勝山城 (長門国)
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周辺
勝山御殿跡の周辺には、勝山の他に青山(形山)と四王司山があり、勝山三山のハイキングコースとして市民に親しまれている。青山の山頂には青山城跡がある。
- 青山城
- 青山は、勝山の南西方向で尾根続きとなっている。築城年代は不明だが、大永7年(1527年)の勝山青山の戦いで、青山城は陥落したと言われている。その後永禄年間(1560年頃)に、大友氏への備えとして毛利氏が築城(修改築)したと考えられている。頂上付近には、曲輪・石垣・竪堀などが残っている。
参考文献
小都隆「元就関係の史跡・城郭事典」(河合正治編『毛利元就のすべて』新人物往来社、1986年)
外部リンク
- ^ a b c 史跡等の指定等について(平成30年11月16日)(「新指定・新登録・新選定」答申物件 (PDF) ・史跡等の指定等 (PDF) ) - 文化庁
- ^ a b 「勝山御殿跡」(文化遺産データベース)文化庁公式HP
- ^ a b 「官報」平成31年(2019年)2月26日号外
- ^ [1]
- ^ 勝山城跡の説明板「勝山の歴史」(平成15年3月・勝山三山を守る会)より。
- ^ a b c d 小都 1986, p. 220.
- ^ 武家諸法度の築城禁止規定により勝山御殿と称したものの、実態は総石垣造りの本格的な城であった。
- ^ 城門から侵入しようとする敵兵の側面を攻撃(迎撃)ができるよう、城郭から枡形の張り出しが造られている。横矢掛りとも呼ばれる。
- ^ 【今こそ知りたい幕末明治】(38)近世城郭の“最終形”勝山御殿 - 産経ニュース(産経新聞)2017年11月10日
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