国鉄165系電車 形式

国鉄165系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/18 06:54 UTC 版)

形式

等級は製造開始時に準拠する。

165系の形式

クモハ165形
モハ164形とユニットを組む定員76名の2等制御電動車 (Mc) で、主制御器・主抵抗器を搭載。勾配線区で使用される特質上電動車比を高める必要から、基幹形式の一つとして1963年から1970年にかけて、0番台1 - 141と信越本線横川 - 軽井沢間でEF63形との協調運転試作車900番台901 - 904の計145両が製造された。
451系・471系では電動車ユニットを両方向に使用可能としたため両渡り構造としたが、本系列では奇数向き東海道本線基準で上り東京方)に固定を原則としたことから片渡り構造を採用した。
外観上は、主電動機冷却風の取り入れのため前部出入台(デッキ)屋根上部に設けられた大型の通風器や床下艤装の関係で他車の700リットルに対して本形式およびモハ165形は枕木と平行に設置された550リットルの水タンクが特徴である。
1 - 122が非冷房、900番台がAU12形分散式冷房装置搭載準備車、123 - 125がAU13E形搭載冷房準備車、126 - 141はAU13E形5基搭載の新製冷房車として落成した。新前橋区所属の先行冷房改造試作車[注 16]と900番台はAU12S形6基搭載で冷房化された[注 17]
クモハ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 1・20 - 30
42 - 50
2・3
13 - 19・39
4 - 12
37・38
31 - 36・40
41・51 - 57
 
1964 65 - 68 58 - 60 61 - 64  
1965 69・70
83 - 94
71 - 74
95 - 104
75 - 82  
1966   105・106 110   107 - 109  
1967 118 - 122   111 - 115
901 - 904
  116・117 901 - 904
冷房準備車[注 17]
1968   123 - 125   冷房準備車[注 18]
1969   126 - 129   130 - 138   新造冷房車[注 19]
1970   139 - 141  
モハ165-1
モハ165形
モハ164形とユニットを組む2等中間電動車 (M) で定員84名。165系ではクモハ+モハのユニットが主流となったことから、需要は小さく21両のみ製造された。
1 - 17は非冷房で1963年 - 1966年に落成し、モハ164形800番台とユニットを組成し波動輸送に充当された。
18 - 21はAU13形6基搭載の新製冷房車として1969年に落成、モハ164形0番台とユニットを組成し山陽本線急行「とも」「鷲羽」増発に充当された。非冷房車も後にAU13形分散式冷房装置6基を搭載する改造工事を施工された。
1963年製造車は新前橋配置後に三鷹→田町を経て1975年には神領区へ、1965年製造車は宮原電車区配置[注 20]の後に大垣区と神領区へ、1966年製造車は岡山電車区配置を経て1972年には大垣区へ、1969年製造車は宮原区配置を経て1973年ならびに1975年に神領区へ転出したが、1982年に神領区の運用がいったん終了したためにその後は大垣区に集中配置となった。このため分割民営化以前の1987年2月に廃車となった2 - 5を除き全車JR東海へ継承されており、残存車は1989年以降に静岡運転所へ集中配置となった。
モハ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 モハ164形
ユニット相手方
新製配置 備考
1963 1・2 3 - 5   801 - 805 新前橋  
1965 8・9 10 - 13 6・7 828 - 835 宮原
1966 14 - 17   836- 839 岡山
1969 18 - 21   81 - 84 宮原 新造冷房車[注 19]
モハ164形
電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP)・パンタグラフを搭載する2等中間電動車 (M') で定員84名。1963年から1970年にかけて以下の番台区分で計166両が製造された。
  • 0番台:1 - 84
  • 500番台(回送運転台装備)501 - 514
  • 800番台(狭小トンネル区間対応パンタグラフ搭載部低屋根化):801 - 864
  • 900番台(EF63形との協調運転試作車):901 - 904
クモハ165形とのユニット組成を基本としたが、波動運用対応用として製造された801 - 805・828 - 839ならびに1969年に山陽本線急行増発用として製造された81 - 84はモハ165形とユニットを組成する。また本形式も0・500・800の番台区分が存在することから、1963年製造の1 - 41と協調運転試作車901 - 904を除きユニット間車両番号は一致しない。
モハ164形製造年別新製時ユニット相手方一覧[注 21]
1963年
モハ164 1 - 41 501 - 514 801 - 805 42・43  
クモハ165 1 - 41 42 - 55   56・57  
モハ165   1 - 5  
1964年
モハ164 806 - 812 44 813 - 815  
クモハ165 58 - 64 65 66 - 68  
1965年
モハ164 816 - 823 45 - 50 824 - 827 828 - 835 51 - 68  
クモハ165 69 - 76 77 - 82 83 - 86   87 - 104  
モハ165   6 - 13  
1966年
モハ164 836 - 839 69 - 73 840   CP
MH80A-C1000x2

MH113A-C2000Mx1
クモハ165   105 - 109 110  
モハ165 14 - 17  
1967年
モハ164 841 - 845 74 - 80 901 - 904   901 - 904
冷房準備車[注 17]
クモハ165 111 - 115 116 -122 901 - 904  
1968年
モハ164 846 - 848   冷房準備車[注 18]
クモハ165 123 - 125  
1969年
モハ164 849 - 861 81 - 84   新造冷房車[注 19]
クモハ165 126 - 138  
モハ165   18 - 21  
1970年
モハ164 862 - 864   新造冷房車[注 19]
クモハ165 139 - 141  
狭小トンネル区間での運用は低屋根構造の800番台に限定されていたが、1973年に折畳高を縮小したPS23形が開発された以降は換装により当該区間へ入線可能となり限定が解除された。また電化区間延伸による運用線区拡大で広域転配が行われた結果、終始新前橋電車区配置となった900番台を除き0・500・800番台は多くの車両基地に配置された。
モハ164形番台区分別配置実績
番台区分 新潟 長野 松本 新前橋 小山 浦和 三鷹 田町 津田沼 幕張 静岡 豊橋 神領 大垣 宮原 向日町 日根野 岡山 広島 下関
0番台 - - - - - - -
500番台 - - - - - - -
800番台 -
900番台 - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
民営化後 JR東日本 JR東海 JR西日本
備考
  • ○:新製配置
  • △:転入による配置
  • ▽:暫定配置・正規転入配置ともにあり
  • ●・▲:暫定配置で正規運用なし
  • -:配置経歴なし
  • 新潟・松本・三鷹・静岡・豊橋・神領・大垣:0・500番台車はPS23A形パンタグラフへ換装
  • 車両基地名称は配置開始時の名称
  • 運転所:新潟・長野・松本・静岡・向日町・広島・下関
  • 電車区:新前橋・浦和・三鷹・田町・津田沼・幕張・神領・大垣・宮原・日根野・岡山
  • 機関区:豊橋
  • 太字書体車両基地:民営化後もモハ164形の配置があった車両基地
  • ただし長野はサハ165形 松本は1991年 - 1993年に三鷹との車両交換で転入した廃車前提の保留車 宮原はクハ165形の配置あり
製造途中での大きな設計変更は1965年度第2次民有車以降に増備された69- ・836- からは、CPをMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基へ変更した[注 22]
国鉄急行形電車2等車(現・普通車)冷房化計画では以下の設計変更が行われた。
  • 901 - 904:1967年製造。AU12S形5基搭載準備車。冷房化は169系化改造後の1971年にAU72形搭載に変更の上で施工。
  • 846 - 848:1968年製造。AU72形集中式冷房装置搭載準備車[注 18][注 23]
  • 81 - 84・849 - 864:1969年・1970年製造。新造冷房車[注 19]
それ以前の非冷房車は、新前橋区所属で先行冷房改造試作車となった8両にはAU71形[注 24]、その他の車両にはAU72形が搭載された。
モハ164形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 1・20 - 30
42 - 50
501 - 509
801 - 803
2・3
13 - 19・39
804・805
4 - 12
37・38
31 - 36
40 - 43
510 - 514
 
