ギュンター・グルツィメク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/27 15:50 UTC 版)
ケルンに生まれ、ベルリン大学で学んだ。デザイナーとしての職務の他、1972年から、ミュンヘン大学ランドスケープ分野教員、その後マールブルク大学の自然科学部門ランドスケープ学科教授として後進の育成にあたり、プランニングを中心とした実務と教育との融合を図った。
環境行動学的の視点から適応性を備えたデザインを行う先駆。ランドスケープの社会的意義の本質が、芸術よりは工学に近いものであることを明確にしている。
おもな作品にマールブルク植物園(1970年から) ミュンスター動物園(1971年)ビーベラッハ市営墓地(1960年と1976年)の他にウルム造形大学、アーヘン工科大学、ミュンヘンとヴァイエンの大学キャンパス緑空間など多数。ミュンヘン・オリンピック公園(1960年から1972年) では、自発的な利用の誘発を目指した。バイエルン州プフェッフェンハウゼンで没した。
参考文献
- Fieldwork: Landschaftsarchitektur Europa Foundation Landscape Architecture Europe, Stiftung Landscape Architecture Europe、2006
- 1 ギュンター・グルツィメクとは
- 2 ギュンター・グルツィメクの概要
- ギュンター・グルツィメクのページへのリンク