ラトナ・マッラ ラトナ・マッラの概要

ラトナ・マッラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/07 13:20 UTC 版)

生涯

1482年、父ヤクシャ・マッラが死亡し、長子ラーヤ・マッラが王位を継承した。だが、次子ラトナは兄が柔和であることを見て、露骨な敵対意識をあらわにした。

1484年、ラトナはカトマンズを占拠し、独立した。ここにマッラ朝はカトマンズとバクタプルに分裂するに至った。

その治世、クク族を名乗るチベット人が侵入してきたが、セーナ王国に援助を求めた結果、カサ族の援軍が派遣され撃破することができた。王は滞在を求めたカサ族に土地を与え、カサ族はカトマンズの軍事を担うようになった。

1520年、ラトナは死亡し、息子のスーリヤ・マッラが王位を継承した。

参考文献

  • 佐伯和彦 『ネパール全史』 明石書店、2003年 

関連項目




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