1964 44
813 - 815
806 - 808 809 - 812  
1965 51 - 58
816・817
824 - 827
830・831
59 - 68
818 - 821
832 - 835
45 - 50
822・823
828・829
 
1966 836 - 839 69・70 840   71 - 73  
1967 76 - 80   841 - 845
901 - 904
  74・75 901 - 904
冷房準備車[注 17]
1968   846 - 848   冷房準備車[注 18]
1969 81 - 84   849 - 852   853 - 861   新造冷房車[注 19]
1970   862 - 864  
クハ165-134
クハ165形
1963年から1970年にかけて206両が製造された2等制御車 (Tc) で定員76名。非冷房車では方向転換可能な両渡り構造を採用したが、冷房改造により冷房用三相交流電源引通を追設したため片渡り構造となった。クモハ165形が奇数向き固定のため本形式では3 - 11・109・113・159・161・163・169・171・173・177・179ならびに117 - 135の奇数番号車計29両を除き偶数向き固定とされた[注 25]
クモハ165形+モハ164形+クハ165形を基本に編成組成される本系列であるが、クモハ165形+モハ164形ユニット145組に対して製造両数が61両多い理由は、以下によるものである。
  • 1963年に製造された宮原電車区配置の準急編成増結用クモハ165形+モハ164形500番台ユニット11組は単独製造であり、1965年に下関運転所へ転出。その際に8ユニットはクハ153形→クハ164形と編成を組成したが、3ユニットはクハ165形3両を単独製造し組成した。
  • モハ165+164の中間電動車ユニットを本形式で挟み込む波動輸送対応編成として製造された4両編成が17本存在した。
  • 松本運転所付属編成が本形式2両を組込む4両編成を組成した。
  • 新潟運転所「佐渡」編成では利用者増から本形式増結による対応を行った。
  • 153系との混結運用に充当する目的で宮原電車区ならびに大垣電車区へ配置された冷房準備工事車32両が単独製造された。
製造途中で2等車冷房化計画が進行したため以下の変更を実施。
  • 非冷房→冷房改造:1 - 155
  • AU12S形6基搭載準備工事車(協調運転試作車):901 - 904[注 17]
  • AU13E形5基搭載準備工事車:156 - 190
  • AU13形5基搭載新造冷房車:191 - 206
冷房化改造では900番台ならびに新前橋区所属先行冷房改造試作車[注 16]がAU12S形6基とされたほかはAU13E形5基、冷房電源用として新前橋区所属先行冷房改造試作車が90 kVAの、新製冷房車ならびに準備車を含む搭載改造車は容量110 kVAの電動発電機が搭載された。
クハ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 1 - 7
29 - 35
8 - 12
21 - 28
43・44
13 - 20
41・42
36 - 40
45 - 55
 
1964 65 - 68 56 - 58 59 - 64  
1965 69・70
87 - 99
117・118
71 - 78
100 - 112
119 - 128
79 - 86
113 - 116
 
1966 129 - 136 137・138 142 - 146   139 - 141  
1967 151 - 155   147・148
901 - 904
  149・150 901 - 904
冷房準備車[注 17]
1968 156 - 187 188 - 190   冷房準備車[注 18]
1969   191 - 195   196 - 203   新造冷房車[注 19]
1970   204 - 206  
サロ165-106
サロ165形
1等付随車 (Ts) で、定員48名。1963年 - 1969年に134両が製造された。本形式は165系との編成組成のほか、サロ153形・サロ152形を113系編入改造の種車として捻出する目的から、波動運用対応編成とは別に既存の153系と編成を組成することを前提に宮原電車区ならびに田町電車区へ新製配置された車両、またダイヤ改正による増発用として新製されたものの早期落成により本来配置される車両基地とは別に大垣電車区ならびに小山電車区へ暫定配置された車両が存在する。
外観的には台車を除き特徴的な二連式大型下降窓や回送運転台の装備などサロ152形を踏襲しており、車内には専務車掌室を設置し冷房搭載車は洗面所にウォータークーラーを搭載した[注 26]
国鉄急行列車1等車冷房化計画の過渡期に製造されたために冷房装置は以下の4種類が存在する。
  • 非冷房→AU12S形6基搭載冷房改造(1963年 - 1964年上期製造):1 - 28(24は冷房改造未施工で廃車)
  • AU12S形6基搭載準備工事車(1964年下期製造):29
  • AU12形6基搭載新造冷房車(1965年 - 1968年製造):30 - 129
  • AU13形5基搭載新造冷房車(1969年製造):130 - 134[注 27]
新製冷房車は、冷房電源に自車給電用20 kVA電動発電機を床下搭載し、非冷房車・冷房準備車は事故廃車の24を除く全車が冷房化改造された際に同仕様とした。
総括制御回線は両渡り構造としたが[注 28]、急行列車2等車冷房化に際し三相交流電源引通を追設したことから1968年製造の94 - 96ならびに117以降は片渡り構造へ設計変更を実施。同仕様に1 - 93・97 - 116も改造施工された。
1967年10月1日ダイヤ改正時点で長野運転所に配置されていた信越本線急行充当車19両は、1968年10月1日ダイヤ改正でEF63形と横軽区間で協調運転を行う169系へ移行した際に対応機器搭載と上述した三相交流電源引通追設ならびに総括制御回線片渡り化工事を長野工場で施工されサロ169形へ改造された。
二連式大型下降窓から雨水侵入による車体腐食で老朽化進行に加え国鉄末期の1980年代初頭より特急格上げによる急行運用の削減・短編成化・グリーン車利用率低下による連結両数減などにより余剰車が発生したことから、5両がクハ455形へ、1両がサロ110形へ改造施工されたほかは廃車が進行し、分割民営化時に車籍を有していたのは「東海」と共通運用の東京 - 大垣夜行普通列車に充当されるJR東海大垣電車区所属サロ165-105 - 108・112・125・126・132の8両まで縮小した。
1989年3月11日ダイヤ改正で運用移管により105を除いた7両は静岡運転所へ転出。105は神領電車区へ転出したが直後の同年5月15日に廃車。しかし「東海」関連運用も1996年3月で営業運転終了。106を除き同年8月までに廃車となったが、106は静岡車両区所属で車籍を有したまま浜松工場に留置。2009年3月31日付で廃車され本系列は廃系列となった。
サロ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 18 - 24 9 - 17 1 - 8 25・26   1 - 28:非冷房車
29:冷房準備車
1964 29 27・28  
1965 30 - 37
52 - 55
38 - 51
56 - 58
59 - 62   AU12Sx6基
新造冷房車
1966 63 64・65 66 - 71
79・80
81 - 93 72 - 78  
1967 107 - 116 97 - 103   104・105   106
1968   94 - 96
117 - 129
 
