アリス・アウマ アリス・アウマの概要

アリス・アウマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/27 03:06 UTC 版)

1956年生まれのアリスは2度の結婚でこどもはなく、故郷から離れていた。カトリック教徒となっていたアリスは1985年5月25日に「正気でなく」なり、耳が聞こえず、口も利けなくなった。後にアリスの主張したところではラクウェナが取り憑いたという。アリスの父は彼女を11人の「魔女」(伝統的な呪術医)のところに連れて行ったが、変わりがなかった。アリスはカバレガ国立公園にラクウェナが導いているとして40日間姿を消し、霊媒となって戻った。

ティト・オケロ政権末期においてアリスはグルの小物予言者・霊媒師の一人に過ぎなかった。ウガンダ人民民主軍  (UPDF国民抵抗軍の戦争のさなかの1986年8月6日にアリスはラクウェナが予言者・治療者を止め、悪と戦い流血を止めるため聖霊運動をつくるよう命じられたと主張した。

ラクウェナはY・ムセベニとその政府が復讐のためにアチョリの若い男を皆殺しにしようと企てているために現れた。(中略)[1]よき主は医師を司令官に変えるためラクウェナを送られた。明日殺される男たちを今日治療しても無駄だからだ。だから流血を止めるよう命令を下された。[2]

UPDFはNRAとHSMから攻撃を受け、兵士の一部がムセベニと和平に応じたものの、他の者は報復を畏れて遅れて現れアリス同様に霊媒であると主張するジョゼフ・コニーの率いるのちの神の抵抗軍 (LRA) へと流れていった[3]。HSMはカンパラを目指したが1987年11月ジンジャの手前でNRAに敗れ、アリスはラクウェナが離れたとしてケニアに逃亡した。アリスは2007年1月17日北東州のダダーブの難民キャンプで死亡した[4]

脚註




  1. ^ Rosa Ehrenreich, Human Rights Watch/Africa, Human Rights Watch Children's Rights Project, The Scars of Death: Children Abducted by the Lord's Resistance Army in Uganda, p.66, Human Rights Watch, 1997年。
  2. ^ Heike Behrend, Alice Lakwena & the holy spirits, p.25.
  3. ^ アフリカ紛争問題タスクフォース・ファクトシートVol.2 ウガンダ共和国北部内戦』p.10, アフリカ日本協議会、2007年5月1日。
  4. ^ "Uganda's mystic rebel leader dies", BBC News, 18 January, 2007.


「アリス・アウマ」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アリス・アウマ」の関連用語

アリス・アウマのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アリス・アウマのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアリス・アウマ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS