内田村 (千葉県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 18:40 UTC 版)
地理
市原郡(郡域はほぼ現在[注釈 1]の市原市と重なる)の中部に位置する村であった[1]。1916年(大正5年)時点では、北は養老村と、東は長生郡の水上村・豊栄村と、南は平三村・富山村・鶴舞町と、西は明治村(のちの牛久町)と接していた[1]。
1916年(大正5年)に編纂された『千葉県市原郡誌』によれば、宿(しゅく)・石川(いしかわ)・米沢(よねざわ)・真ケ谷(しんがや)・安久谷(あくや)・原田(はらだ)・江子田(えごた)・奥野(おくの)・堀越(ほりこし)・島田(しまだ)・市場(いちば)・水沢(みずさわ)の12区(いずれも町村制以前の旧村=大字)からなっていた[2]。これらの12個の大字は、現在の市原市の大字として存続している。
歴史
町村制施行以後の行政区画変遷年表
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、石川村・米沢村・真ヶ谷村・安久谷村・原田村・江子田村・奥野村・堀越村・宿村・島田村・市場村・水沢村が合併し市原郡内田村が発足。
- 1954年(昭和29年)11月15日 - 戸田村、平三村、鶴舞町、牛久町と合併し南総町となり消滅。
- 1967年(昭和42年)10月1日 - 南総町と加茂村が市原市へ編入。南総町は消滅。
脚注
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