ホージャ・ムハンマド・ヤフヤー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:55 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動概要
ホージャ・アファークの長男[1]。1694年初めにアファークが死亡すると[1]、その跡を継いでカシュガルの支配者になった[2]。アファークの後妻だったハヌム(ムハンマド・アミーンの妹)は自分の子供のマフディー(ヤフヤーの異母弟)をアファークの跡継ぎにしようとして、ヤフヤーとの間でヤルカンドをめぐる抗争が起こった。10月、ヤフヤーはハヌムの手の者によって暗殺され、ヤフヤーの一族も子供のアフマドを除いて皆殺しにされた[3]。
参考文献
- 澤田稔「歴史書としての聖者伝─16~18世紀カシュガル・ホージャ家の伝記『タズキラ・イ・ホージャガーン』 (PDF) 」 『日本中央アジア学会報』第14号、日本中央アジア学会、2018年7月31日、 1-22頁、 ISSN 1880-0076、2022年3月23日閲覧。
- 1 ホージャ・ムハンマド・ヤフヤーとは
- 2 ホージャ・ムハンマド・ヤフヤーの概要
- ホージャ・ムハンマド・ヤフヤーのページへのリンク