オウサナー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/30 07:51 UTC 版)
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略歴
オウサナーの出自については、先代の王チャゾワーの子[4]、あるいはチャゾワーの甥[3]と考えられている。
ビルマ語の王統史では、冗談と酒を好み、象狩りを趣味とする快活な人物として書かれる[4]。1255年(あるいは1256年)に南方のダラ(現在のヤンゴン近郊の都市)で没したため、ダラ・ピャン・ミャン(ダラで没した王)とも呼ばれる。彼の死因について、王統史には狩りで捕らえた象に踏み殺されたと書かれるが[4]、暗殺[3]、あるいはダラで起きた反乱の鎮圧中に戦死した[5]と考える研究者も存在する。
宗室
妃
- タンブーラ:1255年にタンブーラ寺院を建立した[6]。
子
- ティンガトゥ:妃の子。
- ナラティーハパテ:妾腹の子。
参考文献
- G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』(東亜研究所訳, ユーラシア叢書, 原書房, 1976年)
- 伊東利勝「イラワジ川の世界」『東南アジア史 1 大陸部』収録(石井米雄、桜井由躬雄編, 新版世界各国史, 山川出版社, 1999年12月)
- 大野徹『謎の仏教王国パガン』(NHKブックス, 日本放送出版協会, 2002年11月)
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