ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵夫人) ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵夫人)の概要

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ブランシュ・ド・フランス (オルレアン公爵夫人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 01:17 UTC 版)

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ブランシュ・ド・フランス
Blanche de France
カペー家
ブランシュ・ド・フランスの墓碑

称号 オルレアン公妃
出生 (1328-04-01) 1328年4月1日
フランス王国、シャトー=シュル=ロワール
死去 (1393-02-08) 1393年2月8日(64歳没)
フランス王国ヴァンセンヌ
埋葬 フランス王国サン=ドニ大聖堂
配偶者 オルレアン公フィリップ
父親 フランスシャルル4世
母親 ジャンヌ・デヴルー
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生涯

カペー家嫡流はシャルル4世の死によって男子が絶えたものの、王妃ジャンヌは夫が死去した1328年2月時点で第3子を懐妊中であり(すでに夭逝していた第1子ジャンヌ、当時はまだ存命の第2子マリーとも女子であった)、男子の出産が期待された。しかし生まれたのが女子ブランシュであったため、カペー朝の断絶が確定し、サリカ法を根拠にヴァロワ家フィリップ6世が即位した。ただしカペー家の女子は他にも、シャルル4世の長兄ルイ10世の娘にジャンヌ、次兄フィリップ5世の娘にジャンヌマルグリットの他2人といった、ブランシュの従姉にあたる王女がおり、ルイ10世の娘のジャンヌにはナバラ王国(カペー朝末期にフランス王が王位を兼ねていた)の王位継承が認められた。

1345年、ブランシュは父方・母方の双方で又従弟に当たる、フィリップ6世の息子オルレアン公フィリップと結婚した。2人の間に子供はなく、ブランシュは夫フィリップと1376年に死別した。

死後、ブランシュはサン=ドニ大聖堂に葬られた。




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