スリラー・イン・マニラとは? わかりやすく解説

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スリラー・イン・マニラ

(Thrilla in Manila から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 13:29 UTC 版)

スリラー・イン・マニラ
開催日 1975年10月1日
認定王座 WBAWBC世界統一ヘビー級
開催地 フィリピンマニラケソン
会場 フィリピン・コロシアム

モハメド・アリ 対 ジョー・フレージャー
ザ・グレーテスト スモーキン・ジョー
比較データ
33歳 年齢 31歳
ケンタッキー州ルイビル 出身地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
48勝2敗
(35KO)
戦績 32勝2敗
(27KO)
WBA・WBC世界統一ヘビー級チャンピオン 評価
主審 カルロス・パディーラ・ジュニア英語版
副審 アリ14回終了TKO勝ち

スリラー・イン・マニラ(Thrilla in Manila)は、1975年10月1日にフィリピンマニラで行われたプロボクシングWBAWBC世界統一ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリジョー・フレージャー第3戦」の通称である。名称は記者会見でフレージャーを侮蔑するアリのセリフ「killa and a thrilla and a chilla, when I get that gorilla in Manila」に由来する。

この試合は、ボクシング史上最高の、そして最も残酷な試合のひとつとされており、両者の3度にわたるライバル関係の頂点であり、アリは2勝1敗で勝利した。この試合は、全世界で推定10億人の視聴者を記録し、そのうち1億人は閉回路シアターテレビで観戦し、50万人はHBOホームケーブルテレビで有料視聴した。

概要

1974年10月にアリがジョージ・フォアマンから奪ったWBA・WBC統一ヘビー級タイトルの4度目の防衛戦。

約27000人[1]の観客の熱気で最高摂氏49度にまで達した室内会場での消耗戦の末、14回終了後、フレージャーが椅子から立ち上がれず、アリがTKO勝ちした。

評価

試合内容やイベントの歴史的意義などで評価が分かれている[1]

エピソード

海外メディアのために会場の「アラネタ・コロシアム」が「フィリピン・コロシアム」と改名された[2]。のちに「アラネタ・コロシアム」に再改名。

フィリピン国民が試合を観戦するため、フェルディナンド・マルコス大統領の宣言により特別に休日となった[2]

脚注

  1. ^ a b The Myth of “The Thrilla in Manila”boxing.com 2012年9月30日
  2. ^ a b The drama that was the ‘Thrilla in Manila’マニラ・タイムズ 2017年10月1日

関連項目

  • Fight of the Century英語版第1戦
  • Muhammad Ali vs. Joe Frazier II英語版第2戦

座標: 北緯14度37分14秒 東経121度03分12秒 / 北緯14.6205度 東経121.0533度 / 14.6205; 121.0533




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