マガジャネス (砲艦)とは? わかりやすく解説

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マガジャネス (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 07:54 UTC 版)

「マガジャネス」
「マガジャネス」の甲板の様子

マガジャネス (Magallanes) はチリ海軍砲艦[1]ないしコルベット[2]太平洋戦争や1891年の内戦に参加し、また測量などに従事した。

艦のデータ

排水量950トン、長さ196フィート9インチ (59.89m)、幅29フィート100インチ (9.09m)、速力11ノット[3]。帆装はバーク[3]。兵装はアームストロング7インチ前装施条砲1門、アームストロング64ポンド前装施条砲1門、アームストロング4インチ20ポンド前装施条砲2門であった[3]

艦歴

ロンドンのRaenhill社で建造[1]。1873年7月28日進水[1]

1875年、「マガジャネス」はBahía Posesiónの測量を実施[1]。次いでAngostura Inglesaなどの測量に参加した[1]

1876年、パタゴニアの領有権主張のため、「マガジャネス」はアルゼンチンから許可を得てMonte León島でグアノを積んでいたフランス船「Jeanne Amélie」の拿捕に向かわされた[4]。「マガジャネス」は「Jeanne Amélie」を拿捕するとプンタ・アレーナスへ曳航していこうとしたが、同船は強風のため難破した[4](4月27日沈没[1])。後に、「マガジャネス」は同様の船をもう1隻(アメリカ船「Devonshire」)拿捕している[5]

1877年、「マガジャネス」はプンタ・アレーナスで起きた反乱を鎮圧した[1]

太平洋戦争

1879年4月12日、「マガジャネス」はペルーの「Unión」、「ピルコマヨ」と遭遇し交戦[6]。同月、「マガジャネス」と「アルミランテ・コクレーン」はMollendoを攻撃した[7]

5月16日(15日[8]とも)、「ブランコ・エンカラダ」、「アルミランテ・コクレーン」、「マガジャネス」などはイキケからカヤオ攻撃に向かう[9]。しかしイキケに着いたときそこには目標とするペルーの装甲艦2隻はおらず、チリ側は攻撃をせずに引き返した[10]

6月3日、「ブランコ・エンカラダ」と「マガジャネス」はペルー装甲艦「ワスカル」と遭遇し、長時間にわたる追跡を行ったが結局逃げられた[11]。7月9日から10日の夜、「マガジャネス」はイキケに現れた「ワスカル」と交戦[12]。「アルミランテ・コクレーン」が現れると「ワスカル」は逃走した[13]。8月下旬には「マガジャネス」はアントファガスタで「ワスカル」と交戦した[14]

チリ側は「ワスカル」を破壊するため、タールで覆ったダイナマイトを用いた作戦を計画していた[15]。「マガジャネス」が艀に乗せて流したそれを回収したペルー側が窯に投入すると艦が破壊される、というものである[15]。しかし「ワスカル」はアンガモスの海戦の結果、チリ側に鹵獲された。その海戦後、「マガジャネス」ではその爆発物入りの石炭は燃料庫に戻され、それによって艦が破壊されそうになっている[16]

10月28日、「マガジャネス」はPisagua攻略部隊を乗せた船団を「アルミランテ・コクレーン」などと共に護衛してアントファガスタから出撃した[17]。上陸は11月2日に行われた[18]

11月28日から「マガジャネス」は他艦と共にアリカ封鎖を開始[19]。1880年2月26日、「マガジャネス」と「ワスカル」は砲台と交戦した[20]。アリカ付近に集結したチリ軍は6月5日に攻撃を開始し、翌日は「マガジャネス」や「アルミランテ・コクレーン」などによる砲撃も行われた[21]。6月7日、アリカは陥落した。

11月下旬から12月上旬にかけて「マガジャネス」はコルベット「アブタオ」とともにアリカからPiscoへ向かった兵員輸送船団を護衛した[22]

1885年、「マガジャネス」はBahía de Araucoなどの測量やPalena川などの地図作成を行った[1]。1886年、Santa María島などの調査を実施[1]。1887年と1888年にはPuerto Condell、Bahía Posesiónなどの、1889年にはseno última EsperanzaIsla Orellaなど測量に参加した[1]

