女子プロレス 歴史

女子プロレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 23:25 UTC 版)

歴史

アメリカ合衆国

アメリカでは、すでに1900年代初頭には女性プロレスラーが存在し、男性プロレスラーによる興行の中で試合を行っていたと言われているが詳細な記録は残されていない。記録が残されていないのは男子と比べショー的な部分が大きかったことからとされる[1]。なお、記録が残っている最初の王者は1905年に16歳でデビューしたコーラ・リヴィングストン。20世紀初頭に活動したが、試合写真はほとんど残っておらず、対戦相手がどんな人物であったのかなどの確認はできない[1]

1930年に入るとクララ・モーテンソンが台頭し、彼女に勝って王者になるのがミルドレッド・パークである[2]。アメリカの一般的な女子プロレスの歴史はパークと入れ替わるように出てきたファビュラス・ムーアメイ・ヤングの時期から認識されている[2]。この時代は絶対的な人数が少ないこともあり、1興行に1カード組まれればよく、ひとりのスターと対戦相手(防衛戦の相手)しか必要がない時代であったとライターの斎藤文彦は叙述している[2]。アメリカでのこの体制は長らく続くが、1990年代にブル中野アランドラ・ブレイズが日本から"輸入"されることで崩れていく[2]

日本

日本においての女子プロレスの歴史は、1948年2月に東京都三鷹市の小さな道場にて進駐軍相手の興行としてスタートし、歴史的には力道山がプロレスを始めるよりも前に存在していた。

ただし、当時の女子プロレスの主な試合会場は芝居小屋、キャバレーストリップ劇場などで、試合も対戦相手のガーター(下着)を奪い合う(ガーターマッチ)と言ったお色気を強調したものであり、現在開催されている女子プロレスとはかなり違うため(現在に当てはめるとキャットファイトに近い)、これをプロレスと呼ぶべきかは意見の分かれる所である。

なお、上記を女子プロレスと定義した場合は、日本人最初の女子プロレスラーはパン猪狩ショパン猪狩の妹である猪狩定子だと言われている(猪狩定子は全日本女子プロレスの記念興行で「日本人最初の女子プロレスラー」とされることから女子プロレスの殿堂入りとして表彰されている)。

この様な形で始まった日本の女子プロレスだが、力道山の「プロレスは女にできるものではない」という意向で圧力がかかり[3]、1950年に警視庁から禁止令を出されて一時姿を消した後の1954年11月19日、在日米軍慰問のために訪れた世界チャンピオンのミルドレッド・バークメイ・ヤングら当時の全米トップ選手を招き蔵前国技館を始めとした大会場にて興行を行い、満員の観衆を集め大反響を得たため、それまでのお色気を強調したものから現在のプロレスに近い形が出来上がっていくことになる[4]。1955年9月10日と11日、両国メモリアルホールで「全日本女子プロレスリング王座決定トーナメント」が開催されて、猪狩定子&田山勝美組が女子タッグ初代王者となった。また記録映画として『赤い激斗』が制作された。

これを機にいくつもの女子プロレス団体が乱立したものの、これらは日本女子プロレスにまとめられ、最終的には現在の興行形態を作った全日本女子プロレスが女子プロレス団体として勝ち残り、1970年代後半にビューティ・ペアの登場により女性ファンの人気を集めブームとなり、80年代以降もクラッシュ・ギャルズなどのスター選手は女性人気を得ることとなった。

1990年代に入りユニバーサル・プロレスリングW★INGプロモーションと業務提携を結んだ全女が提供試合をしたことで男性ファンからそれまでとは異なるファン層から注目を集め、FMW女子部と全女の対抗戦が契機となり、全女を中心に団体対抗戦が横浜アリーナなどの大会場で行われるほどの人気を得た。団体対抗戦は総じて負傷必至の消耗戦であり「勝っても負けても良い試合をして次の試合につなげる」というプロレスの鉄則を破るものであった[5]。しかしながら、この対抗戦の乱発によってクラッシュ・ギャルズ以来の女子プロレスブームが起こり女子プロレス単体でゲームソフトが発売されるほどだった。

しかしながら、1994年の全女主催の東京ドーム興行「憧夢超女大戦」の興行的失敗により女子プロレスの人気に陰りが見え始め[6]、97年10月には、全女で手形不渡りが発生するなど経営が傾き、経営不安などからトップレスラーが独立するなどして、プロレス団体の細分化が始まる。

2000年代以降も細分化が進み、求心力を失った全日本女子プロレスが2005年に解散するなど、女子プロレスは低迷期を迎え、東京スポーツ制定の「プロレス大賞」の「女子プロレス大賞」が2004年から5年連続該当者なしとなり、後楽園ホールでの大会がビックマッチとなる団体も多かった。

2010年以降、細分化の末に赤井沙希愛川ゆず季など芸能界からの参入が増え、女優として活動する人物を中心とした団体のActwres girl'Zが旗揚げされるなど、芸能界からの女子プロレス参入が増加した。また、WRESTLE-1などの男女混合団体も増加し、DDTプロレスリング傘下として東京女子プロレスが誕生するなど、男子プロレスとの結びつきが強まり、多くの団体で男子の試合やミックスファイトを興行に組み入れることが増えた。

2015年、華名WWEと契約。1994年のブル中野以来の日本人女子のWWE入りを果たす。それ以降も宝城カイリ紫雷イオなど、多くの日本人選手がWWEと契約し、さらには来日していた外国人選手がWWEに移籍するケースが増えるなど、アメリカから日本の女子プロレスが認められた格好となる。

