「範国記」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/86件中)
主名称: 範国記〈長元九年夏秋冬記/〉 指定番号: 100 枝番: 00 指定年月日: 1986.06.06(昭和61.06.06) 国宝重文区分: 重要文化財 部門・種別: 古文書 ト書: 員数: ...
吉江 崇(よしえ たかし、1973年 - )は、日本の歴史学者。専門は日本古代政治史。京都大学国際高等教育院歴史文明教室教授。人物・経歴長野県上田市生まれ、大阪府枚方市育ち[1]。19...
主名称: 知信記〈天承二年春記/〉 指定番号: 101 枝番: 00 指定年月日: 1986.06.06(昭和61.06.06) 国宝重文区分: 重要文化財 部門・種別: 古文書 ト書: 員数: 1巻...
『参天台五臺山記』(さんてんだいごだいさんき)は、平安時代後期の僧・成尋が著した北宋時代の中国大陸旅行記。全8巻。円仁『入唐求法巡礼行記』(約230年前の平安初期)と並び、北宋における仏教の事情を知る...
大江 定経(おおえ の さだつね、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。木工頭・大江清通の子。官位は正四位下・美濃守。経歴長和5年(1016年)後一条天皇の践祚に伴い六位蔵人に補せられ、蔵人を務める傍ら...
凡例平範国時代平安時代中期生誕不明死没不明官位正四位下・伊予守主君三条天皇→後一条天皇氏族桓武平氏高棟流父母父:平行義、母:致明娘兄弟範国、師季、行親妻源章任娘子経方、経章、藤原良基室テン...
ナビゲーションに移動検索に移動敦貞親王(あつさだしんのう、長和3年10月6日(1014年11月1日)[1] - 康平4年2月8日(1061年3月2日))は、平安時代中期の皇族。敦明親王...
ナビゲーションに移動検索に移動東五条院(ひがしごじょういん)は、平安時代に平安京の五条堀川にあった邸宅。後に五条院(ごじょういん)と呼ばれた後院と同一と推測されている。文徳天皇の生母である藤原順子が夫...
平安時代史料の一覧(へいあんじだいしりょうのいちらん)は、日本の平安時代についての主な史料の一部を一覧にする。六国史と編年史料六国史『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代...
北院御室日次記(きたのいんおむろひなみき)は、守覚法親王による平安時代末期から鎌倉時代にかけての日記。概説残欠はすべて仁和寺に伝存する。内訳は、守覚法親王自筆の1180(治承4)年10-11月を収める...
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「範国記」の辞書の解説