グルィフ (機雷敷設艦)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/06 14:40 UTC 版)
艦歴
就役から第二次世界大戦まで
本艦は平時はグディニャで機雷敷設艦兼練習艦として運用されていた。
第二次大戦から戦没まで
1939年9月1日、グルィフは300個の機雷を乗せて10隻(ブルザ級駆逐艦「ヴィヘル」、掃海挺「ヤスクウカ」「チャプラ」「ジュラフ」「チャイカ」「ルィビトヴァ」「メヴァ」、砲艦「コメンダント・ピウスツキ」「ゲネラウ・ハルレル」) で臨時の戦隊を編成して[要出典]ヘル半島南東沖への機雷敷設に向かった[1]。だが、その途中でドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカース Ju 8733機による攻撃を受けた[1]。直撃弾こそなかったものの、至近弾により掃海艇1隻が損傷し、グルィフでも戦隊司令を兼ねる[要出典]艦長以下21名が戦死した[2]。(Battle of the Danzig Bay)グルィフの機雷は爆撃に伴う火災で誘爆を防ぐために海中投棄されて[要出典]、グルィフはヘルへと向かい、損傷がひどかったグルィフはそこで砲台とされた[3]。9月3日、ドイツ駆逐艦レーベレヒト・マース、ヴォルフガング・ツェンカーが現れ、グルィフやヴィヘル、ヘルの砲台と交戦した。この戦闘でグルィフには2発の命中弾があり、乗員4名が戦死した[4]。同日、グルィフはドイツ空軍による攻撃で撃沈されたが、水深が浅かったため搭載火器は回収されヘル半島の防衛に用いられた[5]。
第二次世界大戦後の1957年に民間業者に売却されて浮揚され、1960年に解体処分され一部の武装はポーランド海軍博物館に保存された。
関連項目
参考文献
- Vincent P. O'Hara, The German fleet at war, 1939-1945, Naval Institute Press, 2004, ISBN 1-59114-651-8
- Michael Alfred Peszke, Poland's Navy 1918-1945, Hippocrene Books, 1999, ISBN 0-7818-0672-0
外部リンク
- ORP GRYF本艦の写真があるページ。(ポーランド語)
- ORP "Gryf"本艦のスペックがあるページ。
- Gryfポーランド海軍の本艦についての説明と俯瞰図があるページ。(ポーランド語)
- グルィフ (機雷敷設艦)のページへのリンク