内戦

1891年1月に始まった内戦では議会派が海軍を掌握しており、「マガジャネス」もそちら側に属す[23]。1月6日時点で「マガジャネス」は「ブランコ・エンカラダ」、「エスメラルダ」、「O'Higgins」とともに就役状態でバルパライソ湾にあった[24]

「マガジャネス」と「アルミランテ・コクレーン」は北部の港の封鎖、占領に向かい、「マガジャネス」はPisaguaの封鎖を命じられた[25]。同地の守備隊はわずかですぐに降伏したが、イキケから政府軍が来たことで1月26日にPisaguaからは撤収となった[26]

議会派の軍は8月20日にバルパライソの北に上陸し、28日にバルパライソを占領した[27]。8月20日、バルパライソから出てきた水雷艇「Sargente Aldea」、「Guale」を「マガジャネス」と「エスメラルダ」、「Biobio」は追い払った[28]。8月21日、議会派の軍のアコンカグア川渡河の際、「マガジャネス」は「エスメラルダ」などと共に支援した[29]

1893年、「マガジャネス」はReina Adelaida諸島を探査し、またislas Cuarenta Díasの地図を作製した[1]。1895年にはチロエ島東岸の地図作成などに従事[1]。1897年と1898年、「マガジャネス」はCanal Bárbaraの探査やBahía Gente Grandeの測量などを行った[1]。1903年から1906年にかけては「マガジャネス」はSeno OtwayFitzroy Channel、Reina Adelaida諸島、タイタオ半島などの測量や調査に参加した[1]

1906年に「マガジャネス」は商船になり、翌年Corral出港時に嵐により難破した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Cañonera "Magallanes" 2° - Armada de Chile
  2. ^ Andean Tragedy, p. 97
  3. ^ a b c Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905, p. 413
  4. ^ a b "Guano extraction in Atlantic Patagonia (1840–1880)", p. 301, Conflict in the Southern Cone, p. 28
  5. ^ "Guano extraction in Atlantic Patagonia (1840–1880)", p. 301
  6. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 36-37, Ironclads at War, p. 302
  7. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 38
  8. ^ Andean Tragedy, p. 124
  9. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 39, Ironclads at War, p. 302
  10. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 39, Andean Tragedy, p. 126
  11. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 52-53, Andean Tragedy, p. 140-141
  12. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 54, 56, Ironclads at War, p. 309
  13. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 54, 56
  14. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 61-62, Andean Tragedy, p. 152
  15. ^ a b Andean Tragedy, p. 162
  16. ^ Andean Tragedy, p. 163
  17. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, pp. 75, 77, Andean Tragedy, pp. 171-172
  18. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 79
  19. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 89, Andean Tragedy, p. 214
  20. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 99
  21. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 102
  22. ^ The Naval War of Pacific 1879-1884, p. 128
  23. ^ Ironclads at War, p. 319, Cañonera "Magallanes" 2° - Armada de Chile
  24. ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 136
  25. ^ Four Modern Naval Campaigns, pp. 139, 146
  26. ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 146
  27. ^ Ironclads at War, pp. 322-323
  28. ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 175
  29. ^ Four Modern Naval Campaigns, p. 179

参考文献

  • Piotr Olender, The Naval War of Pacific 1879-1884: Saltpeter War, MMPBooks, 2020, ISBN 978-83-65958-77-8
  • Jack Greene, Alessandro Massignani, Ironclads at War: The Origin and Development of the Armored Warship, 1854-1891, Combined Publishing, 1998, ISBN 0-938289-58-6
  • William F. Sater, Andean Tragedy: Fighting the War of the Pacific, 1879-1884, University of Nebraska Press, 2007
  • William Laird Clowes, Four Modern Naval Campaigns: Historical, Strategical, and Tactical with Maps and Plans, Unit Library, 1902
  • Conway's All the World's Fighting Ships 1860-1905, Conway Maritime Press. 1979, ISBN 0-8317-0302-4
  • Sofía Haller, "Guano extraction in Atlantic Patagonia (1840–1880)", International Journal of Maritime History, 2022, Vol. 34(2), pp. 282–303
  • George v. Rauch , Conflict in the Southern Cone: The Argentine Military and the Boundary Dispute with Chile, 1870-1902, Praeger, 1999, ISBN 0-275-96347-0
  • Cañonera "Magallanes" 2° - Armada de Chile(2023年2月6日閲覧)



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