ギタンドー ギタンドーの概要

ギタンドー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 03:25 UTC 版)

ギタンドー部族の首長権は、Sgagweetという世襲の名前=称号に存しており、その名の保持者が、ギタンドー部族のラクスギーク(ワシ・クラン)のイエ集団(拡大母系家族)のひとつであるSgagweetというイエのチーフとなっていた。人類学者のヴァイオラ・ガーフィールドの1938年の報告によると、その名前をかつて保持していたPaul Sgagweetは、1887年のその死の後、木をかじるビーバーを表したトーテムポールによって追悼され、そのポールは1930年代までは建っていたという。Paul Sgagweetはその名前を、自分の姉妹の息子に伝えた。この人物が、 ラッカラームスにおけるメソジスト伝道会の創設にあたって助力したアルフレッド・デュドワードであることは、おおよそ確かである。デュドワードには(母系の)継承者がいなかったので、自分の息子とメイをこのイエの養子にした。その息子は、1914年もしくは1915年のデュドワードの死後、Sgagweetの名を相続し、1938年にガーフィールドがその記録を残したときにも、この名を保持していた。彼はそのメイの息子を自分の後継者に指名した。

ウィリアム・ベイノンの1935年の記録によると、ラッカラームスのギタンドー部族の人びとは、14人のギスプドワダ(オルカ・クラン)(1つのイエ集団)、17人のガナーダ(ワタリガラス・クラン)(1つのイエ集団)、25人のラクスギーク(ワシ・クラン)(5人からなるSgagweetのイエを含めた、2つのイエ集団)からなっていたという。

ジョージ・ケリーは、Sgagweetのイエのメンバーであったが、Sgagweetと密接な関係をもっているLigeexのイエを存続させるためにギスパクローツ部族へと養子に出された。

人類学者のマリウス・バルボーは、トーテムポールについての調査のなかで、ラッカラームスに建てられ、ギタンドー部族のいろいろなラクスギークのイエに属しているいくつかのトーテムポールについて叙述している。そのうちの1つで、立ち上がったビーバーをかたどったSgagweet poleは、すくなくとも1947年までは建っていた。

Sgagweetのイエに加えて、ギタンドー部族に属するイエは以下の通り:

  • House of Gilasgamgan -- ラクスギーク (ワシ・クラン)
  • House of Gistaaku -- ラクスギーク (ワシ・クラン)
  • House of Gamayaam -- ギスプドワダ (Killerwhale)
  • House of Niisxłoo -- ラクスギーク (ワシ・クラン)
  • House of Niisyagayunaat -- ガナーダ (ワタリガラス・クラン)
  • House of 'Nluulax -- ラクスギーク (ワシ・クラン)



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