ジャン・バティスト・ルイ・グロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/21 06:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動グロ男爵はアロー戦争(1856年 - 1860年)に際しては、フランス軍の指揮を執っている。
1858年10月9日(安政5年9月3日)、江戸で日仏修好通商条約が締結されたが、グロ男爵はフランス側代表として、それに署名している[1]。随員にはギュスターヴ・デュシェーヌ・ド・ベルクール(初代駐日フランス公使)やシャルル・ド・モンブラン(後に在フランス日本総領事となる)がおり、また通訳はメルメ・カション神父が務めた。
彼の撮影したダゲレオタイプは有名であるが、数は少ないものの、南アメリカの風景を描いた絵画も、そのリアリズムが印象的である。
1851年のロンドン万国博覧会において、彼の姿が写真撮影されている。
1858年(安政5年)の日仏修好通商条約から数えて、国交開始150周年となる2008年に、日仏両国の代表的な人物の記念切手が発売された。グロ男爵はその「幕末シリーズ」10人の中に選ばれている。
参考
- クリスチャン・ポラック著「絹と光―知られざる日仏交流100年の歴史」、アシェット婦人画報社(2002年)、ISBN: 978-4573062108
関連項目
- 駐日フランス公使のリスト
- 日仏関係
- ^ ポラック 2001, p.29
- 1 ジャン・バティスト・ルイ・グロとは
- 2 ジャン・バティスト・ルイ・グロの概要
固有名詞の分類
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