1969   130 - 132   133・134   AU13Ex5基
新造冷房車
サハ164形
1966年10月ダイヤ改正で中央東線急行増発用として同年3月に川崎車輌で以下の経緯から2両のみが製造された定員56名の売店付2等付随車 (Tk) 。
  • 中央東線急行列車利用者には登山客が多く、座席定員を確保できない観点から混雑時サービスに課題が生じていた。
  • ビュフェ車のサハシ165形では製造ならびに営業でのコスト面で不利となるほか、サハシ153形からの改造編入も種車が供給できない状況にあった。
このためモハ165形をベースに後位側客用乗降扉およびデッキを車体中央側に寄せた上で、車端側3.5区画分をキハ81形ならびにモハ156形で採用された売店ならびに車内販売準備室としたほか、幅600 mmの物資積卸扉を追加する設計変更をしたのが本形式である[26]。165系としては最初のサハになるが、特殊仕様のため偶数形式とされた。
床下には自車設備給電用5 kVAのMH81-DM44形MGを搭載したが[26]、1970年に施工された冷房化改造により冷房電源兼用110 kVAに換装した[注 29]。なお冷房装置はAU13E形分散式を客室部に4基、後位側デッキ部と売店部物資積卸口の上にそれぞれ1基搭ずつの計6基としたことから、モハ165形・サハ165形とは搭載位置が異なる。
1974年にはビュフェ営業を休止していた上越急行用サハシ165形とトレードされる形で新潟運転所へ転出し「佐渡」編成に組成。さらに1978年には大垣電車区へ転出し「東海」ならびに東京 - 大垣間夜行普通列車用K編成に組成されたが、1979年から1980年にかけて松本運転所へ転属となり再び中央東線急行基本編成に組成。1983年に余剰となった新前橋電車区から転入したクハ165形と差換により廃車され形式消滅した。
サハ164形経歴
車番 製造会社 製造日 新製配置 新潟転属 大垣転属 松本再転属 廃車日 備考
1 川崎車輌 1966.03.08 松本 1974.12.12 1978.07.21 1979.03.28 1983.01.21 1970年冷房化
2 1980.01.26
サハ165形
車体構造・車内設備はモハ165形と同一となる定員84名の付随車 (T) 。11両全車が新製時からTR69B形台車を装着し、AU13E形分散式冷房装置6基と冷房電源用110 kVA MGを搭載して落成。
1969年10月ダイヤ改正で山陽本線不定期急行の定期列車化用として1 - 10が川崎車輌で製造され宮原電車区へ、1970年に呉線電化による増発用として11[注 30]が近畿車輌で製造され下関運転所へ配置された。
1972年3月ダイヤ改正以降は、全車新潟運転所へ集中配置とされ上越急行へ転用。1974年には5・9が神領区へ転出し中央西線でも運用された。1984年にはクハ455形・サロ110形へ6両が改造されたが、本形式のまま残存した神領配置の2両ならびに新潟配置の3両計5両は松本運転所に転出。1986年に新急行「かもしか」充当用にシート交換などのグレードアップ改造を施工され長野運転所へ再転出。「かもしか」の「みすず」格下げ後は長野ローカルで運用されたが、1999年に保留車となり2001年までに全車廃車となった。
サハ165形経歴
車番 製造会社 製造日 新製配置 転属 廃車・改造
1 川崎車輌 1969.09.01 宮原 →新潟 クハ455-501
2 クハ455-502
3 クハ455-503
4 クハ455-504
5 →新潟→神領→松本→長野 2001.01.12
6 1969.09.16 →新潟 クハ455-505
7 サロ110-501
8 →新潟→松本→長野 1999.01.11
9 →新潟→神領→松本→長野 1999.03.10
10 →新潟→松本→長野 1999.01.11
11 近畿車輌 1970.05.30 下関 →津田沼[注 30]→下関→新潟→松本→長野 1999.03.10
サハシ165形
1963年に川崎車輌・近畿車輌で12両が製造された2等・ビュフェ合造付随車 (Tb) 。2等客室部定員は36名。車体中央部に設置された幅700 mmの客用扉を境に前位寄りを2等客室、後位寄りを電子レンジを標準装備するビュフェとし、トイレ・洗面所は設置しない。基本構造はサハシ451形に準じているが、客用扉ステップを省略し、サハシ153形で設置された寿司コーナーは蕎麦コーナーに変更を実施。また車内販売用業務用控室を出入台寄りに設置した。
新製時は総括制御回線を両渡り構造としたほか[注 28]、ビュフェ部分はAU12形4基搭載により冷房車とし側窓も固定式としたが[注 31]、1969年 - 1972年に客室部もAU13E形2基で冷房化。松本配置車は電源供給上の理由からMGを従来の40 kVAから110 kVAに交換した[注 29]。また同時に冷房電源用三相交流引通装備ならびに総括制御回線片渡り構造化も施工された。
新製配置は全車新潟運転所とされ上越急行で運用されたが、1965年12月から中央東線急行「アルプス」でビュフェ営業を開始するため2・4・6・8・10の5両は松本運転所(現・松本車両センター)へ転出。しかし2は車両需給の関係から1966年から再び新潟運転所配置となった。
1973年10月1日ダイヤ改正で「佐渡」減便ならびにビュフェ営業終了により、翌1974年に1 - 3が松本へ転出。松本配置車も1976年には「アルプス」のビュフェ営業を終了。1978年から余剰廃車が開始され、1983年に形式消滅した。
サハシ165形経歴
車番 製造会社 製造日 新製配置 松本転属 廃車日 MG 備考
1 近畿車輌 1963.04.12 新潟 1974.12.12 1983.03.19 110 kVA  
2 1965.11.01 1982.07.27 1966.04.02 - 1974.12.12新潟所属
3 1974.12.12 1978.12.26  
4 1965.11.01 1982.03.17
5   1978.09.11 40 kVA
6 1965.11.01 1982.12.25 110 kVA
7 川崎車輌 1963.04.25   1978.09.11 40 kVA
8 1965.11.01 1982.03.17 110 kVA
9   1978.09.11 40 kVA
10 1965.11.30 1982.02.12 110 kVA
11 近畿車輌 1963.05.17   1978.09.11 40 kVA
12

