エジプト神話
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エジプト文化への影響
宗教
エジプト人が神学的思想を明示的に説明することは稀だったため、神話で暗に示された思想が古代エジプト宗教の根幹の大部分を形成した。エジプト宗教の目的はマアトの維持であり、神話が表現する概念はマアトにとって不可欠なものだと信じられていた。エジプト宗教の儀式は、神話の出来事およびそれが表す概念をもう一度現実に起こすことを意図したもので、それによってマアトを再生していた[66]。儀式は、最初の創造を可能にした物理的領域と神の領域の間とを同一に連結するヘカの力を介して効果が及ぶと信じられていた[91]。
こうした理由から、エジプトの儀式には神話上の出来事を象徴する行動がしばしば含まれていた[66]。寺院の儀式には、セトやアペプのような悪しき神々を表現している模型の破壊や、イシスがホルスのために行なった病気を癒すための非公開な魔法呪文の詠唱[92]、開口の儀式(en)などの葬礼儀式などがあり[93]、そして死者のために執り行う儀式はオシリス復活の神話を想起させるものだった[94]。しかし、神話の劇的な再現を含む儀式はあったとしても稀だった。2人の女性がイシスとネフティスの役割をこなしたオシリス神話を暗示する儀式のような境界的事案があるが、これらの演出が一連の出来事を成したか否かについて学者たちの見解には賛否がある[95]。エジプトの儀式の大半は神々に供え物をするといった基本的な活動に焦点を当てており、神話のテーマは儀式の焦点ではなくイデオロギーの背景として役立っていた[96]。にもかかわらず、神話と儀式は互いに強く影響を及ぼした。イシスとネフティスとの儀式のように、神話は儀式を触発する。そして、神々や死者に供えられた食べ物や他の品物がホルスの目と同等とされた供物儀式の場合のように、もともと神話的意味の無かった儀式が意味があるものと再解釈されることもあった[97]。
王権は人類と神々の間のつながりとする王の役割を通じて、エジプトの宗教の重要な要素であった。神話は王族と神格の間にあるこの関係の背景を説明している。エネアドに関する神話は、創造主に遡る支配者の系統の継承者として王を確立している。神を生み出す神話は王(ファラオ)が神の息子であり継承者であると主張している。そしてオシリスとホルスに関する神話は、玉座の正統な継承がマアトの維持に不可欠であることを強調している。したがって、神話がエジプト政治の本質そのものの理論的根拠を提供していたのである[98]。
芸術
神々や神話上の出来事を描いた絵図は、墓、神殿、葬礼文書の中に宗教的叙述と並んで広く出現している[43]。エジプトの芸術作品で神話の場面が説話として順番に並ぶことは稀であるが、特にオシリスの復活を描いた個々の場面はたまに宗教的芸術作品に現れることがある[99]。
神話への暗示は、エジプトの芸術や建築で非常に普及した。神殿の設計では、神殿の軸となる中央通路が空を横切る太陽神の道に例えられており、通路の終わりにある聖域は彼がそこから昇った創造の場所を表していた。神殿の装飾はこの関係を強調した太陽の紋章で満たされていた。同様に、墓の回廊はドゥアトを通る神の旅に、そして埋葬室がオシリスの墓と関連付けられた[100]。ピラミッドはエジプトのあらゆる建築様式の中で最も有名で、所有者の死後の再生を確実にすることを意図した記念碑にふさわしい創造の丘および最初の日の出を表しているとして、神話の象徴から触発を受けたものかもしれないとする説がある[101]。エジプトの伝統における象徴は再解釈されることが度々あるため、神話的な象徴の意味が神話それ自体のように時間と共に変化したり増えたりする[102]。
エジプト人が神の力を呼び覚まそうと一般的に身に着けていたお守りのように、一般的な芸術作品も神話のテーマを想起させるよう設計されていた。例えば、ホルスの目は失われた目の復活後のホルスの幸福を表していたため、保護用のお守りとして非常に一般的な形であった[103]。スカラベ形のお守りは、太陽神が明け方に変化すると言われていた形状の神ケプリを指すもので、生命の再生を象徴していた[104]。
文学
宗教的著作以外でも、神話からのテーマやモチーフがエジプト文学に頻繁に現れる。エジプト中王国期に遡る初期の訓示テキスト『メリカラ王のための教訓(en)』には、恐らく人類滅亡というある種の神話への短い言及が含まれている。最初期で知られるエジプトの短編小説『難破した水夫の物語(en)』は、過去の物語の中に神々および世界の最終的消滅に関する思想を盛り込んでいる。
やや後年の物語は神話上の出来事をあらすじに取り上げたものが多い。『二人兄弟の物語(en)』はオシリス神話の一部を普通の人々に関する素晴らしい物語に適応しており、『弟の「ゲレグ」によって盲人にされてしまった兄の「マアト」の物語(en)』[注釈 4]はホルスとセトの間の対立を寓話に変容したものである[105]。
ホルスとセトの行動に関するテキストの断片は中王国期にさかのぼり、神々に関する物話はその時代に起きたことを示唆している。この形式のテキストの幾つかは新王国期から知られており、より多くの話が同後期およびグレコローマン時代に書かれた。 これらのテキストは上述のものよりも明らかに神話から派生したものであるが、それらは依然として非宗教的な目的で神話を適用している。新王国期からの『ホルスとセトの争い(en)』は、二人の神の間の対立の物語で、ユーモラスかつ一見無関心な調子で記されている。ローマ時代の『太陽の目の神話』は神話から取られた枠物語に寓話を取り入れている。魔法の目的とは関係のない道徳的メッセージを伝える新王国の物語『イシス、裕福な女の息子、そして漁師の妻』のように、書かれたフィクションが魔法テキストの説話にも影響を与えてしまうことがあった。神話を扱っているこれら物語の多彩さは、エジプト文化において同神話が貢献することになった意図内容の幅広さを示すものである[106]。
注釈
- ^ 人間の世界において、マアトを更新する役割を担ったとされるのがエジプトの王ファラオである[1]。
- ^ 一緒に描かれたホルスとセトは、どちらの神もいずれの地域のために立ち上がることが可能だが、上エジプトと下エジプトのペアを表したものである。彼らはどちらも国の両半分にある都市の守護者だった。 2つの神々の間の対立は、エジプト史の始まりにおける上エジプトと下エジプトの統一に先行する推定された対立を暗示するものだった可能性がある。もしくは第2王朝の末期近くにおけるホルスおよびセトの崇拝者間の明白な対立と関連があった可能性がある[14]。
- ^ 創設者(establisher)は比喩的に「産みの親」と表現されるため、マアトはラーの娘と解釈される。同神話上では、太陽神がマアト(この世界を統べる秩序)を創って確立した。
- ^ この訳語は、(永井正勝 2011, p. 108)に基づく。ちなみに虚偽が弟ゲレグ、真実が兄マアト。より単純化して「マアトとゲレグ」の話と紹介しているものもある。
出典
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