ザカリー・ダナヒュー 経歴

ザカリー・ダナヒュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 17:55 UTC 版)

経歴

11歳でスケートを始めた。2006-2007シーズンにはケイトリン・パティトゥッチと組んで全米選手権の予選会であるイースタンセクショナルのノービスクラスで5位に入った。翌2007-2008シーズンにはリリー・ラマーと組んでイースタンセクショナルのジュニアクラスで5位に入った。

2008-2009シーズンからパイパー・ギレスと組んで国際大会初出場となったジュニアグランプリシリーズのチェコスケートで優勝。スケートサファリでは2位となりジュニアグランプリファイナル進出も決めたがギレスの怪我で出場を辞退した。2009年、2010年の全米選手権では2年連続でジュニアクラスで銅メダルを獲得するも、世界ジュニア選手権への出場はならなかった。

2011年5月12日、マディソン・ハベルとのパートナー結成を発表した[1]。国際大会デビュー、そしてシニアデビューとなったネーベルホルン杯でいきなり優勝を果たした。全米選手権では3位となり、初の世界選手権の代表に選ばれた。

2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯で2度目の優勝。スケートカナダで3位となりグランプリシリーズで初のメダルを獲得。全米選手権では2年連続で4位となりソチオリンピックへの出場とはならなかったが、四大陸選手権では初優勝を飾る。世界選手権の第1補欠に選ばれていたが、ハベルの臀部の手術のために出場を辞退した[2]

2015年4月、マリー=フランス・デュブレイユ/パトリス・ローゾン夫妻にコーチを変更し、練習拠点をカナダモントリオールへ移した[3]

2015-2016シーズン、エリック・ボンパール杯はFDの前に中止となったが、SD1位が最終順位となったため、グランプリシリーズ初優勝を飾った。初進出のグランプリファイナルでは6位。世界選手権では自己最高の6位に入った。

2016-2017シーズン、2年連続のグランプリファイナル進出を決めた。同大会では5位となり、同じアメリカのマディソン・チョック/エヴァン・ベイツ組に、2012年全米選手権以来約5年ぶり勝利を収めた。世界選手権では、SDで自己ベストを更新し、アメリカカップル最上位の3位につけた。しかしながら、FDのシンクロナイズドツイズルで転倒する大過失を犯し、9位に順位を落とし初メダルを逃した。

2017-2018シーズン、スケートカナダで2位、NHK杯で3位となり3年連続の進出となったグランプリファイナルでは4位となった。全米選手権ではSD2位、FD2位ながらもTSS1位で初優勝を果たし初めて五輪代表入りを果たした。平昌五輪ではSD3位につけるもFDでのシンクロナイズドツイズルでのレベルの取りこぼしやコレオツイズルのノーカウントなどミスが響き、4位に終わった。世界選手権ではSDで全ての要素でレベル4を揃え、自身初の80点越えとなる80.42で2位につけると、FDでもレベルを揃える安定した演技で総合2位となり悲願のメダルを獲得した。








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