山部善次郎
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山部 善次郎(やまべ ぜんじろう、1954年9月25日 - )は福岡県出身の音楽家。通称・山善(YAMAZENとも表記)。本名の山部 洋之名義で活動していたこともある。「博多の爆発男」「ダイナマイト男」「和製ジョン・リー・フッカー」と呼ばれる[3]。博多・めんたいロックの核を担う存在と目されている[4]。
- ^ 「三叉路の交差点」2014年09月13日 14:30
- ^ a b c d e “Facebook”. www.facebook.com. 2023年10月4日閲覧。
- ^ 『インパクション』47号(インパクト出版会、1987年5月25日)p.127、本田ふぢを「山部善次郎」
- ^ “LinQ発の派生ユニット“SRAM” 初の全国流通版となる3rdシングルを6月9日に発売! | OKMusic”. okmusic.jp (2015年3月9日). 2023年10月4日閲覧。
- ^ a b “博多ロック編<197>那珂川を渡って”. 西日本新聞me. 2023年10月4日閲覧。
- ^ a b MARU『博多とロック 12人のミュージシャンに見るロックな生き方』p.190(書肆侃侃房、2006年)
- ^ オフィシャルサイトの「山善伝説覚書」では事故に遭ったのを1968年としているが、MARU『博多とロック 12人のミュージシャンに見るロックな生き方』p.190(書肆侃侃房、2006年)には1970年とある。また、公式サイトでは1969年と回想したこともある([1])。
- ^ この事故の話は中島らもが「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」の中で山善の名前を出さぬまま紹介している。
- ^ MARU『博多とロック 12人のミュージシャンに見るロックな生き方』p.190-191(書肆侃侃房、2006年)
- ^ 博多ロック編<198>サンハウスと山善 - 西日本新聞
- ^ MARU『博多とロック 12人のミュージシャンに見るロックな生き方』p.195(書肆侃侃房、2006年)
- ^ MARU『博多とロック 12人のミュージシャンに見るロックな生き方』p.196(書肆侃侃房、2006年)
- ^ 博多ロック編<199>ブルースと絵画 - 西日本新聞
- ^ MARU『博多とロック 12人のミュージシャンに見るロックな生き方』p.199(書肆侃侃房、2006年)
- ^ “国立国会図書館データ”. 2023年5月25日閲覧。
- ^ 『SIDE:FREAK サイド・フリーク』vol.1「ヤマゼン・インタビュー…左目と鼻がないロックンローラー・山部善次郎の半生に迫る」(三才ブックス、2004年)
- ^ 「6600ボルトの男」 Archived 2007年12月19日, at the Wayback Machine.
- ^ “博多ロック編<233>総合芸術への道”. 西日本新聞me. 2023年10月4日閲覧。
- ^ “6600ボルト (2015):作品情報|シネマトゥデイ”. シネマトゥデイ. 2023年10月4日閲覧。
- 1 山部善次郎とは
- 2 山部善次郎の概要
- 3 映画出演
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