2016年12月29日、長与がホストとなり、さいたまスーパーアリーナで「レジェンド女子プロレス〜ファイティングガールズ〜」を開催[7]。試合は2017年2月3日にフジテレビで放送され、2004年の「ダリアンガールズ」以来のフジテレビでの放送が実現した[8]

2019年、スターダムブシロード傘下となり、日本最大手の団体である新日本プロレスと同系列となった[9]。その後、地方ローカルながらも地上波で試合中継が放送されるようになり、大田区総合体育館両国国技館などといった大会場での大会を数多く開催し、2022年には団体毎の年間観客動員数で男子を含めて国内2位となった[10]

諸外国

アメリカでは以前にはGLOW、POWW、LPWAの女子プロレス団体も存在し、現在もPGWAWEWSWAWSUのような女子のみの団体が存在している。

北米では女子プロレスの俗称として「Chick Fight」と呼ばれているが近年では日本の女子プロレスが評価されて「Joshipuro」と呼ばれるようにもなった[11]。アメリカのインディー団体の1つであるACWでは女子部を「American Joshi」としている。

全米最大手のWWEでは2000年代までディーヴァと呼ばれ、あくまで男子レスラーのサポートといった立ち位置の選手が多かったが、JBエンジェルスやブル中野を観た新世代の加入、日本育ちの選手の加入などにより2016年以降は王座名を変更するなどウェイメンズ・ディビジョンと呼ばれ男子と同じ扱いとなっている[2]。また2022年時点のパフォーマンスセンター練習生数、NXTブランドの所属選手も半数は女子選手となっている[12]。2019年にはレッスルマニアのメインイベントがロンダ・ラウジーシャーロット・フレアーベッキー・リンチのトリプルスレッドマッチで行われ、初めて女子の試合がメインイベントとなった[13][12]

メキシコにもLLFやWWS、イギリスにもプロレスリングEVEのような女子プロレス団体が存在しているが、どちらもスタジオマッチや常打ち会場等での興行が主であり日本のような全国を回るような興行形態では無い。


  1. ^ a b 斎藤文彦、プチ鹿島『プロレス社会学のススメ』(2021年、発行:ホーム社、発売:集英社)130‐131頁
  2. ^ a b c d e 斎藤文彦、プチ鹿島『プロレス社会学のススメ』(2021年、発行:ホーム社、発売:集英社)132‐133頁
  3. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)21ページ
  4. ^ 『女子プロレス事件File2』P45
  5. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)44ページ
  6. ^ 女子プロレスの人気低迷 引き金となった東京ドーム大会”. エキサイトニュース. 2023年3月7日閲覧。
  7. ^ RIZIN榊原代表が女子プロレス界に「情熱持ってやってみろ!(たまアリ)埋めれんの」と苦言”. バトル・ニュース (2016年12月31日). 2016年12月31日閲覧。
  8. ^ レジェンド女子プロレス~ファイティングガールズ~”. フジテレビ (2017年2月3日). 2017年2月4日閲覧。
  9. ^ スターダムがブシロード傘下に。オーナーの狙い、新日本との関係は?(橋本宗洋)”. Number Web - ナンバー. 2022年11月29日閲覧。
  10. ^ スターダムが同団体最多の年間8万4060人動員!23年4月には横浜アリーナ初進出!/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2023年3月7日閲覧。
  11. ^ 女子11選手が米国で「joshi」見せる 日刊スポーツ 2011年11月16日 [リンク切れ]
  12. ^ a b 斎藤文彦、プチ鹿島『プロレス社会学のススメ』(2021年、発行:ホーム社、発売:集英社)147‐152頁
  13. ^ もはやプロレスに男女の差はない!レッスルマニアで起きたビッグバン。(堀江ガンツ)”. Number Web - ナンバー. 2022年11月29日閲覧。
  14. ^ 異色過ぎる声優プロレスラー・清水愛、デビュー前から現在までを語る!【インタビュー前編】”. 2023年9月3日閲覧。
  15. ^ 「週刊文春」編集部. “フワちゃんが卍固め…業界賛否両論「たった5カ月でのプロレスデビュー」で見せた“本気の顔”《写真多数》”. 文春オンライン. 2023年4月21日閲覧。
  16. ^ プロレスラー井上貴子さん ヘアヌード写真集6冊のお金で乳がんの母親に家をプレゼント|役者・芸人 貧乏物語”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2023年5月14日閲覧。
  17. ^ 北斗晶 現役時代の給料事情告白 「300万やそこらじゃない」A3封筒がパンパンになったレスラーとは - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年5月14日閲覧。
  18. ^ 長与千種 報酬も別格!引退時の功労金は「おうちが建つかな」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年5月14日閲覧。
  19. ^ ベースボールマガジン社「週刊プロレス」No.1890 2017年2月22日号、38頁
  20. ^ 凄い活気!女子プロ「スターダム」大躍進のウラ側”. 東洋経済オンライン (2022年7月23日). 2022年11月29日閲覧。
  21. ^ 女子プロレスラーの月収は…「最高だったら300(万円)」 かまいたち驚く/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2023年8月9日). 2023年8月9日閲覧。
  22. ^ ブル中野「3分100万円」 米女子プロレスの驚きのギャラ明かす - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年5月14日閲覧。
  23. ^ Raghuwanshi, Mohit (2023年1月3日). “WWE Superstar Salary 2023: How Much Do WWE Wrestlers Make?” (英語). www.itnwwe.com. 2023年3月28日閲覧。





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