163系の形式

サロ163形
1 - 7の全車が川崎車輛(現・川崎車両)で1964年12月に製造された。標準主電動機のMT46形からMT54形への変更による153系製造中止に伴う新形式であり、153系1等車であるサロ152形の実質的な増備車である。
車体はサロ152形と同様で屋根上にAU12S形分散式冷房装置を搭載。台車はTR59形→TR69形へ変更した[20]。このため外観上は、同時期に製造されたサロ165形AU12S形搭載新製冷房車の30 - 129とほぼ同一であるが、車側表示灯が車体中央部ではなくサロ152形同様専務車掌室横に設置することと耐寒耐雪装備を省略しているため床下ブレーキユニットの耐雪カバーがない相違点がある。
宮原電車区に集中配置され、終始153系編成に組み込まれて運用されたが、1968年に大垣電車区へ全車転属。7を除く6両は後にサロ165形と混用で運用されたが、1983年までに全車廃車された。
7は1969年にグリーン車需要の関係から浜松工場でサロ112-51へ改造された。静岡電車区に配置され東海道線東京口運用に投入されたが、1971年に高槻電車区(現・網干総合車両所高槻派出所)に転出。京阪神地区で運用され1978年に廃車された。
サロ163形経歴
車番 製造 落成日 配置 転属 廃車日 その他改造
1 川崎車輛 1964.12.21 宮原 大垣
1968.09.07
1983.02.17  
2 大垣
1968.09.14
3
4
5 1964.12.23 1981.01.19
6 1981.01.25
7 静岡
1969.08.17
1978.02.28 1969.09.08サロ112-51へ改造
1971.03.09高槻へ転出

167系の形式

モハ167-12
モハ166-12
クハ167-21
モハ167形
モハ166形とユニットを組む2等電動車 (M) で主制御器を搭載。定員は84名。
基本的な構造はモハ165形と同様だが側扉が700 mmに変更されたため窓配置が異なる。
モハ166形
モハ167形とユニットを組む2等電動車 (M') でMG・CP・パンタグラフを搭載。定員は84名。
基本的構造は修学旅行閑散期には臨時列車で狭小トンネル区間が存在する中央東線への入線が考慮されパンタグラフ搭載区画を低屋根化したモハ164形800番台と同様だが窓配置が異なる。なお本形式が製造された当時の国鉄ではパンタグラフ部低屋根構造車両を慣例として800番台に区分していたが、本形式は全車が低屋根車に該当するため区分せず155・159系同様0番台とした。
補機類ではモハ164形と同様に増備途中でCPの機種変更が行われたことから[24]、1965年製造の1 - 4がMH80A-C1000形2基、1966年製造の5 - 15がMH113A-C2000M形1基搭載。
宮原配置の10 - 15は冷房化と同時にトイレならびに物置を撤去して乗務員室へ変更する工事を施工。
クハ167形
2等制御車 (Tc) で定員は76名。クハ155・159形同様客室には速度計と電池式時計が設置されたが一般転用時に撤去された。
田町に新製配置された1 - 8のATSはS形に加えA形を併設。
冷房化時に田町車は偶数向き車にのみ冷房電源用MGを搭載。宮原車は偶数向きをクハ165形に統一することで本形式は奇数向きに統一されたことで冷房電源用MGは搭載しない。

169系の形式

クモハ169-12
モハ168-6
クハ169-20
クモハ169形
モハ168形とユニットを組む2等制御電動車 (Mc) で主制御器・主抵抗器を搭載している。定員76名。1 - 27の量産車27両と901 - 904の試作車4両、合計31両が製造された。
試作車の冷房装置は量産車のAU13E形5基とは異なりAU12S形6基を搭載する。
モハ168形
クモハ169形とユニットを組む2等中間電動車 (M') で定員84名。電動発電機(MG)・MH113A-C2000M形空気圧縮機(CP)・パンタグラフを搭載する。
量産車1 - 27は通常屋根構造なのに対し、試作車901 - 904はモハ164形800番台同様パンタグラフ部が低屋根構造とした上でAU12S形5基搭載冷房準備車で製造されたが、冷房化改造では0番台同様AU72形1基搭載に変更して施工された。
クハ169形
2等制御車 (Tc) で定員76名。冷房化時に110 kVA冷房電源用MGを搭載。
冷房装置はクモハ169形同様に1 - 27がAU13E形5基、901 - 904がAU12S形6基を搭載する。
クモハ169・モハ168・クハ169製造メーカー別分類
クモハ169+モハ168
製造年 日本車輌 東急車輛 近畿車輌 備考
1967 901 - 904   元・クモハ165+モハ164-901 - 904 冷房準備車
1968 1 - 7 8 - 23 24・25 冷房準備車
1969   26・27   新造冷房車
クハ169
製造年 日本車輌 東急車輛 近畿車輛 備考
1967 901 - 904   元・クハ165-901 - 904 冷房準備車
1968 1 - 3 4 - 21 22 - 24 冷房準備車
1969   25 - 27   新造冷房車

