ライスボートの戦い 戦いの後

ライスボートの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:37 UTC 版)

戦いの後

マッキントッシュ大佐は翌日バークレイ海軍大佐に和平の使者を送り、捕虜の交換を要求した。バークレイがこれを拒むと、安全委員会は残っていたライトの部下の議員たちの逮捕を命令した。この動きが功を奏した。イギリス軍が拘束していた捕虜は、これら議員達の保護と交換に釈放された[14]

これらの動きがあったにも拘わらず、イギリス軍は商船の大半をバック川から河口に帆走させることに成功した。ただし、その中には、浅い水路を通るために荷物の一部を捨てる必要性があった船もあった[15]。これらの船がタイビー島に到着すると、イギリス軍が望んでいた食料である1,600樽のコメがイギリス艦隊の輸送船2隻に積み替えられた[16]

艦隊は、捕虜交換の交渉が進行している間、タイビー島沖で停泊していた。この間に艦隊は到着してくる船舶数隻を拘束し、それらは後に「賞金」として処理された[17]。3月25日、サバンナ市から1隊の民兵が派遣され、島の家屋を全て燃やして、ライトや艦船の士官達が使えないようにした[18]。バークレイは3月30日に碇を挙げ、商船と輸送艦を護衛して北に向かった[19]。その3月始めにイギリス軍はボストンを放棄していたので、ロードアイランドニューポートに立ち寄ったが、土地の愛国者達が援助を拒み、野砲を使って艦船に発砲した[20]。バークレイは5月にノバスコシアハリファックスでイギリス軍と合流できた[21]

この戦闘とライト総督が立ち去ったことで、ジョージアにおけるイギリスの支配は中断された。1778年12月にイギリス軍はサバンナ市を占領した。ライト総督がサバンナ市に戻り、1782年までイギリスの支配下に置いた[22]


  1. ^ a b c Russell, p. 74
  2. ^ Jones, pp. 194–210
  3. ^ Jones, p. 180
  4. ^ Johnson, p. 129
  5. ^ a b Johnson, p. 128
  6. ^ Russell, p. 73
  7. ^ Jones, p. 212
  8. ^ Jones, pp. 215–217
  9. ^ Jones, p. 188
  10. ^ a b c Russell, p. 75
  11. ^ Jones, pp. 225–226
  12. ^ Jones, pp. 221–223
  13. ^ a b Jones, p. 227
  14. ^ Jones, p. 228
  15. ^ Clark, vol 4, pp. 279,494
  16. ^ Clark, vol 4, p. 444
  17. ^ Clark, vol 4, p. 327
  18. ^ Jones, p. 229
  19. ^ Clark, vol 4, p. 602
  20. ^ Clark, vol 4, pp. 815,1114
  21. ^ Clark, vol 5, p. 118
  22. ^ Cashin





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