リアルト (カリフォルニア州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/17 06:22 UTC 版)
歴史
リアルトの地域で考古学者が発見した古代の人工物からは、西暦1500年以前に人が住んでいたことを示唆している。その人工物は現在リアルト歴史協会に保存されており、1500年から1800年の間にソラノ族インディアンが住んでいたことを示している。これらの民族が最終的にどこに行ったかについては痕跡が残っていない。
1851年、マウンテン家がルゴ家のランチョ・サンバーナーディーノの一部を購入し、その他にも後にリアルトとなる場所の一部について所有権を主張した。この主張はアメリカ合衆国連邦政府から認められなかった。
19世紀初期から長年にわたって多くの目的に使われた1軒のアドベの建物が現在もリアルト市内に建っている最古の建造物であり、元はライラック公園と呼ばれていた現在のバドベンダー公園に移築された。リアルト市はこの建物と公園の小さな土地をリアルト歴史協会に年1ドルで貸している。
1887年、アッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道がサンバーナーディーノ市とパサデナ市を繋ぐ連絡線を建設した。この線にそって2,600ヤード (2.4 km) 毎に町を建設する用地が設定され、その年の秋までに25個の新しい町が建設された。これと同じ年に亜熱帯土地水会社が結成され、不動産、水、水利権の売買を行うようになった。
1888年秋、最初の学校が建設され、ブルック教育学区が創設された。その後の記録でこの学区は1888年の極短期間を除いて、1920年まで活動を続けていた。リアルトの著名人トラップ家が1921年に最初の校舎を購入し、建物を改修して家族が住んでいたが、火事のために焼失した。1891年にリアルト教育学区(現在のリアルト統一教育学区)が結成された。その要員は2人の教師と1人の校長であり、少年少女を教えるそれぞれの専門分野を持っていた。
1907年に商工会議所が設立された。それから4年間で人口は1,500人、事業所は40となり、地方新聞が1つあった。商工会議所は1911年春に法人化された。同年10月31日に行われた住民投票では、市制執行に賛成票135対反対票72という結果になった。
1913年にフットヒル・ブールバードが補修され、大陸横断高規格道路の一部であるアメリカ国道66号線になった。1914年、ロサンゼルスのパシフィック電鉄がリアルト市を通るサンバーナーディーノ線を開通させ、リバーサイド・アベニューでリバーサイド線と接続された。現在、第1通りから上の軌道はユニオン・パシフィック鉄道の一部であり、リバーサイド・アベニューにあるパシフィック電鉄の駅はクカのレストランになっている。
1920年代の火事で町の中心街にあった多くの建物が灰燼に帰した。
水質汚染
1990年代後半、水道局の役人が、上水道の水に含まれる過塩素酸塩の量が他の州で推奨される安全基準の800倍にも達していることを発見した。
この汚染は町の飲料水用井戸の幾つかにも染み込んでおり、1950年代と1960年代にグッドリッチ・コーポレーションとブラック・アンド・デッカーが所有していた工業用地の土壌に棄てられたものによる可能性が出ている。両社共に国防総省との契約で武器製造装置を運転しており、大量のロケット燃料を使っていた。この工場の元従業員に拠れば、操業中にロケット燃料が装置から漏れることが多く、また従業員は定期的に工場背後の漏水防止処理をしていない穴にロケット燃料を棄てていたとのことだった。
何年にもわたる交渉が続いたが、グッドリッチ・コーポレーションとブラック & デッカーはリアルト市北部の環境から有毒物質を取り去ることに合意していない。学術研究に拠れば、汚染された井戸で計測されたような量の過塩素酸塩を接種した場合、注意力欠如障害や学習障害を起こし、IQを下げる可能性がある。
汚染された井戸は使えず、渇水都市リアルトは飲料水不足の瀬戸際にある。住民は汚染を引き起こしたものに水を浄化するよう求めるために水道料の引き上げを飲む必要に迫られてもいる。
現代
2005年9月13日、リアルト市政委員会はリアルト警察署を解体し、サンバーナーディーノ郡保安部と契約を結ぶ決議案を承認した。それから間もなく、サンバーナーディーノ郡裁判所がこの変更のための投票が秘密の内に行われたとして差止命令を発行した。その結果市政委員のエド・スコットとウィンフレッド・リー・ハンセンがリコールの対象になった[3]。2006年3月、市の指導者達は警察署を維持することを決めた[4]。
1994年、リアルト・ウェスタン・リトルリーグがライラック公園で南カリフォルニア選手権を開催し、その優勝チームが地域トーナメントに進出した。その勝者がノースリッジシティ・リトルリーグであり、ペンシルベニア州サウスウィリアムズポートで開催されたリトルリーグ・ワールドシリーズに進出した。
リアルト市の人口は1950年までに3,156人になっていた。これが1956年には15,359人、1964年には23,290人、1978年で33,500人と増加していき、1994年に80,000人、2000年に91,873人となった。リアルトの市域は幅4マイル (6.4 km)、長さ8.5マイル (13.6 km) ある。
市のウェブサイトに拠れば、スーパーウォルマートの建設が交渉中である。建設するとなれば、現在ウォルマートの店舗がある市の南部に建設されることになる。
エティワンダ | ライトルクリーク | デボア | ||
フォンタナ | サンバーナーディーノ | |||
リアルト | ||||
ブルーミントン | リバーサイド | コルトン |
- ^ “Incorporation Dates of California Cities”. 2012年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月20日閲覧。
- ^ “CENSUS QUICK FACTS”. 2023年7月17日閲覧。
- ^ www.pe.com Archived 2006年1月9日, at the Wayback Machine.
- ^ Rialto Police Department Archived 2011年5月20日, at the Wayback Machine.
- ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12) 2011年4月23日閲覧。
- ^ City-data.com. Rialto, California. Retrieved on December 23, 2009.
- ^ “Will Gerrymandered Districts Stem the Wave of Voter Unrest?”. Campaign Legal Center Blog. 2007年10月18日閲覧。
- ^ Fontana Unified School District
- ^ Colton Joint Unified School District
- ^ Rialto to induct first group to city Hall of Fame Archived 2009年5月10日, at the Wayback Machine.
- ^ Rep. Baca Inducted Into Rialto Hall of Fame
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