注釈

  1. ^ 1時間定格回転数を比較すると全界磁ではMT46形が1,655 rpm、MT54形が1,630 rpm、弱め界磁ではMT46形は35 %、MT54形は40 %で2,620 rpmとされる。
  2. ^ 運転曲線がノコギリ状になることから、これを「ノコギリ運転」と呼び運転士にとっては取り扱いが煩雑で上り勾配でのスムーズな運転の妨げにもなっていた。
  3. ^ 153系では出力5 kVAのMH81-DM44形MGが搭載されていたが、機器増加で出力が不足気味であったため20 kVAに向上させた[10]
  4. ^ a b c 房総地区での閑散期となる冬期に中央本線経由で富士急行ヘ向かう臨時列車への充当で狭小トンネル区間への入線が考慮されたため800番台で落成。1972年7月に全車幕張電車区へ転出。
  5. ^ a b 1970年に製造された時点で定期運用充当区間に狭小トンネルは存在しないが、後の車両転配を考慮して800番台で落成。
  6. ^ a b c d 碓氷峠区間で粘着運転への切替直前に実施された165系電車9両編成とEF63形による下り勾配での試験運転で、非常ブレーキを作動させたところ機関車次位のクハ165形軽井沢方にあたる車体後部が垂直座屈で浮上し、車体と台車が分離するという現象や上り勾配での推進運転で縦勾配の変曲点で軽井沢方の台車が脱線する現象が発生したことに由来する[47]
  7. ^ 先頭車の塗り分け案も検討資料が残存する[21]
  8. ^ a b c 1963年3月10日付モハ165形+モハ164形800番台ユニットを組成する波動輸送対応編成の制御車として新前橋電車区へ新製配置。1964年4月に臨時準急「かいじ」充当のため三鷹電車区への転属を経て1964年10月1日付で田町電車区へ転入。1975年1月18日付で神領電車区へ転出した。
  9. ^ 閉館直前は「さよなら交通博物館」に取り替えられた。
  10. ^ ただし8両編成以下の場合は協調運転を実施せずEF63形重連による牽引・推進運転となる。
  11. ^ a b サロ169形はサロ165形として汽車製造・東急車輛・近畿車輌が、サハシ169形はサハシ153形として近畿車輌がそれぞれ製造したことから、169系は試作車・量産車・改造車を含め川崎車輌ならびに製造開始が東急車輛へ吸収合併された後であったことから帝國車輛が製造した車両は存在しない。
  12. ^ 189系・489系ではベースとなった183系1000番台・485系と総括制御回線は共通のKE70形ジャンパ連結器を使用し、協調制御回線は別途敷設されたKE76形ジャンパ連結器を介する方式を採用した。
  13. ^ 信越急行廃止後に波動輸送対応用として松本・三鷹・幕張へクモハ169+モハ168+クハ169の3両編成単位で転出が行われたが、いずれの車両基地も165系と混合配置であったことや横軽区間での協調運転が事実上皆無となったことから、本系列のみの編成もKE70形ジャンパ連結器は使用を停止しKE64形2基による総括制御を行ったほか、本系列のみの編成単位での譲渡となったしなの鉄道でも同様の措置が採られた。
  14. ^ a b c d e 1986年9月1日に長野運転所が長野運転所第二分所を統合し長野第一運転区へ改称。さらに1987年3月1日に北長野運転所へ再改称。JR化後は1991年7月1日に長野工場と統合し長野総合車両所となり、2004年6月1日に現組織の長野総合車両センターへ再改称。
  15. ^ 横軽区間を通過する定期運用は1986年11月ダイヤ改正による「妙高」189系化で終了した。
  16. ^ a b c クモハ165-8・19・27・36・57・91・93・97/クハ165-17・28・33・39・50・93・95・102
  17. ^ a b c d e f 900番台は169系化改造後の1971年に冷房化。
  18. ^ a b c d e 1968年利用債増備車。
  19. ^ a b c d e f g 1968年4次債務負担以降増備車が該当。
  20. ^ 翌1966年から1968年にかけて向日町運転所に一時的な転属を実施。
  21. ^ 分割民営化後にJR東海では一部ユニットの組替を行った。
  22. ^ MH113A-C2000M形は既にモハ102形・モハ114形への搭載実績があり、以後はモハ454・456・474形へも波及する。
  23. ^ 500番台は1963年のみの製造。0番台は1967年で一旦製造が終わっていたこともあり、両番台区分の冷房準備車は存在しない。
  24. ^ a b モハ164-8・19・27・36・43・55・57・61。後に一部車両はAU72形に換装された。
  25. ^ ただし、後年に方向転換改造を施工した車両が存在する。
  26. ^ 稼働させるには自車冷房給電用MGで稼働させるため。
  27. ^ 房総西線電化用最終増備車で全車津田沼電車区へ新製配置。
  28. ^ a b c サハシ165形2両組込とされた新潟運転所最初期編成では1等車サロ165形2両をサハシ165形ビュフェ部で挟み込む組成とされた。これには2等客がビュフェを利用する際に1等車内を通り抜けることを避ける配慮によるもので、本思想は「こだま」運転開始時8両編成を組成した20系特急電車から踏襲されたものであり、同じくビュフェ車2両組込が行われた153系東海道本線急行・451系急行「みやぎの」・471系北陸本線急行でも採用された。
  29. ^ a b c d e f 普通車冷房化時の松本運転所基本編成は、自車給電用MGを搭載するサロ165形2両とサハシ165形もしくはサハ164形を除くとクモハ165+モハ164形ユニット2組とクハ165形1両の8両で組成された。そのため給電容量を確保できなくなることから、同所のサハシ165形もしくはサハ164形は110 kVA MGを搭載する必要に迫られた。なお、同様にビュフェ車を組込む長野運転所基本編成はクハ169形2両組込の9両編成、新潟運転所基本編成はサロ165形2両+サハシ165形の前後に3両ないし4両の普通車で挟み込む形態であるためサハシ165・169形のMG交換は必要ない。
  30. ^ a b c 同車はクモハ165-139+モハ164-862+クハ165-204と共に1970年5月30日に落成したが、呉線電化によるダイヤ改正は同年10月1日であったことから、同年7月1日から9月2日まで夏ダイヤが設定される房総地区用として津田沼電車区へ貸渡的な転属が実施された。
  31. ^ 供食設備であるビュフェでは、当時の列車トイレが垂れ流し式で衛生上の観点から黄害対策も考慮されたことから、サハシ153形以降に採用された空調装置を搭載した上で固定窓とする設計思想を踏襲したものである。
  32. ^ 交直両用車ではクモハ455+モハ454形ユニットで6組12両、クモハ475+モハ474形ユニットで3組6両、クハ455形で7両の計25両が同様のAU12S形冷房準備車で落成。
  33. ^ a b c d e f g h 制御回路引き通しのジャンパ連結器に関しては153系のKE57A形と165系のKE64形では互換性があり混用も可能。付随車では抑速ブレーキを制御するための制御器ならびに動作に必要な機器も搭載されていないこと。制御車も編成中間組込みや最後尾などの制御を行わない場合に限り、混結されていても制御回路が結線されていれば、編成全体で抑速ブレーキの使用は可能である[34]
  34. ^ 宮原区から転入したクモハ165形+モハ164形500番台ユニットは、山陽本線準急増結車運用で分割併合を行う岡山駅の配線構造から本来とは逆になる下り向きに組成されていた。
