「枢密顧問官」を解説文に含む見出し語の検索結果(41~50/4287件中)
読み方:しではら たいら明治・昭和期の文部官僚。教育者。東大卒。東京教育大教授、文部省視学官、広島高師校長、文部省図書局長歴任。台北帝大総長・名誉教授。敗戦後枢密顧問官。幣原喜重郎は弟。昭和28年(1...
読み方:しではら たいら明治・昭和期の文部官僚。教育者。東大卒。東京教育大教授、文部省視学官、広島高師校長、文部省図書局長歴任。台北帝大総長・名誉教授。敗戦後枢密顧問官。幣原喜重郎は弟。昭和28年(1...
読み方:そね あらすけ幕末の山口藩士・明治の政治家・子爵。初名は寛三郎、号は西湖。内閣の要職や貴族院議員・枢密顧問官・韓国統監等を歴任。明治43年(1910)歿、62才。
読み方:そね あらすけ幕末の山口藩士・明治の政治家・子爵。初名は寛三郎、号は西湖。内閣の要職や貴族院議員・枢密顧問官・韓国統監等を歴任。明治43年(1910)歿、62才。
読み方:ありま りょうきつ海軍軍人・大将。和歌山県生。和歌山藩士有馬元函の長男。日露戦争では東郷元帥のもとで、旅順港閉塞決死隊の指揮官として従軍、大功により功三級金鵄勲章を受けられる。のち枢密顧問官・...
読み方:ありま りょうきつ海軍軍人・大将。和歌山県生。和歌山藩士有馬元函の長男。日露戦争では東郷元帥のもとで、旅順港閉塞決死隊の指揮官として従軍、大功により功三級金鵄勲章を受けられる。のち枢密顧問官・...
官吏。鹿児島藩士。本田弥右衛門の長男。維新前国事に尽力し、明治になり海軍参謀兼陸軍参謀、錦鶏間祇侯等を経て枢密顧問官になる。後勲功により男爵、従二位勲一等を賜る。危篤の際正二位に叙し旭日大綬章を授けら...
読み方:すぎ ちょうう山口藩士・子爵。名は重華、通称は孫七郎。詩を能くし、書画に秀でる。維新に功があり、諸官を経て宮内省御用掛・枢密顧問官・議定官に至る。大正9年(1920)歿、86才。
読み方:すぎ ちょうう山口藩士・子爵。名は重華、通称は孫七郎。詩を能くし、書画に秀でる。維新に功があり、諸官を経て宮内省御用掛・枢密顧問官・議定官に至る。大正9年(1920)歿、86才。
読み方:はやし ごんすけ外交官。会津藩士林権助の子。明治32年駐韓大使となる。桂太郎・小村寿太郎と共に「朝鮮三人男」と称された。のち各国大使を歴任する。昭和3年式部長官、同九年枢密顧問官に任じられた。