オスカー・サラサー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 03:12 UTC 版)
経歴
現役時代
1994年にオークランド・アスレチックスと契約。2001年まで傘下のマイナーチームでプレー。
2002年にデトロイト・タイガースに移籍すると、4月10日に代走でメジャーデビュー。4月12日のミネソタ・ツインズ戦でブラッド・ラドキーからメジャー初安打を打った。
しかし、その後はメジャー各球団のマイナーチームやメキシカンリーグを渡り歩いた。
2007年にボルチモア・オリオールズと契約すると、2008年に6年振りとなるメジャー昇格を果たした。
2009年は6月にメジャーに昇格し、打率.400を超える好成績を残していたが、7月19日にクラ・メレディスとのトレードでサンディエゴ・パドレスに移籍した[1]。
2010年は自己最多の85試合に出場し、打率.237、3本塁打、19打点の成績を残した。
2011年3月28日にパドレスを自由契約となった[1]。その後は4月8日フロリダ・マーリンズとマイナー契約を結び、傘下AAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでプレー。45試合に出場し、打率.221、2本塁打、16打点という成績だった。
2012年2月7日から、横浜DeNAベイスターズの春季宜野湾キャンプに参加しテストを受け[2]、2月14日に合格が決まった[3]。2月15日に球団から獲得が発表された[4]。しかし、僅か13試合の出場に終わり、10月10日に外国人チームメイト4人(ブランドン・マン、ジオ・アルバラード、ランディ・ルイーズ、ボビー・クレイマー)とともに戦力外通告を受け[5]、16日にブランドンを除く3人(ジオ、ルイーズ、クレイマー)とともに自由契約公示された[6]。
2013年はメキシカンリーグのオアハカ・ウォーリアーズでプレー。
2014年はイタリアのリミニ・ベースボールクラブに所属した。
2015年/2016年シーズンは、ベネズエラのウィンターリーグ、リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル(LVBP)のカリベス・デ・アンソアテギでプレー。
2016年/2017年シーズンにLVBPのブラボス・デ・マルガリータでプレーしたのを最後に現役を引退した。
現役引退後
2017年サンディエゴ・パドレス傘下ルーキー級トライシティ・ダストデビルズのコーチに就任[7]。2019年まで務めた。
2020年6月22日に新型コロナウイルスに感染していたことが判明した[8]。
2021年より、サンディエゴ・パドレス傘下AAA級エル・パソ・チワワズの守備コーチに就任した[9]。
2022年より、ワシントン・ナショナルズ傘下AA級ハリスバーグ・セネターズのコーチを務める[7]。
- ^ a b MLB公式プロフィール参照。2022年1月19日閲覧。
- ^ “宜野湾キャンプ テスト参加のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2012年2月3日). 2012年2月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “テスト生サラサール合格!高田GM「十分戦力」”. スポニチ Sponichi Annex (2012年2月13日). 2012年2月14日閲覧。
- ^ “選手獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2012年2月15日). 2012年2月18日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “来季の選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2012年10月10日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ “2012年度 自由契約選手”. 日本野球機構 (2012年10月16日). 2012年10月16日閲覧。
- ^ a b “Harrisburg Senators Announce 2022 Field Staff”. MiLB.com (2022年1月18日). 2022年1月19日閲覧。
- ^ “Oscar Salazar dio positivo a la Covid-19”. LVBP Oficial Twitter (2020年6月22日). 2020年6月23日閲覧。
- ^ “Chihuahuas Announce 2021 Manager and Coaching Staff”. milb.com. 2021年4月6日閲覧。
- ^ a b “新助っ人サラサー、自己紹介は“やっぱり”サルサ!”. スポニチ Sponichi Annex (2012年2月18日). 2012年3月24日閲覧。
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