  35. ^ a b パノラマエクスプレスアルプスへの改造着手は1986年10月からで[42]、種車は1985年3月に三鷹電車区へ配置された波動輸送対応編成からクモハ165-127+モハ164-850+クハ165-192と松本運転所所属で中央東線運用に充当されていたクモハ165-123+モハ164-846+クハ165-148であるが、松本所属の3両は1986年11月2日付で一旦車籍を三鷹電車区へ移してから大井工場で改造施工。1987年3月17日付でクモロ165-4+モロ164-804+クロ165-4として落成。
  36. ^ 名鉄パノラマカー小田急ロマンスカーとは異なり、完全な2階建て構造とはなっていない。
  37. ^ 実際には183系との併結による営業運転は行われていない。
  38. ^ 変わった運用では、2000年に日本テレビクイズ番組『第20回全国高等学校クイズ選手権』全国大会で、"特Qファイアー号"として中央本線・篠ノ井線・信越本線・上越線などで運転された。
  39. ^ 越後湯沢にある「アルプの里」にちなんだ愛称。中央東線の急行「アルプス」とは無関係。
  40. ^ a b サロ165-24は、冷房化改造施工直前に大破事故に遭遇したために非冷房のまま廃車。
  41. ^ a b 新製配置は新前橋電車区で1966年10月に信越急行運用一部移管で長野運転所へ転出。同年12月に田町電車区へ転入。新前橋電車区からの転入車を含み横軽対策施工車である。
  42. ^ a b 中央東線上諏訪電化「たてしな」充当用として1964年に三鷹電車区へ新製配置された車両で1965年7月に松本運転所転出を経て1966年7月に宮原電車区へ転出。田町区へは1967年4月14日付で転入。
  43. ^ a b 1966年に転入するも車両需給調整により1967年に全車新前橋電車区へ再転出。
  44. ^ モハ164形はパンタグラフ搭載によりAU12S形では5基分のスペースしかなく冷房能力が不足することが問題となったこと。全車集中式に統一しなかった理由は、集中式装置が当時高価であり搭載には車体補強改造も必要とされ高コストになるためである。
  45. ^ 日本の鉄道では前部標識という法律的な扱いで正式にも前灯と称し、夜間および長大トンネル区間では点灯が義務付けられる。
  46. ^ 運用は下り6号で夜間は甲府滞留、翌朝立川快速2530Mで戻る形態とされた[54]
  47. ^ モハ168形およびモハ164形横軽対策施工車では◆●モハ168(164)-車両番号表記。
  48. ^ a b c d 1986年11月1日ダイヤ改正まで169系長野配置車は「妙高」運用に充当されていたこと。一方で「かもしか」運用充当車は狭小トンネル対策が必要かつ松本所属のサハ165形も対象に含まれており、改造日程の都合からも運用に余裕のあった松本配置車に施工し長野配置車と車両交換する形態が採用された。
  49. ^ 1986年3月27日落成のクモハ169-6+モハ168-8+サハ165-10+クハ169-19と同年6月4日落成のクモハ169-13+モハ168-13+サハ165-8+クハ169-13
  50. ^ 本系列ならびに12系客車もサービス用電源電圧は三相交流440 Vであり、スハフ12形に搭載されるディーゼル発電機の容量は0番台で180 kVA、100番台で210 kVAであり、自車を含み6両分の供給容量がある。
  51. ^ N31編成の充当は、後にサハ165形を外した3両編成での運転となり、DD16形単機での牽引に変更された[63]
  52. ^ 1963年2月23日夜にクモハ165-1+モハ165-1+クハ165-1のトップナンバー3両が長岡第二機関区に到着した[69]
  53. ^ 「佐渡」が5月15日から、「弥彦」が5月16日から、「ゆきぐに」が5月18日から運用変更との報道がある[72]
  54. ^ K1編成は老朽化により1996年に休車となり、1998年9月30日付で廃車[60]
  55. ^ a b c クハ165-162・166・170は1968年に大垣電車区へ新製配置された冷房準備車で1969年に宮原電車区へ転出。1971年に162・166は鷹取工場で、170は吹田工場で冷房化改造を施工。166・170は1972年に新潟へ転入した経歴を持つ。また162は房総西線での脱線事故で大破廃車となったクハ165-202の代車として冷房化改造施工と同時に津田沼電車区→幕張電車区へ移籍した経歴を持つ。
  56. ^ 中央東線急行電車化用として日本車輌で落成したクモハ165-76+モハ164-823は、クハ165-80と共に1965年4月9日付で浦和電車区へ暫定新製配置。書類上3日後の同月12日付で大垣電車区へ転出。同年7月16日付で松本運転所へ転出した経歴がある。またクハ165-105は汽車製造で落成後の1965年5月18日付で松本運転所へ新製配置された。この3両は1986年11月5日付で上沼垂運転区へ転入。
  57. ^ 当初は6月末で運転終了であったが、好評のため「こころ」放映最終日の翌日である9月28日まで延長された。
  58. ^ 新前橋区では、三鷹電車区で115系による急行運用が発生した際にサロ165-14・15に引通線改造を施工して長期貸渡した実績がある。
  59. ^ 本来上野口で夜間滞留となる編成を間合い運用で充当し、下りは前日の普通列車により白河へ送り込む運用が組まれた。
  60. ^ 157系は伊豆急下田直通特急「あまぎ」に転用された[92]
  61. ^ a b c d 沿線に国際的観光地で日本三大外国人避暑地と知られる国際的観光地である軽井沢が存在していたことから[98][99]、当時の国鉄が1等車最低2両連結は必須と判断したことによる。また横軽区間通過により付随車は極力長野方に連結する方針が採られたことから、1等車2両は長野方6・7号車に組成されたが、これは1966年から運転された181系特急「あさま」でも同じ組成となった。
  62. ^ 田町転入車のうち1両は早期廃車となったほか、幕張転入車のうち1両はAU13E形最終製造車グループのサロ165-130である。
  63. ^ 横川 - 軽井沢間は連絡バス。
  64. ^ 当初は11両編成での投入が計画されたが[97]、保安上かつ事故防止の観点から連結両数を8両までに制限された[注 6][47]
  65. ^ 2002年に通称だった屋代線に改称し、2012年に廃止。
  66. ^ 駅名改称は1969年10月1日付。
  67. ^ a b クモハ169+モハ168-18・19 クハ169-10・13・14 サロ169-12
  68. ^ 大糸線乗入列車用にサロ85形を改造した1等展望車の導入が計画されていたが、諸般の事情で中止となった。
  69. ^ サロ165-117 - 128は1968年2月 - 3月に日本車輌で落成した同年10月1日ダイヤ改正用早期落成車で、大垣電車区に仮配置後の同年117 - 119・127・128が松本運転所へ、120 - 126が新前橋電車区転出した。
  70. ^ 中央東線から身延線に入線する場合、一旦新宿方にスイッチバックするため双方の列車に遅延防止という点から付属編成位置を逆転させた。上り列車では「みのぶ」が甲府に先着後に一旦引き上げ線へ転線後に基本編成と併結作業を行った。
  71. ^ 165系化後の1975年4月24日付で廃車され、同年7月に有田鉄道へ譲渡。
