リントン・クウェシ・ジョンソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 06:30 UTC 版)
経歴
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1952年、ジャマイカクラレンドン教区チャペルトンに生まれる。1963年、11歳のときイギリス・ロンドンのブリクストン地区に移住する[1]。
ジョンソンはロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ社会学部在学中にブラックパンサー党に入党し[1][2]、ラスタ・ラブ (Rasta Love) という詩人とドラマーのグループと共に詩のワークショップを行っていた。
1974年、22歳のとき『レース・トゥデイ (Race Today)』誌に掲載された詩「Voices of the Living and the Dead」でデビュー。翌1975年には初の詩集『Dread Beat an' Blood』を発表した[2]。
1978年にはプロデューサーのデニス・ボーヴェルと組み、上記の詩に伴奏を乗せ、朗読した世界初のダブ・ポエトリー作品となる『Dread Beat an' Blood』を発表した。
1979年にはデニス・ボーヴェル(ベース)、ジョン・カパイ(ギター)、トニー・"ガッド"・ロビンソン(キーボード)、ドラミー・ゼブ(ドラム)によって彼の専属バンドである「ザ・ダブバンド (The Dub Band)」を結成した。また同年にはフランコ・ロッソ監督によりロンドン・ブリクストンで活動するジョンソンを追ったドキュメンタリー映画『Dread Beat an' Blood』が製作された。 1985年と1999年に来日公演を行っている[1]。
- ^ a b c 石田昌隆「Dub No Dead」 - Online Riddim
- ^ a b Linton kwesi Johnson Archived 2009年5月13日, at WebCite - contemporary writers.com
- ^ Wroe, Nicholas (2008年3月8日). “The Guardian” (English). オリジナルの2009年5月13日時点におけるアーカイブ。 2009年5月13日閲覧。
固有名詞の分類
レゲエ・ミュージシャン |
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詩人 |
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イギリスの詩人 |
ウェンディ・コープ テッド・ヒューズ リントン・クウェシ・ジョンソン ジェフリー・チョーサー ウィルフレッド・オーエン |
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