カトリック宮津教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 09:47 UTC 版)
沿革
1885年(明治18年)に日本にやってきたフランス人宣教師である神父のルイ・ルラーブは、1888年(明治21年)に与謝郡宮津町での伝道を開始する。ルラーブは福井県南部(若狭)から兵庫県北部(但馬)までの範囲を受け持っていた[4]。1895年(明治28年)に地元の有力者である田井五郎衛門から土地の寄贈を受け[4]、1895年(明治28年)に聖ヨハネ天主堂の建設に着工すると、1896年(明治29年)に竣工、宮津カトリック教会の献堂式が行われた[1][5]。
1907年(明治40年)には教会の敷地内に宮津裁縫伝習所(京都暁星高等学校の前身)が設立された[4]。1927年(昭和2年)には北丹後地震でこの地域が大きな被害を受け、戸塚文卿を中心とするカトリック医療団が救護活動を行った[4]。1932年(昭和7年)には聖母訪問会が宮津町を訪れ、1933年(昭和8年)には宮津暁星裁縫学校(京都暁星高等学校の前身)が開校した[4]。1935年(昭和10年)にはルラーブの来日50周年が祝われ、1936年(昭和11年)には宮津暁星幼稚園が開園した[4]。1941年(昭和16年)にはルラーブが83歳で死去した[4]。
1950年(昭和25年)から宮津教会はレデンプトール会が担当するようになった[4]。1989年(平成元年)にはルラーブが宮津を訪れて100周年の記念行事として、信徒会館であるルラーブ会館が建設された[4]。1996年(平成8年)5月6日には京都教区長の司教田中健一によって献堂100周年の記念ミサが捧げられた[4]。
2019年(令和元年)、聖ヨハネ天主堂の京都府指定有形文化財への指定が答申され[6][7]、2021年(令和3年)11月5日の告示で正式に指定された[8]。2023年(令和5年)には国の重要文化財への指定が答申され、2024年(令和6年)1月19日の告示で正式に指定された。
- ^ a b c d e f g h i 『京都大事典 府域編』淡交社、1994年、pp.509-510
- ^ 文化審議会の答申(重要文化財(建造物)の指定)(文化庁報道発表、2023年11月24日)。
- ^ 文部科学省 2024, p. 64.
- ^ a b c d e f g h i j k カトリック宮津教会(京都教区) 聖パウロ女子修道会
- ^ a b c 『郷土資料事典 26 京都府』人文社、1997年、p.295
- ^ 「府文化財 新たに17件 宮津カトリック教会天主堂も」『毎日新聞』2019年2月25日
- ^ 「京都 府文化財に17件指定 宮津カトリック教会など」『朝日新聞』2019年2月25日
- ^ 令和3年11月5日京都府公報 (PDF) より京都府教育委員会告示第8号(リンクは京都府ホームページ)。
- ^ a b c 米山勇(監修)『日本近代建築大全 西日本編』講談社、2010年、p.139
- ^ 日本で2番目に古い天主堂 カトリック宮津教会 宮津市
- ^ 大浦天主堂は1965年に木造で竣工したが、1879年に煉瓦造に改築されている。
- ^ 宮津カトリック教会 聖ヨハネ天主堂 里地ネットワーク
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