オリガ・ダニロワ オリガ・ダニロワの概要

オリガ・ダニロワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/27 05:29 UTC 版)

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獲得メダル
ソビエト連邦/ ロシア
女子クロスカントリースキー
オリンピック
1998 長野 15km
1998 長野 4×5kmリレー
1998 長野 5km+10kmパシュート
剥奪 2002 ソルトレイクシティ 5km+5kmパシュート
剥奪 2002 ソルトレイクシティ 10km
ノルディックスキー世界選手権
1995 Thunder Bay 4×5kmリレー
1997 Trondheim 4×5kmリレー
1999 Ramsau 4×5kmリレー
2001 Lahti 4×5kmリレー
1999 Ramsau 5km
1999 Ramsau 30km
2001 Lahti 10km
2001 Lahti 15km
1995 Thunder Bay 5km+10kmパシュート
1997 Trondheim 5km
2001 Lahti 5km+5kmパシュート

プロフィール

1990年12月15日にクロスカントリースキー・ワールドカップデビュー、15km7位となった。

1992年アルベールビルオリンピックに初出場、5kmで6位入賞、パシュート11位、30km20位となった。

1993年ノルディックスキー世界選手権では15kmのみ出場で8位、1994年のリレハンメルオリンピックへは出場できなかった。

1995年ノルディックスキー世界選手権パシュートで銅メダル、リレーでは金メダルを獲得した。このシーズンのワールドカップで自己最高位タイとなる総合4位にランクインした。

1997年ノルディックスキー世界選手権では5kmで銅メダル、リレーでは2大会連続となる金メダル。1998年長野オリンピック15kmとリレーで金メダルを獲得、パシュートで銀メダルを獲得した。

1999年ノルディックスキー世界選手権では5kmと30kmで銀メダルを獲得し、リレーは3大会連続金メダルを獲得、2001年ノルディックスキー世界選手権ではパシュート銅、15kmと10kmで銀、リレーは大会4連覇を果たした。

2002年ソルトレイクシティオリンピックでもパシュートで1位、10kmでは2位となった。しかし競技後のドーピング検査で増赤血球剤の一つダーベポエティンが検出されて失格した。この大会では他にヨハン・ミューレック、ラリサ・ラズチナも同様に失格した。

2004年2月、IOCは前年12月にスポーツ仲裁裁判所(CAS)が下した決定に引き続きメダルを剥奪することを決定した。また、ダニロワは国際スキー連盟(FIS)から禁止薬物使用を理由に2年間の出場停止処分を受けた。医療専門家からは、ドーピング検査の結果が誤っている可能性が示唆された[1] が、IOCと世界アンチ・ドーピング機関(WADA)は決定を覆すことを拒否した。

クロスカントリースキー・ワールドカップ通算4勝(2位8回、3位6回)、総合4位が2回。




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