南アメリカの紛争一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 01:30 UTC 版)
ペルー
- c. 900 BCE — c. 200 BCE チャビン文化
- c. 500 — c. 1100 CE ワリ帝国
- c. 1230 クスコ王国の第二代サパ・インカ(皇帝)のシンチ・ロカはInca外交官のTeuotihiを殺した後、近隣の王国と戦争を行った
- c. 1290 クスコ王国の第四代サパ・インカのマイタ・カパックはアレキパとMoquegua地域をインカ帝国の支配下に置いた
- c. 1320 クスコ王国の第5代サパ・インカのカパック・ユパンキはクスコの谷の外側の地域を始めて征服した
- c. 1350 — c. 1380 クスコ王国の第6代サパ・インカのインカ・ロカはChancasを征服したと伝えられている。
- c. 1380 クスコ王国の第7代サパ・インカのヤワル・ワカはChancasからの攻撃で首都を放棄した
- c. 1410 — c. 1438 クスコ王国の第8代サパ・インカのウィラコチャはChancasの攻撃から首都を防衛した
- c. 1438 — c. 1472 クスコ王国の第9代サパ・インカのパチャクテクはChancasとチムーを打ち負かした
- c. 1472 — c. 1493 インカ帝国第10代サパ・インカのトゥパック・インカ・ユパンキはアンデス山脈に沿って北方へ領域を拡張し現代のエクアドルを通り、クスコの建築家と共に彼が再建したキトの都市に特別な愛情を持つようになった。この間に彼の父パチャクテクはクスコ王国をタワンティン・スウユ(4地方の意味)に再編成した。彼は南アメリカの大半に渡る規模にまでインカ帝国を拡大しようと他の国々(今日ではペルー、ボリビア、チリ及びアルゼンチンと呼ばれている)に対しての大規模な軍事征服を率いた。彼は1471年に父親が死亡した後、自身が1493年に死亡するまでサパ・インカに就任した。彼はインカの残っている中で最大のライバルであった北海岸(現在のペルー)を占領していたチムー王国を征服した。
- c. 1493 — c. 1527 インカ帝国第11代サパ・インカのワイナ・カパックがインカ帝国を南へ(現在のチリとアルゼンチン)大幅に拡大し、北方(現在のエクアドルと南コロンビア)の土地の併合も試み、Atuntaquiのような都市を設立した。さらに北では、ワイナ・カパックの軍隊はChinchipe川流域に到達したが、シュアール族によって押し戻された(1527年)。彼の治世下でインカ帝国は現在のボリビア、ペルー、アルゼンチン、チリ、エクアドル及びコロンビア南西部の大半まで拡大し、規模と力が絶頂に達した。
- c. 1529 — c. 1532 インカ内戦
- 1525 — 1572 スペインのインカ帝国征服
- 1525 プンタ・ケマダの戦い
- 1531 プナ島の戦い
- 1532 カハマルカの戦い
- 1533 ヴィルカコンガの戦い
- 1533 クスコの戦い
- 1534 マライカラの戦い
- 1534 チンポラゾ山の戦い
- 1536 クスコ包囲戦
- 1537 オリャンタイタンボの戦い
- 1537 アバンカイの戦い
- 1538 ラスサリナスの戦い
- 1542 チュパスの戦い
- 1546 アニャキートの戦い
- 1547 ウアリナ(Huarina)の戦い
- 1548 Jaquijahuanaの戦い
- 1572 スペインとの最終戦争
- 1812 — 1821 ペルー独立戦争
- 1836 — 1839 連合戦争 - ペルー・ボリビア連合とチリの間の戦争
- 1879 — 1884 太平洋戦争でボリビアとペルーがチリと戦闘
- 1932 — 1933 コロンビア・ペルー戦争
- 1941 — 1942 エクアドル・ペルー戦争
- 1981 エクアドルとペルーがPaquisha事件で再び衝突した
- 1980 — 進行中 ペルー武力紛争 - センデロ・ルミノソとペルー政府間での戦闘
- 1995 エクアドルとペルーがセネパ戦争で領土を巡って争った
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