ジョン・ランドルフ 政歴

ジョン・ランドルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:59 UTC 版)

政歴

ランドルフは26歳という異常な若さでアメリカ合衆国第6議会の議員に選出され、その後6期連続して(1799年-1813年)務めた。ニューハンプシャー州出身の連邦党員ウィリアム・プラマーは、その衝撃的な登場に関して1803年に次のように記した。

ランドルフ氏はブーツを履き、拍車を付け、手に鞭を持って下院に行っており、イギリス議会の一員の真似だと言われている。大変ほっそりしているが普通の背丈である。少し離れると年上には見えない。しかし近づくとその皺や灰色の髪が見える。30歳くらいだと思われる。著名なインディアンの王女ポカホンタスの直系の子孫である。連邦党員は彼を冷やかし、軽蔑している振りをするが、軽蔑された敵が危険な敵であることが多い。確かにその才能は月並みなものを遥かに超えている。人気のある演説家として下院の誰にも劣っていない。私は彼の創造力と演説を賞賛するが、彼の政治は嫌いである。

ランドルフは第7議会から第9議会まで下院歳入委員会の議長を務め、民主共和党指導者の代行を務めた。1806年に従兄弟であるトーマス・ジェファーソン大統領と訣別した後、民主共和党の派閥であるターシャム・クイッド(第3のもの)を作った。この派は、1798年の原則への帰還を要求し、忍び寄る国家主義と考えられるものを否認した。

ランドルフは独立戦争世代の政治的な理想を強く賞賛していたが、南部の反連邦主義感情に影響され、バージニアのエリート郷士の伝統的父性社会が、政府による最小の干渉によって社会の安定性を保つことを要求する共和主義の考え方を提唱した。1804年1月にはニューハンプシャーの地区裁判所判事ジョン・ピッカリングに対する弾劾裁判を行い成功させた議員の一人だった。同年12月に最高裁判所陪席判事のサミュエル・チェイスを弾劾しようとして失敗したことについて、ランドルフを非難する者もいた。

1807年6月、バージニア州リッチモンドでの大陪審を監督した。これはアーロン・バーなどを反逆罪で起訴するかを検討するものだった。審問の最後になって、トーマス・ジェファーソンがバーの主要告訴人であるジェイムズ・ウィルキンソン将軍を支持したことで、ランドルフは怒った。ランドルフは、ウィルキンソンが信頼にも尊敬にも値しない人物だと考えた。

ランドルフは米英戦争に反対したために、1912年の選挙では落選したが、1814年と1816年には再選された。1期を飛ばして再度選出され、1919年から辞任した1925年まで下院議員を務めた。1825年12月には上院議員の空席を埋めるために指名され1827年まで務めた。その後も下院議員に選出され歳入委員会の議長を務めた。

1829年にはリッチモンドでのバージニア州憲法制定会議の一員になった。1930年にはアンドリュー・ジャクソン大統領から在ロシアアメリカ合衆国大使に指名されて着任したが、同年9月に健康上の理由で辞任した。

1832年には再度下院議員に選ばれ、1833年5月24日にフィラデルフィアで死ぬまで務めた。ランドルフは生涯結婚しなかった。

ジョン・グリーンリーフ・ウィッティアの詩「ロアノークのランドルフ」は、バージニアが「奴隷権力」の象徴になった後に書かれたものだが、ランドルフの奇妙な輝きを伝えている。

Mirth, sparkling like a diamond shower,
From lips of life-long sadness;
Clear picturings of majestic thought
Upon a ground of madness
While others hailed in distant skies
Our eagle's dusky pinion,
He only saw the mountain bird
Stoop o'er his Old Dominion!
All parties feared him; each in turn
Beheld its schemes disjointed,
At right or left his fatal glance
And spectral finger pointed
その陽気さはダイヤモンドシャワーのように輝き
終生悲しみを湛えた唇からは
壮大な思想をはっきりと描き出す
それは狂気の上に乗っている
他の者が遠くの空を見て
鷲のほの暗い翼を褒めるとき
彼は山の鳥だけを見ており
昔の領地に屈みこんでいる!
全ての党派が彼を恐れ、翻って
その計画が解体されるのを見守る
かれの宿命的な視線が右を向くか、左を向くか
不安の指が何を指すかを

  1. ^ ロアノークとはバージニア州シャーロット郡のロアノーク・プランテーションのことであり、同じバージニア州のロアノーク市ではない。
  2. ^ Varon, Elizabeth R. Disunion! The coming of the American Civil War. University of North Carolina Press.2008, p. 36
  3. ^ Page, Richard Channing Moore (1893) “Randolph Family” Genealogy of the Page Family in Virginia (2 ed.) New York: Press of the Publishers Printing Co. pp. 249–272 http://books.google.com/books?id=cOBBAAAAMAAJ&pg=PA247#v=onepage&q&f=false 
  4. ^ Glenn, Thomas Allen, ed. (1898) “The Randolphs: Randolph Genealogy” Some Colonial Mansions: And Those Who Lived In Them : With Genealogies Of The Various Families Mentioned 1 Philadelphia, Pennsylvania: Henry T. Coates & Company pp. 430–459 http://books.google.com/books?id=iQkpAAAAYAAJ&pg=PA433#v=onepage&q&f=false 
  5. ^ Louise Pecquet du Bellet, Some Prominent Virginia Families, p. 161
  6. ^ McCarthy, Daniel (2008-05-05) Fewer Bases, More Baseball, The American Conservative
  7. ^ Borneman, Walter R., Polk: The Man Who Transformed the Presidency and America. New York: Random House, 2008 ISBN 978-1-4000-6560-8. p. 25
  8. ^ Peter Kolchin, American Slavery: 1619-1877, New York: Hill and Wang, 1993, p. 81
  9. ^ a b David Lodge, "John Randolph and His Slaves", Shelby County History, 1998, accessed 15 March 2011
  10. ^ Peter Finkelman, "Thomas Jefferson and Anti-Slavery: The Myth Goes On", Virginia Historical Quarterly, Vol. 102, No. 2 (April 1994), p. 222, accessed 14 March 2011
  11. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Randolph, John" . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
  12. ^ David Lodge, "Randolph Slaves Come to Ohio", Untitled article, Cincinnati Gazette, 2 July 1846, at Shelby County History, 1998, accessed 15 March 2011
  13. ^ a b Garland, Hugh A. (1874). “IX: Conversion”. The Life of John Randolph of Roanoke. II (13th ed.). New York: D. Appleton and Co.. pp. 94–104 
  14. ^ Russell Kirk, The Conservative Mind (1953), p. 130.





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