  72. ^ 「アルプス」はキロ58形2両組込5両基本編成+3両付属編成とされ、1往復が松本発着。もう1往復は基本編成が松本転回、付属編成が大糸線糸魚川直通とされたが、165系化で南小谷発着に変更。「こまがね」と富士急行所有のキハ58形[注 71]を充当する「かわぐち」は165系松本所属車付属編成での運用となった[108]
  73. ^ 下りは中込行。上りは小諸始発で中込までは普通列車で運転。
  74. ^ 定期列車では1970年10月1日ダイヤ改正で設定された下り「かいじ6号」は1975年3月10日ダイヤ改正まで三鷹電車区の115系が充当されたほか、臨時列車では「かいじ」「かわぐち」「たてしな」などに1978年10月ダイヤ改正まで充当された。また夏期や冬期スキーシーズンに設定される臨時「アルプス」「たてしな」は、両定期列車が廃止されるまで165系のみならずEF64形牽引の客車列車での運転も行われ、旧型・10系12系14系座席車などが充当された。
  75. ^ 新製時からの冷房車で最終製造ユニットのクモハ165-141+モハ164-864は新潟→大垣→松本で転入。
  76. ^ a b A6編成は部品取りとしてしなの鉄道へ譲渡。
  77. ^ 同改正に伴う転配では松本運転所へ8両、大垣電車区へ5両が転出。
  78. ^ クモハ165-44+モハ165-503+クハ165-4 クモハ165-48+モハ165-507+クハ165-63 クモハ165-49+モハ165-508+クハ165-49 クモハ165-51+モハ165-510+クハ165-22
  79. ^ 本運用では中央西線松本発名古屋行が、6両で名古屋到着後に3両に減車して名古屋発亀山行普通列車に充当[115]
  80. ^ 新製配置が長野運転所のため。
  81. ^ 臨時扱いの運転区間延長で米原浜松発着も設定された[117]
  82. ^ 田城郁JR東労組出身で自身も電車運転士経歴のある元参議院議員)のブログに寄せられた「富士川」乗務経験者の運転士の弁による[119]
  83. ^ 各車両基地の予備車を集めて編成組成を行ったほか、本来はダイヤ改正での増備車両を早期落成させて充当させたケースもある。
  84. ^ 大垣から転入したクハ153形6両全車と田町から転入したMM'ユニット4組8両ならびにクハ153形2両は非冷房車で、1975年夏期の段階では153系基本編成5本中冷房稼働可能は1編成のみであった。このため1976年夏期までに3編成へ冷房工事を施工。残存した非冷房1編成も1977年夏期までに冷房改造が施工された。
  85. ^ 153系は全廃まで約1年の短期間でありながら状態の悪い初期車置換え用に検査期限が長い車両が選出され、下関からの転入車は全廃となった。
  86. ^ 28両中23両が田町配置となり、22 - 26の5両が新前橋配置となった。
  87. ^ サロ153形はリクライニングシート車へ置換えでサロ110形改造種車としての捻出名義。サロ152形はサロ112形改造種車としての捻出名義である。
  88. ^ 1 - 4は1967年に転入。
  89. ^ 伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺乗入対応用5両付属編成に組成されるグリーン車は、CP搭載制約があったことからサロ152形200→100番台が限定されたが、1975年のサロ152形全車置換え時にはサハ153形200番台に組成変更となり付属編成へのグリーン車連結は終了した。
  90. ^ 併結はされるものの「東海」もしくは湘南急行編成と「ごてんば」編成間貫通幌は使用しないため通り抜けは不可。
  91. ^ 東北上越新幹線工事のため1973年10月1日ダイヤ改正で廃止。2015年3月に上野東京ラインとして約42年ぶりに復活。
  92. ^ 車両転配の関係からダイヤ改正前の1980年9月から「ごてんば」には167系が充当された。
  93. ^ 着座定員は165系3両編成の「ごてんば」が236名、3000形SSE車5両編成の「あさぎり」が222名であるが、完全着座かつ全席指定の「あさぎり」は繁忙期や予約状況に応じて2編成併結の10両編成での運転で対応した。
  94. ^ 都内から御殿場線へのアクセスは、新宿発着で小田急電鉄小田原線を経由する特別準急→連絡急行「あさぎり」が4往復運転されており乗客の嗜好もそちらに集中したことも廃止要因の一つである[注 93]
  95. ^ 153系は置換えが絶対条件ではなかったため検査期限に余裕のある車両を中心に1982年11月15日ダイヤ改正後も引き続き使用された。置換え完了後に一部車両は休車扱いとなり、1984年1月までに廃車された。
  96. ^ 完全165系化以前は、MM`ユニットが153系・155系・159系で組成。制御車はクハ164・165形で統一。グリーン車はサロ163・165形とされたほか、2両組成される普通付随車のうち1両は冷房電源確保のためサハ153形200番台もしくは1980年まではサハ164形が組成された。
  97. ^ 共通予備車であったモハ165-1+モハ164-801のトップナンバーMM'ユニットは、廃車まで汚物処理装置を未搭載。
  98. ^ 臨時増発は1987年3月31日に4月1日の国鉄分割民営化を前に殺到した謝恩フリーきっぷの乗客に対応するため神領電車区所属165系8両編成による運転が突発で設定されたことが起源とされており、その後も多客期に東京・品川 - 名古屋間に突発設定された。時刻表に正式掲載されたのは1989年12月からで運転日により下りは東京発大垣行・東京発名古屋行・豊橋発名古屋行の3パターンが存在した[128]
  99. ^ 最繁忙期に8両編成へ3両編成を増結した11両編成での運転実績がある。
  100. ^ 本転配では元豊橋所属のT1編成やAU12S型試作冷房改造車クモハ165-36ならびに前灯が原型白熱灯のクモハ165-61・クハ165-31なども神領区へ転入したほか、同時に汚物処理装置未搭載車はトイレ封鎖と洗面所撤去が行われ、撤去跡は化粧板で塞がれた。
  101. ^ 1988年に大垣区から神領へ転属した3両編成x15本は汚物処理装置未搭載車が多数を占めており、全車未搭載という編成も存在した。このため原則的にクハ165形へ汚物処理装置を搭載しトイレを集中化する策が採られたが、全編成工事完了前の1990年に「東海」編成変更で余剰となったモハ165形とユニットを組む処理装置搭載モハ164形800番台と処理装置未搭載モハ164形を差し替える車両転配を静岡運転所との間で行った結果[注 100]、T11編成とT12編成はそれぞれに組成されるモハ164-832・834のトイレを使用した。
  102. ^ トイレを3ヶ所確保するにはモハ164形のトイレが使用可能なT11・T12編成からクハ165形除外が必須とされたが、回送運転台装備のクモハ165-43+モハ164-504ユニットを組成するT7編成は編成組換などに使い勝手がよいことから、トイレ使用可能なクハ165-176を抜き中間に組み込むケースが多く、同様にT11・T12編成以外の編成からクハ165形をカットして8両を組成した場合も含めてトイレは2ヶ所のみとなる。
  103. ^ ただし恒常的なものではなく、クハ165形を含み「富士川」用F編成との間で度々車両交換も行われたほか、「東海」運用終了直前の1996年3月11日付でK2編成に組成されていたモハ165-18+モハ164-81が廃車されたためF11編成に組成されていたモハ165-7+モハ164-829に組換て対応した。
  104. ^ 特急格上げ後の「東海」は2007年3月18日に廃止、「ムーンライトながら」も2009年3月14日をもって臨時列車化のうえ車両も田町車両センター配置の183・189系電車、後に大宮配置の185系電車に変更されたが、373系は2012年3月ダイヤ改正まで普通列車として東京まで乗り入れた。
  105. ^ 「鷲羽」運用で乗入れる宇野線変電所容量の関係から電動車は4両までの制約があった。
  106. ^ 当時非冷房のクハ153形は両渡り構造であったため逆向きでの連結も可能。
  107. ^ 同ユニットは1965年7月の中央東線松本電化電車急行増発用に日本車輌で製造され1964年12月17日付で三鷹電車区へ暫定新製配置後に広島運転所へ転出した。約4ヶ月の配置を経て本来の配置先である松本運転所へ転出したが、広島所は本系列の定期運用が存在しておらず、編成組成に必要なクハ165形が無配置であったことから、何らかの理由で書類上疎開的配置が生じたと考えられる。また同様に松本配置予定早期落成車のうち浦和電車区へ配置されたクモハ165-75+モハ164-822+クハ165-79が豊橋機関区に、クモハ165-76+モハ164-823+クハ165-80が大垣電車区に約3ヶ月間の一時的配置経歴がある。
  108. ^ MT46系主電動機を搭載する153系は、最大勾配22.6 ‰の瀬野八区間を通過する際にMT比1:1では出力不足により補助機関車の連結が必要であるが、MT比1.5:1以上をクリアすれば自走での通過は可能である。
  109. ^ 塗装変更工事は1971年頃より開始され、一時的に急行運用へも充当された。また検査などで「鷲羽」「比叡」運用にブルーライナー色車が、新快速に湘南色車が組成されたケースがあった。
  110. ^ 過渡期には湘南色で新快速編成へ組成された車両のほか、ブルーライナー塗装のまま転出した車両も確認された。
  111. ^ ただし転入は1986年11月ダイヤ改正前から行われており、名古屋地区の117系電車短編成化に伴う代走で同年7月から10月まで、また紀勢本線新宮 - 御坊間ホーム嵩上げ工事の進捗もあり特急「くろしお」用485系の九州地区・北近畿地区転用改造に伴う代走で同年10月1日 - 31日まで充当された実績がある。
  112. ^ a b 春もしくは秋シーズンに運転。往路の日光行きは東海道本線・横須賀線各駅を出発して品川で方向転換。山手貨物線渋谷・新宿・池袋を経由し東北本線に入り、宇都宮で再度方向転換し日光に向かう。復路は逆経路となる。列車番号は、下りが9882Mまたは9782M - 9583M - 8583M - 8841M上りが8848M - 8584M - 9584M -9885Mまたは9785Mで東海道線発着時は9882M・9885M、横須賀線発着時は9782M・9785M。列車番号は品川・大宮・宇都宮でそれぞれ変更となる。
  113. ^ 東京 - 中野間は1990年3月にATS-P使用開始。
  114. ^ 三鷹電車区には循環式汚物処理装置の抜取地上設備がないことから、パノラマエクスプレスアルプスでは1998年に循環式へ交換される以前はカセット式を採用したほか、一般車では運用充当後の翌日に設備のある田町電車区へ回送し抜取を行っていた。
  115. ^ 松本へ転出した165系4本は、車両交換実施後も運用に就くことなく1993年までに廃車となった。
  116. ^ 管轄支社から八王子とも呼ばれる。
  117. ^ 同日に三鷹区まで回送された際には「急行」の種別幕が表示された。
  118. ^ 長野N31→三鷹M1。長野N33→三鷹M2。長野N35→三鷹M3。
  119. ^ 松本A5→三鷹M4。松本A9→三鷹M5。
  120. ^ 元上沼垂K2編成。三鷹転入は1998年12月1日付であるが、ATS-P搭載ならびに塗装変更は1999年3月6日に大宮工場で施工のため実際の運用開始はそれ以降である。
  121. ^ その後田町区では本系列と入換に波動輸送対応用で配置された183系1000番台・189系にHの記号を使用した。
  122. ^ 1989年に長野工場で車体更新を実施した際に前面強化とシールドビーム化を同時施工したクハ167-1、冷房化・シールドビーム化を同時施工した後に前面強化したクハ167-7、国鉄時代の1980年に長野工場で前面強化とシールドビーム化を同時施工したクハ165-3 クハ167-5・6、白熱灯筐体を利用して簡易シールドビーム化し前面強化時に一般的な小型シールドビーム化したクハ167-3・4・11・12・15・16と施工経緯が4種類に分類される。
  123. ^ アコモ改善車クハ167-8とメルヘン車クハ167-9・10・13・14ならびにH19編成に組成されるもクハ167-9・10が該当。1990年もしくは1991年に角型ヘッドライト化改造を施工し、1993年に前面強化を施工した。
  124. ^ シーズン中には新前橋区や三鷹区などの165・169系も投入された。
  125. ^ H14編成は1990年8月にアコモ改善改造を施工したが、クハ167-7は1978年の冷房化改造時にシールドビーム化されており、本改善で前面強化されたが、クハ167-8は角型ヘッドライト化のみ施工したための差異。
  126. ^ 同列車ではパノラマエクスプレスアルプスがグリーン車。本系列が普通車として運転された。
  127. ^ 内陸県の長野から日本海に面し複数の海水浴場を有する糸魚川市に向けて日帰りで海水浴を目的に1974年から夏期に運転された臨時列車。使用車両は当初は松本運転所所属165系もしくは北長野運転所所属169系が、1990年代に入り189系が充当された。ダイヤ設定は長野鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道長野支社)が行い、始発駅は軽井沢・小諸のほか、年次によっては中央東線茅野始発列車も設定。軽井沢 - 長野間しなの鉄道移管後は長野発着となったが、1999年の運転を最後に廃止された。
  128. ^ 3001(最終運用投入編成)・3003編成は、1968年に施工された試作冷房改造車の最終残存車でありデハ3101(元・モハ164-55)はAU71形を搭載した状態で譲渡。移籍後に他車と互換や整備性の観点からAU72形への交換を行った
  129. ^ 換装はモハ168形のみに行われ、115系のモハ114形へは未実施である[147]。また霜対策は特に軽井沢 - 小諸間で必要とされており、冬期は霜切り列車が早朝始発前の小諸 - 軽井沢間で1往復運転された[147]
  130. ^ 被害が大きくなかったことと製造から10年以内で減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年3月31日大蔵省令第15号)に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない状態であったことが理由である。これには当時の長野鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道長野支社)では、1975年にクハ180-1 - 3を製造から9年で廃車解体としたこと。また国鉄全体でも事故・故障が多発したDD54形が最長でも約10年、最短4年10ヶ月で全車廃車になり、1976年に国会で問題として取り上げられ会計検査院からも不適切な処理と指摘されたことも関係する。

出典

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