付を経て、1918年(大正7年)6月、三等主計正に進級し東京経理部員に就任した[1]。1919年(大正8年)12月、経理学校教官に転じ、1922年(大正11年)4月、二等主計正に昇進し陸軍糧秣本廠員となる[1]

1923年(大正12年)10月、陸軍造兵廠火工廠会計課長に就任[1]。1924年(大正13年)12月、一等主計正に進み[3]糧秣本廠員となる[1]。1926年(大正15年)3月、第5師団経理部長に転じ、第3師団経理部長、第4師団経理部長を歴任し、1930年(昭和5年)8月、主計監に進級[1][2][3]。1933年(昭和8年)8月、近衛師団経理部長に就任し、1934年(昭和9年)6月、経理学校長に転じた[1][2][3]。同年8月、主計総監に進み経理局長に就任[1][2][3]。同年8月から1935年(昭和10年)3月まで経理学校長を兼務した[3]。1937年(昭和12年)2月15日、陸軍武官官等表の改正により陸軍主計中将となる[4]。同年8月、陸軍技術本部付となり、同月、予備役に編入された[1][2][3]

栄典

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

注釈

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』617頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』517頁では埼玉。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本陸海軍総合事典』第2版、133-134頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』617頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』517頁。
  4. ^ 昭和12年2月12日勅令第12号。『官報』第3032号、昭和12年2月13日。
  5. ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。


「平手勘次郎」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平手勘次郎」の関連用語

平手勘次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平手勘次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの平手勘次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS