Samurai Blueとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > ビジネス > 新語時事用語辞典 > Samurai Blueの意味・解説 

サムライ‐ブルー【SAMURAI BLUE】


サッカー日本代表

(Samurai Blue から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/09 13:45 UTC 版)

サッカー日本代表
国または地域 日本の旗 日本
協会 日本サッカー協会
FIFAコード JPN
愛称 SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー)[1]
監督 日本の旗 森保一
キャプテン 板倉滉
最多出場選手 遠藤保仁(152試合)
最多得点選手 釜本邦茂[注 1](75得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 日本 0-5 中国
東京, 1917年5月9日)[注 2][3]
最大差勝利試合
 日本 15-0 フィリピン 
東京, 1967年9月27日)[4][5]
最大差敗戦試合
 日本 2-15 フィリピン 
(東京, 1917年5月10日)[4][6][7][注 3]
FIFAワールドカップ
出場回数 8回(初出場は1998
最高成績 ベスト16 (2002, 2010, 2018, 2022)
AFCアジアカップ
出場回数 11回
最高成績 優勝 (1992, 2000, 2004, 2011)

サッカー日本代表(サッカーにほんだいひょう、サッカーにっぽんだいひょう)は、日本サッカー協会(JFA)によって編成される日本サッカーナショナルチーム。愛称はSAMURAI BLUE(サムライブルー)[1]

2018年7月より森保一が監督を務めている。FIFAワールドカップには8度出場しており、最高成績はベスト16。ノックアウトステージ進出回数5回はアジア勢最多。AFCアジアカップでは最多となる通算4度の優勝を果たしている。

概要と特徴

チームカラー

基本色としてを使用している。青は「日本の国土を象徴する海と空の青」を表すとされている[注 4]。色味はユニフォームごとに差があり、水色に近いものもあれば、濃紺と呼べるものまである。また差し色として日の丸の赤を入れるのが慣例となっている。パンツは白または青を用いる。

日本代表にとって初の国際試合となった東京開催の1917年の第3回極東選手権競技大会サッカー競技では、東京高等師範学校(現:筑波大学)が日本代表として出場したため、東京高等師範学校ユニホームである海老茶色のシャツ(黒のパンツ、白の鉢巻)をそのまま使用した[10]。再び東京開催となった1930年の第9回極東選手権競技大会は衆目を集める大会だったため、大日本蹴球協会(現:日本サッカー協会)は初めて全日本選抜チームを結成、以降国際大会のたびに選抜チームが編成されるようになった[9]。この選抜チームに12人の選手を送り込んだ東京帝国大学ア式蹴球部が淡青(ライトブルー)のシャツであった[10][11]1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技に出場した早稲田大学主体の選抜チームの日本代表は1930年の極東選手権の代表チームと同じ淡青のシャツを採用し、それ以降もチームカラーとして青が定着することになった[9][10]

1964年東京オリンピックのサッカー競技では、上下共に白、1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技では白のシャツに紺のパンツとなり、1970年代以降は白と青が交互に基調とされるようになった。1988年に日本代表監督に就任した横山謙三の意向により、日本代表のユニフォームは日本の旗「日の丸」の色である赤に同年変更され、胸には従来あった日の丸(1980年代半ばからは右下に青字の「J.F.A.」の文字が入る)ではなく三本足の八咫烏(やたがらす)が付けられるようになった(ユニフォームの胸の八咫烏のエンブレムは現在も続けて採用されている)。横山が監督を更迭されると、1992年に青を基調としたユニフォームに戻され現在も続いている[9][10][12]

愛称

2005年10月、日本サッカー協会は5つの候補の中から一般投票を行い、2006年1月27日に他の候補に2倍以上の得票数を獲得した「SAMURAI BLUE 2006」を2006年ワールドカップに向けた愛称にすることが発表された。2009年10月19日には「SAMURAI BLUE(サムライ・ブルー)」を公式の愛称とすると定められた[1]

マスメディアでは、ハンス・オフトが代表監督となった際に「オフト・ジャパン」という呼称が使われるようになり、以降「監督名+ジャパン」という呼称が用いられ広く浸透している。フィリップ・トルシエの代表監督時代は「トルシエ・ニッポン」という呼称も使用されていた[13][14][15][16]。これについてセルジオ越後は「代表チームは国民の代表であって、監督のものではない。だから、僕が監督だったら何があってもセルジオジャパンとは呼ばせない」と自著で述べている[17]

海外メディアでは「ライジング・サン」や「ブルー・サムライ」、「ブルーズ」という愛称もある[18]

マスコット

三本足のカラスである八咫烏をモチーフにした「カラッペ」と「カララ」がマスコットキャラクター。デザインは、松下進が行った。チームユニフォームのデザインが変更される度に、2匹のユニフォームもそれに合わせて手直しされている。

日本代表グッズ

日本サッカー協会は、1936年ベルリンオリンピックのサッカー競技へ日本代表を派遣する費用のうち、日本サッカー協会から支給される旅費以外の経費3万円を調達するため、浴衣地や手拭の販売など積極的に募金活動をした[19]。これを端緒にのちの「日本代表グッズ」へつながり[10]、現在はレプリカユニフォームやタオルマフラーなどが販売されている。

FIFAランキング

発表日 順位 アジア内順位
現在 2026年7月20日 17位 1位
最高 2011年4月13日 13位 1位
最低 2000年2月16日 62位 7位

現行の算出方法が適用された1999年以降の順位[20][21][22]

プレースタイル

最初期の日本のプレースタイルであったショートパス戦法は1920年(大正9年)頃から日本国内で指導し、1923年(大正12年)8月には『How to play association football』という日本語版の指導書を出版したチョウ・ディンによりもたらされた[10][23]。後にテクニカルなブラジルスタイルを模倣するようになった[24]

1960年代から1970年代の代表チームのFWであった釜本邦茂以降はシュート・得点能力に優れるFWの選手が存在せず、ゴール前での絶好のシュートチャンスを決めきれないという特徴がある[25]。この特徴はしばしば「決定力不足」と形容される[25]

悪質なファウルなどが少なく、世代別代表も含め国際大会ではフェアプレー賞を多く受賞している。FIFAワールドカップにおいては、初出場以来連続全29試合でレッドカードが0という歴代最多連続記録を持っており、FIFAも公式HP内で紹介している[26](2026北中米ワールドカップ決勝トーナメント1回戦終了時時点。FIFAワールドカップにおける記録も参照)。

余談

ワールドカップへの初出場が1998年と比較的新興チームであるものの、8大会連続出場のうち5回決勝トーナメントに勝ち進んでおり、近年は比較的安定した成績を見せている。また、2026年北中米大会出場決定時点で、初出場から8大会連続出場となり、全ての大会に出場しているブラジルに次ぐ歴代2位の記録(第3位は1950年ブラジル大会から6大会連続で出場した母国イングランド)となっている[27]

ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 濃紺 濃紺
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

サプライヤー・ブランド

歴代サプライヤー、ブランドは以下の通り[12][28][29]

  • 1975年 - 1979年:アディダス
  • 1979年 - 1980年:アシックス
  • 1980年 - 1983年:プーマ
  • 1983年 - 1986年:アディダス
  • 1986年 - 1987年:アシックス
  • 1987年 - 1989年:アディダス
  • 1989年 - 1990年:プーマ
  • 1990年 - 1992年:アシックス
  • 1992年 - 1998年:アディダス、プーマ、アシックス(1年交代の輪番制)
  • 1999年 - 現在:アディダス[30][注 5][32]

歴代ユニフォーム

ファーストユニフォーム

1930
1936
1950 - 75
1979 - 80
1980 - 83
1983 - 86
1984 - 85
1985
1983 - 86
1986 - 87
1987
1988 - 92
1992
1992 - 95
1996 - 98
1998 - 99
1999 - 2000
2001
2002 - 03
2004 - 05
2005 - 07
2008 - 09
2009 - 11
2012 - 13
2013 - 15
2015 - 17

2017.06.07
[33]
2017 - 19
2020 - 22
2022 - 24
[注 6]
2024 - 25
2025 -

セカンドユニフォーム

1988 - 92
1992
1992 – 95
1996 – 98
1998 – 99
1999 - 2000
2001
2002 - 03
2004 - 05
2006 - 07
2008 - 09
2010 - 11
2012 - 13
2014 - 15
2015 - 17
2018 - 20
2020 - 22
2022 - 24
2024 - 25
2026 -

日本代表監督

プロ化前

ハンス・オフトより前の歴代監督はアマチュア全国リーグ(JSL)から出向し、その給料は所属企業が全て支払っていた。JFAは海外遠征費を旅行代理店に手形で支払うこともあったほど慢性的な財政難で、代表監督に給料を支給していなかった。ゆえにJFAは監督候補者に対し、就任する前に「監督を辞めた後、企業に戻れる確約を得てから就任するよう」求めていた[34]。JFAに選手待遇改善要求を行い、実現させた(後述)森孝慈ら日本代表コーチ陣に対しては、日本体育協会からコーチング料月額数十万円が支払われたが、JFAからの報酬は一切無かった[34]。因みに、デットマール・クラマーのJFAでの公式の肩書は顧問(アドバイザー)であり、西ドイツサッカー連盟(現ドイツサッカー連盟)から給料が支払われ、JFAからの報酬は原則無かった[35]

プロ化後

初のプロ監督は、初の外国人監督(注:クラマーは顧問)でもあったハンス・オフトだった。年俸は約7000万円[34]。オフト監督はドーハの悲劇後に辞任し、新たにファルカンが年俸約1億2000万円で就任した。ファルカン監督の後を引き継いだ加茂周の年俸は約7000万円だった。加茂監督は1998年仏W杯アジア予選途中で解任され、岡田武史(第1期1997-98)が年俸約5000万円で就任し1998年仏W杯まで指揮した[34]

1998 FIFAワールドカップ後に監督となり日韓W杯まで指揮を執ったフィリップ・トルシエの年俸は約9000万円で、日本代表初のW杯ベスト16(=決勝トーナメント進出)の快挙を成し遂げた。日韓W杯後、2006年ドイツW杯まで指揮したジーコの年俸は約2億2000万円だった[34]

2006年ドイツW杯後に監督に就任したイビチャ・オシムの年俸は約9000万円だった。しかし、彼は2007年11月16日に脳梗塞で倒れたため(後に回復)退任し、急遽、岡田(第2期2007-10)が年俸約8000万円で2度目の代表監督に就任。2010年南アフリカW杯まで指揮すると、日本代表は2度目のW杯ベスト16(=決勝トーナメント進出)の成績を収めた[34]

2010年南アフリカW杯後、アルベルト・ザッケローニが年俸約2億5000万円で監督に就任し、2014年ブラジルW杯まで指揮を執った[34]。ブラジルW杯後、ハビエル・アギーレが年俸約2億円で監督に就任したが、スペインのクラブ監督時代の八百長疑惑によりスペインで刑事訴追された(2019年に無罪判決[36])ことにより2015年2月3日に契約解除となった[37]。同年3月12日、ヴァイッド・ハリルホジッチが年俸200万ドル(約2億7000万円)で日本代表監督に就任した[34]。ハリルホジッチは、2018年ロシアW杯まで指揮する予定であったが、2018年4月7日に解任され、同年4月9日に西野朗JFA前技術委員長が日本代表監督に年俸約1億2500万円[38] で就任した(同年4月7日までに西野はJFA理事、JFA技術委員長、Jリーグの理事を辞任)。任期はロシアW杯後の7月31日まで[39] で、ロシアW杯ベスト16の成績を残した。任期満了で退任する[40]。在任期間はわずか3カ月23日(114日)間で、日本代表選手との帯同期間は5月21日の合宿から7月5日の帰国会見までのわずか46日間であった。なお、U-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督の森保一は西野の日本代表監督就任に伴い、日本五輪代表監督を兼任したままロシアW杯まで日本代表コーチを務めていた。

2018年7月26日、2020年東京五輪に出場するU-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督の森保が、日本五輪代表監督を兼任したままロシアW杯日本代表コーチから昇格する形で日本代表監督に年俸約1億5000万円[41] で4年契約で就任した[42](なお、東京五輪男子代表監督就任時の年俸は4800万円だった[43])。日本A代表監督と日本五輪代表監督を兼任するのは、トルシエ以来である。初の外国人日本代表監督のオフト以降では、W杯後の新日本代表発足時に日本人監督が就くのは初めてである[44]

その後、森保はAFCアジアカップ2019で準優勝、2022年カタールW杯では通算4度目となるベスト16に導いた。2022年12月28日、JFAは森保の続投を発表した。契約期間は2026年北中米W杯まで。W杯本大会で指揮を執った監督が続投するのは日本代表史上初である[45]。指揮7年目の2025年11月18日、キリンチャレンジカップ2025ボリビア代表戦で歴代日本代表監督初の通算100試合目の指揮を達成[46]

歴代監督の一覧

  •    :代行監督
  • 試合数および成績は日本サッカー協会が認めた国際Aマッチのみをカウントしており[47]、試合数が0の監督がいるのは指揮した試合がすべて国際Aマッチ以外の試合だったためである
各大会の略号


:各大会ごとの予選
2026年6月30日現在
名前 国籍 期間 主な大会
(不明) (不明) 0 0 0 0 1917年 1917FEG
佐々木等 日本の旗 日本 0 0 0 0 1921年 1921FEG
西田満寿次郎 日本の旗 日本 2 0 0 2 1923年 1923FEG
山田午郎 日本の旗 日本 2 0 0 2 1925年 1925FEG
(不明) (不明) 2 1 0 1 1927年 1927FEG
土橋[i] (不明) 0 0 0 0 1927年
鈴木重義 日本の旗 日本 2 1 1 0 1930年 1930FEG
竹腰重丸 日本の旗 日本 3 1 0 2 1934年 1934FEG
鈴木重義 日本の旗 日本 2 1 0 1 1936年 1936OG
竹腰重丸 日本の旗 日本 1 1 0 0 1938年 - 1940年
工藤孝一 日本の旗 日本 0 0 0 0 1942年
二宮洋一 日本の旗 日本 3 1 1 1 1951年 1951AG
竹腰重丸 日本の旗 日本 12 2 4 6 1951年 - 1956年 1954WC予1954AG1956OG予、1956OG
高橋英辰 日本の旗 日本 0 0 0 0 1957年
川本泰三 日本の旗 日本 2 0 0 2 1958年 1958AG
竹腰重丸 日本の旗 日本 12 4 2 6 1958年 - 1959年 1960OG予
高橋英辰 日本の旗 日本 14 3 2 9 1960年 - 1962年 1962WC予1962AG
クラマー [ii] 西ドイツの旗 西ドイツ 1 0 0 1 1960年 1962WC予
長沼健 日本の旗 日本 31 18 7 6 1962年 - 1969年 1964OG1966AG1968OG予1968OG1970WC予
岡野俊一郎[iii] 日本の旗 日本 0 0 0 0 1969年
岡野俊一郎 日本の旗 日本 19 11 2 6 1970年 - 1971年 1970AG1972OG予
長沼健 日本の旗 日本 42 16 6 20 1972年 - 1976年 1974WC予1974AG1976AC予1976OG予
二宮寛 日本の旗 日本 27 6 6 15 1976年 - 1978年 1978WC予1978AG
下村幸男 日本の旗 日本 14 8 4 2 1979年 - 1980年 1980OG予
渡辺正 日本の旗 日本 3 2 0 1 1980年
川淵三郎 日本の旗 日本 10 3 2 5 1980年 - 1981年 1982WC予
森孝慈 日本の旗 日本 43 22 5 16 1981年 - 1985年 1982AG1984OG予1986WC予
石井義信 日本の旗 日本 17 11 2 4 1986年 - 1987年 1986AG1988OG予
横山謙三 日本の旗 日本 24 5 7 12 1988年 - 1992年 1990AG1990WC予
オフト オランダの旗 オランダ 27 16 7 4 1992年 - 1993年 1992AC1994WC予
ファルカン ブラジルの旗 ブラジル 9 3 4 2 1994年 1994AG
加茂周 日本の旗 日本 46 23 10 13 1994年 - 1997年 1995IC1996AC1998WC予
岡田武史 日本の旗 日本 15 5 4 6 1997年 - 1998年 1998WC予1998WC
トルシエ フランスの旗 フランス 50 23 16 11 1998年 - 2002年 1999CA2000AC予2000AC2001CC2002WC
ジーコ ブラジルの旗 ブラジル 71 37 16 18 2002年 - 2006年 2003CC2003EAC2004AC2005CC2005EAC2006WC予2006WC2007AC予
山本昌邦[iv] 日本の旗 日本 1 0 0 1 2002年
オシム ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ 20 12 5 3 2006年 - 2007年 2007AC予2007AC
岡田武史 日本の旗 日本 49 26 12 11 2007年 - 2010年 2008EAC2010WC予2010EAC2011AC予2010WC
大木武[v] 日本の旗 日本 1 0 1 0 2009年 2010WC予
原博実[vi] 日本の旗 日本 2 2 0 0 2010年
ザッケローニ イタリアの旗 イタリア 55 30 12 13 2010年 - 2014年 2011AC2013CC2013EAC2014WC予2014WC
アギーレ メキシコの旗 メキシコ 10 7 1[vii] 2 2014年 - 2015年 2015AC
ハリルホジッチ ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ 38 21 9 8 2015年 - 2018年 2015EAC2018WC予(兼2019AC予2017E-1
西野朗 日本の旗 日本 7 2 1 4 2018年 2018WC
森保一 日本の旗 日本 108[viii] 74 16 18 2018年 - 2019AC2019CA2022WC予(兼2023AC予2019E-12022E-12022WC2023AC2026WC予(兼2027AC予2025E-12026WC
  1. 姓のみ判明。名は不明。日本サッカー協会公式サイトより[48]
  2. クラマー高橋英辰の監督時代にコーチとして指揮。
  3. 岡野俊一郎長沼健の監督時代に監督代行として指揮。
  4. 山本昌邦はジーコの監督時代に監督代行として指揮。
  5. 大木武は岡田武史の監督時代に監督代行として指揮。
  6. 原博実ザッケローニ就労ビザ取得が間に合わなかったため、監督代行として指揮。
  7. 2014年9月9日に横浜国際総合競技場で行われた『キリンチャレンジカップ』(国際親善試合)ベネズエラ戦は2-2で引き分けとなったものの、ベネズエラが同9月5日に行われた韓国戦でレッドカードを受けて退場処分となり、次戦に当たる当該試合に出場出来ないFWのホセ・サロモン・ロンドンを出場させていたため、FIFAの公式記録では没収試合の扱いとなり、日本が3-0で勝利したと記録される[49]。日本協会における公式記録の結果も訂正されたが[50]、出場選手や得点者の記録はそのまま残る[51]
  8. 2024年3月26日に開催予定だった北朝鮮戦(没収試合として日本の3-0勝利扱い)を含む。

日本代表選手

プロ化前

プロ化される以前の日本代表選手は前述の通り、JFAが長らく財政難だったこともあり、JFAから給料や手当を長期に渡って受け取っていなかった。アマチュア全国リーグJSL所属の選手がほとんどで、所属企業での給料以外受け取っておらず、有給休暇を使って日本代表活動をこなし[10]、その諸費用も自費で賄っていた[34]1970年メキシコW杯アジア・オセアニア予選終了後、日本代表選手たちがJFAから何の手当ても受け取っていない事実を知ったコーチ(公式の肩書は顧問)のデットマール・クラマーが、「私は君たちに厳しい要求をし過ぎたようだ」と謝罪したエピソードがある[10]

1972年5月、ペレが所属するブラジルサントスFCが来日し日本代表と対戦した。前売り券は4日で売り切れ、国立競技場はほぼ満員(有料入場者数53,516人)となった。このため、当時日本代表だったジョージ小林が日本代表合宿中に長沼健監督に入場料収入の一部をボーナスとして受け取れないかと要求したが、当時のJFAは依然として財政難だったため、断られた[10]。その後、JFAの財政基盤確立への様々な取り組みの結果、1976年ペレの引退試合以降、JFAの財政は好転し一度も赤字にならずに済むようになった。森孝慈が日本代表監督に就任すると、JFAと日本代表選手の手当てなどについて交渉して、1982年から1日3000円の手当てがつくようになり、翌1983年からは出場した場合あるいは勝利した場合にボーナスがつくようになった[10]。同時に宿泊施設についても改善された[52]。1993年5月15日のJリーグ開幕より以前に、ブラジルから帰国した三浦知良、日本に帰化したラモス瑠偉ら当時の日本代表選手たちがJFAに待遇改善を訴え、日当と勝利給が支給されるようになったものの、出場給は存在しなかった。

プロ化後

日本プロサッカーリーグ発足後は、当時の日本代表メンバーの武田修宏のコメントによると1993年10月28日のドーハの悲劇1994年アメリカW杯アジア最終予選)の頃の日当は9000円だったという[53]。日本は、1994年アメリカW杯アジア最終予選第2戦イラン戦で1-2で敗戦、最下位に転落した。そこで第3戦から川淵三郎強化委員長(当時。現JFA技術委員会)が独断で勝利ボーナスとして50万円を支払うこととし、第4戦終了後に日本は1位となるなど一時は持ち直した(結局、日本は第5戦イラク戦の2-2の引き分けで、最終順位は3位)。以後は日当と勝利給が支給されるようになったが、出場給は存在しなかった。

日本代表選手への報酬総額は年々アップしている。1994年米W杯アジア予選の際には、JFAは2億円を用意していた。JFAは米W杯アジア予選の2倍の4億円(出場時間に応じて配分。1人最高1000万円)を仏W杯アジア予選で計上し、日本代表W杯初出場を果たした。

開催国だったため、アジア予選に出場しなかった2002年日韓W杯ではJFAは本大会のボーナスとして総額6億9000万円の予算を組んだ。

2005年時点では試合だけでなく、合宿なども含めた日本代表全活動期間の日当が1万円、勝利した場合は勝利給(勝利ボーナス)が全額支給され、引き分けだと半額、負ければ勝利給ゼロで日当のみが支払われた。勝利給は試合の重要性によって異なり、キリンカップのような親善試合では10万円、アジアカップなどの公式戦で30万円、FIFAワールドカップ(W杯)アジア予選では50万円だった[54]。成績が良ければプレミア給も追加して支給され、2006 FIFAワールドカップ・アジア予選を突破した際には、日本代表選手1人当たり約1000万円が支給された。AFCアジアカップ2004で日本代表が優勝した際には、当時主将のCB宮本恒靖が「ベンチの選手にもボーナスを」と訴え、ベンチ入りしたものの出場機会はなかった選手も含め、全員に一律で優勝ボーナス300万円が支払われた(2004年までは出場実績に基づき勝利給の支給額を変動)。海外クラブに所属している日本代表選手には、ビジネスクラス相当の移動費が支給され、上位のファーストクラスを利用する場合は、その差額は選手の自己負担となる。これらの日本代表選手が受け取る給料はJFAが選手の銀行口座に振り込む。また選手の負傷に備えて、保険がかけられている。日本代表選手が所属するクラブに対してJFAは選手1人につき、1日1万5千円の「クラブペイメント」を支払っていた。

日本-パラグアイ(2008年)。国際フレンドリー。
日本のサポーター(2008年1月30日、対ボスニア・ヘルツェゴビナの際のスタンド。)。
日本代表でプレーする長谷部誠。(2009年9月9日、ガーナ戦。)国際フレンドリー。

2010年度から「日本代表選手ペイメント規定」に基づき、代表選手への日当やボーナスが支払われている[55]。日当(1日1万円)と勝利給の扱いは2005年時と同様。勝利給はW杯本大会が200万円、W杯アジア予選アジアカップ本大会コンフェデ杯が30万円(2012年11月16日から50万円)、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ(旧東アジアカップ)アジアカップ予選キリンカップFIFAランク10位までのチームとの親善試合が20万円(2012年11月16日からFIFAランクに関係なく親善試合は一律20万円)、FIFAランク11-20位までのチームとの親善試合が15万円、FIFAランク21位以下のチームとの親善試合が10万円となった。また、大会ボーナスもW杯本大会は優勝5000万円が最高額で、2位3000万円、3位2000万円、4位1000万円、ベスト8で800万円、ベスト16(=ノックアウトステージ進出)で600万円、コンフェデ杯は優勝300万円、2位150万円、3位100万円、アジアカップ本大会は優勝200万円、2位100万円、3位50万円、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ(旧東アジアカップ)は優勝100万円、2位50万円、3位25万円というように、各大会ごとの各成績別に細かく規定されている。以上の大会ボーナスを出場実績に関係なく該当試合及び大会に選出された日本代表選手全員に一律に支給する。他、W杯アジア最終予選出場選手のみが対象のW杯本大会出場権獲得ボーナスがあり、出場実績で変動し最高1000万円まで支払われ、更に貢献度が高い選手には特別報酬100万円または200万円が追加して支払われる。日本代表選手が所属する日本国内のクラブに対してJFAは選手1人につき、派遣費1日5万円、傷害等による出場不能期間の補償1日3万円の「クラブペイメント」を支払っている[55][56][57]

日本代表選手の給料の支給方法についてはJFA技術委員会(旧強化委員会)で決めているが、その時の日本代表監督の意向が反映される。2010 FIFAワールドカップ・アジア予選では出場給の「実績変動制」が導入された。1試合につき、出場した選手に80万円、ベンチに入った選手に60万円、ベンチ外の選手に40万円(金額はいずれも推定)が支払われた[58]。しかし、W杯出場権獲得ボーナスはなかった。これについて犬飼基昭JFA会長(当時)は「南アフリカW杯本大会ベスト4が目標である以上、アジア予選通過はその対象にならない」と自ら述べている。2010 FIFAワールドカップでは「日本代表選手ペイメント規定」に基づき、総額約2億5000万円が日本代表選手に支払われた[55]

大会ボーナスなど日本代表選手に支払われる賞金(報奨金)には、税金がかかる。海外リーグ所属の選手はその国の税法に基づき税金をその国に納める。Jリーグ所属選手の場合、例えば、賞金平均額の約1304万円を獲得した選手は、獲得した賞金は全て「一時所得」となり、得た金額から特別控除額50万円を差し引いた額の50%の約627万円が課税対象となる[59]

2012年 日本-スペイングラスゴー2012年ロンドンオリンピック

なお、オリンピック(男子本大会はU-23+オーバーエイジ3人まで、女子は年齢制限なし女子A代表)の賞金は、成績に応じてJFA及び日本オリンピック委員会(JOC)の2団体からそれぞれ支払われ、所得税法9条1項14号の規定[60] 及び2010年の税法改正により、それぞれの五輪の賞金については非課税である(JOC加盟のJFA及びJOCからの五輪賞金のため。ただし、設定された非課税枠を超えた分は、課税)。JOCがメダリストに支払う報奨金は、2016年リオ五輪で金メダル500万円(2012年ロンドン五輪300万円)、銀メダル200万円、銅メダル100万円であり、個人競技、団体競技に関係なく1人あたりに支払われる[61]JOC加盟団体であるJFAからの日本五輪代表(男女とも)に対する賞金は、金メダル150万円、銀メダル100万円、銅メダル50万円で、勝利給が30万円、優勝ボーナスは1人500万円である[要検証] [62]

2010年12月17日、日本プロサッカー選手会 (JPFA) が日本代表の親善試合の勝利給は20万円程度とJ1各クラブの勝利給の半分以下で、ハードな日程の中で招集に応じ、重圧とも戦いながら得る報酬としては極めて低い額であること、肖像権料も90%がJ各クラブへ分配されているが、選手への分配は認められていないことなどの待遇改善をJFAに要求した[63]。以後、両者間で協議が続き、2012年11月16日、勝利給等の昇給が決まった。W杯アジア予選等が30万円から50万円にアップするなど、Aマッチの勝利給を全体的に引き上げた。また、親善試合の勝利給は対戦国のFIFAランクにより増減していたが、一律の勝利給に統一された。正式には理事会の承認を経て、2013年3月26日の2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選のB組第7節ヨルダン戦から実施された[56][57]

W杯出場日本代表選手対象年金

2018年2月2日、田嶋幸三JFA会長がW杯出場日本代表選手対象の年金制度を創設すると発表した。日本代表等JFAの放映権料を原資とし、毎年3 - 5%を積み立てる案で、日本プロサッカー選手会とも話し合い、早ければ2019年度の予算から組み込む予定である[64][65]

定義

世界的に、また日本の記録集においても代表選手とは「国際Aマッチでの出場経験選手」を条件とし、その出場回数をキャップ数という。しかし、個々の選手を定義する場合、選出されながらも出場しなかった場合などでは意見が分かれる。また黎明期には日本代表がヨーロッパや南米のクラブチームと対戦した例も多く、その扱いも定まっていない。日本サッカー協会関係者[誰?] は、明確な基準はなく、また時代とともにルールや環境が変わっている点を指摘し、以下の場合でも選手を「元日本代表」としてもよいのではと話している[66]

  • ワールドカップやアジアカップの本選や予選などFIFA公式戦で日本代表に選出されたが出場機会がなかった。
  • 国代表との親善試合で選出されたが出場機会が無かった。
  • 対戦相手がクラブチームなど代表でなくとも、日本代表として選出された。
最新の代表選手 - 2026年のサッカー日本代表および、JFA の発表[67]、メディア報道 等を参照のこと。

出場経験選手一覧 ワールドカップ登録メンバー - 1998年 - 2002年 - 2006年 - 2010年 - 2014年 - 2018年 - 2022年 - 2026年

放映権料及び親善試合等の費用

2012年時点では、日本代表の放映権料は1試合当たり1億5000万円[68]。日本代表の約1週間の海外遠征には約5000万円程度の経費が必要である[69]。なお、ワールドカップアジア最終予選の放送権やマーケティング権がJFAにないため(つまり、JFAにW杯アジア最終予選放映権収入なし)、ワールドカップ本大会前年のJFA収益は下がる傾向にある[70]

2014年時点では、日本代表が国内親善試合を申し込む際にJFAが対戦国に支払う出場給は強豪国で2-3億円で、移動費(飛行機代含め)、宿泊費等も全てJFAが負担する。例えば、2014年のFIFAランク1位のドイツや同年のFIFAランク9位のスペインなどFIFAランク上位国を日本に呼ぶ場合は、上記よりさらに費用がかかる[71]

歴史

第二次世界大戦以前

大日本蹴球協會(現:日本サッカー協会、JFA)は1921年9月10日に設立され、1929年5月17日の第18回FIFAバルセロナ総会国際サッカー連盟(FIFA)加盟が承認された。

極東選手権競技大会ロゴ、1917年。

最初の国際試合は、1917年東京で開催された第3回極東選手権競技大会サッカー競技中華民国戦(5月9日)で、東京高等師範学校の単独チームによる日本代表は0-5で敗れた。2試合目のフィリピン戦(5月10日)は、FW藤井春吉が日本代表初得点を含む前半・後半各1点を決めたが、パウリノ・アルカンタラに先制点を許すなど前半に5点、後半に10点をフィリピンに奪われ、2-15と大敗した[72]。これは現在も、日本代表における対ナショナルチーム間の対戦における最大差敗戦試合でもある。

1927年第8回極東選手権競技大会には早稲田WMWが日本代表として出場し、フィリピンを2-1で破って国際試合初勝利を挙げた。再び東京開催となった1930年第9回極東選手権競技大会には単独チームではなく東京帝国大学主体ではあったが、初めて全日本選抜が編成された。日本は中華民国と同位優勝し、国際大会における初タイトルを獲得した。

1930年の第1回ワールドカップ開催にあたりFIFAは加盟する全ての国に招待状を送ったが、JFAは参加を見送った。その理由は、当時の日本国内が1927年昭和金融恐慌以来慢性的な不況であったことに加え、同年の昭和恐慌発生でさらに経済状態が悪化していたため、更にはJFA自身も財政難であったためである。

1936年ベルリンオリンピックでは、早稲田大学ア式蹴球部主体の選抜チームの全日本が1回戦でスウェーデンを破った(ベルリンの奇跡)。五輪後の8月19日に行われたグラスホッパー・クラブ・チューリッヒとの親善試合では、1-16で大敗した記録が残っている[73][74]。これは、日本代表の全ての試合における最多失点試合及び最大差敗戦試合であった。

1938 FIFAワールドカップ・予選にエントリーし、オランダ領東インドに勝てば本大会出場が決まるはずだったが、折からの情勢不安により参加を辞退した。

戦中

1913年から開催され、サッカー日本代表も1917年の第3回から参加した極東選手権競技大会は大会を主催する極東体育協会に満州国を参加させようとした日本と拒否する中華民国の対立により1934年の第10回大会を最後に幕を閉じた。そのため日本は新たに東洋体育協会を設立し「東洋選手権競技大会」を開催しようとしたが、各国の思惑等により進展せず、1937年の日中戦争開戦により中止となった。

その後は1939年に日本・満州・中華民国臨時政府の参加により開催された日満華交歓競技大会や、開催権を返上した東京五輪に代わり開催された東亜競技大会(1940年・1942年の2回開催)で実施されたサッカーに日本代表も出場している。

戦後から1990年代まで

第二次世界大戦後の1945年11月13日に、大日本蹴球協會は会費が払えずFIFAから資格停止処分にされた[75][76][77]

1947年4月1日に、大日本蹴球協會から日本蹴球協会へと名称を変更し[10]、1950年9月23日にFIFAに再加盟した[76][78]

1954 FIFAワールドカップ・アジア予選でW杯予選に初めての参加となった。なお韓国代表との試合は本来ホーム&アウェイ方式で行われるところ、韓国大統領の李承晩が日本選手の入国を拒否したため、2試合とも東京開催となった[79]。日本はホーム開催ではあったが1分1敗となり、出場を逃した。

1950年代から60年代の日本は、アマチュアリズム全盛の時代であった。当時の全日本選抜選手(現日本代表選手)であった長沼健によれば1954年のW杯予選に出場した頃は、そもそもW杯がどんな大会か分からずに戦っていたという[10]。この時期、東京オリンピックを目指して強化していた時期も重なり、W杯よりもオリンピック(以下五輪と略すことあり)に重点が置かれ、1968年メキシコシティ五輪で銅メダルを獲得した。

1974年8月31日、協会は財団法人となり、協会誕生より53年間の任意団体から脱却し、同時に日本蹴球協会から日本サッカー協会に名称を変更した[78][80]。尚、2012年4月1日付で公益財団法人となり、それまで旧主務官庁だった文部科学省の関与を外れた[注 7][81]

1986 FIFAワールドカップ・アジア予選の最終予選の韓国戦で2戦2敗に終わり、本大会出場を逃したが先立つ1983年にプロリーグを発足させていた韓国に敗れたことにより、アマチュアリズムの限界を悟ったJFAは、翌1986年スペシャル・ライセンス・プレーヤーの導入を決定した。ソウルオリンピックサッカーアジア予選で、守備的戦術により最終戦を前に予選グループ首位に立ち、1987年10月26日、ホーム国立競技場中国に引き分ければ20年ぶりのオリンピック出場を決められる試合で0-2で敗戦、中国にオリンピック初出場を許したが、これがきっかけとなり日本サッカーリーグの中に「リーグ活性化委員会」が設置された[82]。また、JFAの最大の目標だったオリンピックサッカー競技が1992年のバルセロナ五輪から23歳以下の選手の大会へ規定が変更されていたため、日本A代表の目標がW杯へ変わることになった[10]

1990 FIFAワールドカップ・アジア予選では北朝鮮に遅れを取り、1次予選で敗退。

1992年3月、ハンス・オフトが日本代表初の外国人監督として就任、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選では最終予選に進出するも、最終戦のイラク戦で後半のロスタイムに同点ゴールを決められて引き分けとなり、W杯への出場を逃した(ドーハの悲劇)。

1998 FIFAワールドカップ・アジア予選では敗退の危機に陥いり、監督の加茂周が更迭され、急遽、コーチの岡田武史が監督に就任する事態となったが、プレーオフで延長戦でのVゴールによってイランを破り、初めてのW杯出場権を獲得した(ジョホールバルの歓喜)。

FIFAワールドカップ

代表別の世界最高峰の大会であり、国際Aマッチデーに入っている。詳細については各大会の記事を参照

1998年、対アルゼンチン戦のスタンドの様子(トゥールーズ)。1998 FIFAワールドカップ
1998年フランス大会
初出場となったこの大会では、グループリーグでアルゼンチンクロアチアジャマイカと対戦。アルゼンチン以外の3チームがW杯初出場というグループであったが、アルゼンチン、クロアチアに共に0-1で敗れて早々にグループリーグ敗退が決定。最終戦のジャマイカ戦では中山雅史がチームW杯初得点こそ挙げたものの1-2で敗れ、3戦全敗のグループリーグ最下位で本大会を終えた。
埼玉スタジアム2002(日本-ベルギー戦、2002年6月4日)。2002 FIFAワールドカップ
2002年日韓大会
開催国のため、予選免除での出場となった。グループリーグ第1戦のベルギー戦を鈴木隆行稲本潤一のゴールで2-2で引き分けてW杯初の勝ち点を得ると、続く第2戦ではロシアと対戦して稲本の2試合連続ゴールで1-0で降しW杯初勝利を挙げた。続く第3戦のチュニジアにも2-0で勝利し、2勝1分でグループリーグを首位通過で初の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではトルコに0-1で敗れ、ベスト16という成績で地元開催のW杯を終えた。
2006年ドイツ大会
2大会ぶりに予選に参加しアジア予選では1次予選で6戦全勝、最終予選でも5勝1敗の成績で1位で通過、3大会連続の本大会出場を果たすとともに、時差の関係でワールドカップ地区予選突破第1号となった。前回大会で活躍した中田英寿黄金世代の選手達が20代後半〜30代前半と円熟期を迎え、更に前回大会に出場の叶わなかった中村俊輔高原直泰が加わったチームは「史上最強」と謳われ、最終予選では視聴率が40%を超える試合が多く、国内の期待はかつて無いほど大きく高まっていた。しかし、初戦のオーストラリア戦では中村が代表の大会初得点を挙げるも、後半39分にティム・ケーヒルに同点弾を奪われると、5分後にもケーヒルにミドルシュートを決められて逆転される。2005年に16ゴールを挙げガンバ大阪のJリーグ初優勝に貢献した大黒将志を投入、アジア最終予選初戦の北朝鮮戦でロスタイムに勝ち越し弾を挙げて窮地を救った他、前年のコンフェデレーションズカップではブラジルギリシャからもゴールを奪う等、前年は5得点かつ全て後半の残り15分間に挙げていることから、大黒の終盤に入ってからの得点力に賭けたが、最終ラインの茂庭を交代させた分、前掛かりになったところをカウンターで切り裂かれた末、ジョン・アロイージに決められて、残り時間6分から3点を奪われ、1-3と逆転負けを喫した。続くクロアチア戦では2試合連続の午後3時キックオフと酷暑の中、前半21分にダド・プルショ宮本恒靖が倒して献上したPKを川口能活がセーブする活躍を見せるが、柳沢敦が決定機を外すなど決めきれず、無得点のまま引き分ける。宮本を出場停止で欠いた状態で臨み2点以上の差をつけて勝たなければならなかった3戦目のブラジル戦では玉田圭司のゴールで先制するも、ワールドカップの通算得点でゲルト・ミュラーの記録越えがかかったロナウド(当時12ゴール)から2ゴールを奪われるなど1-4と逆転負けを喫し、グループリーグ最下位で大会を終えた。なお、この大会をもって中田が現役を引退。ドイツ大会不振の原因の一つには、ジーコ監督が守備の約束事を示さなかったことで大会直前に選手間で話し合ったところ、プレスの掛け所を巡って意見が割れたことでチームワークに亀裂が入ったまま本大会に入ったことがあるとされる[83]
日本-カタール2010 FIFAワールドカップ・アジア予選ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム
2010年南アフリカ大会
ドイツ大会終了後、ジェフユナイテッド千葉の監督であったイビチャ・オシムが監督に招聘された。ところが、2007年11月にオシム監督が脳梗塞で倒れたことで、岡田武史が1998年以来となる監督に就任した。2009年6月6日のアジア最終予選においてウズベキスタンに勝利して4大会連続4度目の本大会出場を決めた。一方で、本大会直前期の試合の成績がふるわなかったことから岡田の解任論が噴出するなど過去にないほど世論の代表チームへの期待が低かった。本大会では予選からフォーメーションや戦術を大幅に変更し、グループリーグ初戦のカメルーン戦は本田圭佑のゴールで1-0で勝利した。この勝利は、海外開催でのワールドカップ初勝利となった。続くオランダとの第2戦では0-1で敗れるも、第3戦のデンマーク戦では本田と遠藤保仁のフリーキックに岡崎慎司のゴールで3-1で勝利しオランダに次ぐグループ2位で2大会ぶりにグループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦ではパラグアイと対戦し90分を終えてスコアレスのまま延長戦に突入するが、そこでも決着はつかずにPK戦に突入。日本は3人目のキッカーを務めた駒野友一のシュートがバーに当たって失敗した。最後は5人目のキッカーを務めたオスカル・カルドソにも決められて3-5で敗れ、ベスト16で大会を去った。
2014年ブラジル大会
南アフリカ大会終了後、アルベルト・ザッケローニが監督に就任。2013年6月4日、オーストラリアと引き分け、5大会連続5度目の本大会出場が決定した。初出場から5大会以上連続出場はブラジルイングランドに次いで史上3か国目となり、2006年・2010年大会に続き3大会連続で予選突破第1号となった。
前回大会で活躍した本田や岡崎、前回の南アフリカ大会では選外ながらも新たに台頭した香川真司等過去最多の海外組が名を連ねる攻撃サッカーを掲げたチームの前評判は親善試合でヨーロッパの強豪国と引き分けたり(オランダと2-2)、勝利する(ベルギーに3-2)等していたことから非常に高かった。しかし、コートジボワールとのグループリーグ初戦は前半16分に前回大会に続いて本田が大会初戦で先制ゴールを決めるも、後半17分にコートジボワールのエース・ディディエ・ドログバが投入され、右サイドバックのセルジュ・オーリエにクロスを上げられると19分にウィルフリード・ボニに、2分後には吉田麻也がドログバに引き付けられた末、ダイアゴナルに走られたジェルビーニョにも頭で叩き込まれてわずか2分間で2失点し逆転負けした。2戦目のギリシャ戦は前半38分にコスタス・カツラニスを退場に追い込みながら再三の決定機を外し続けるなど数的優位を生かせず、0-0のドローとなった。コロンビアとの最終戦は前半17分、フアン・クアドラードに先制されたが45分、岡崎が2大会連続ゴールで同点に追いついた。しかし、後半にコロンビアが司令塔のハメス・ロドリゲスを投入すると55分、82分にジャクソン・マルティネスにゴールされ、90分にはハメスからも奪われてしまい1-4で敗北し、1分2敗でのグループリーグ最下位に終わった。ザッケローニ監督就任以降、不安視された守備が最後まで改善されなかったことや、6人交代枠のある親善試合においても新戦力のテストを全くといってよいほどせずに固定したメンバーで戦ったこと、3試合とも高温多湿の会場で試合を行うにもかかわらずグループリーグの抽選前に寒冷地のイトゥをキャンプ地として決めたまま変更しなかったこと[84]、ザッケローニ監督が代表メンバー発表の場で「日本に空中戦の文化は無い」と断言し、それまで何度も代表に召集されていた空中戦に強いFW豊田陽平をメンバーから外しておきながら、第1戦と第2戦で吉田を前線に上げてロングボールの放り込みを強行するという戦術の矛盾が生じたこと、練習や親善試合でも見せなかった[85] にもかかわらず、後のなくなった第2戦に岡崎を左サイドハーフでスタメン出場させ、香川の投入後は岡崎を前線に配置する等、ザッケローニ監督の言行不一致な采配が不振の原因だった。この結果の故か、本番前に目標を優勝と公言していた本田や長友等の選手は、大会後も批判に晒されることとなった。
2018年におけるサッカー日本代表(ポーランド戦)。
2018年ロシア大会
ブラジル大会終了後、ハビエル・アギーレが監督に就任[37]。しかし、八百長疑惑によりスペインで刑事告訴された(上述)ため2015年2月に契約解除され[37]、同年3月にヴァイッド・ハリルホジッチが監督に就任した[37]
2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選で、オーストラリアにワールドカップ予選で初勝利し6大会連続6度目の本大会出場が決定したが、大会直前の2018年4月9日にハリルホジッチ監督が解任され、前JFA技術委員長の西野朗が新監督に就任した[37](西野監督は同年4月7日までにJFA理事、JFA技術委員長、Jリーグの理事を辞任し、JFA技術委員長後任は関塚隆が就任した)。解任の理由について田嶋幸三JFA会長は「ワールドカップで1%でも勝つ確率を上げたい」と述べた。なお、監督交代については批判もあった[86]
本大会ではグループHに入り、初戦で前回大会グループステージ最終戦で1-4と大敗したコロンビアと対戦。前半6分にコロンビアのMFカルロス・サンチェスが一発退場&PKを献上すると、これを香川が決めてW杯ではこれまでで最も早い本大会初得点を記録した。しかし前半39分、フアン・キンテーロにグラウンダーのFKで追いつかれて前半を折り返したが、数的優位を活かし後半28分に大迫勇也が決勝ゴールを決め2-1で勝利した[87](W杯でアジアのチームが南米のチームに勝利したのは18試合目にして史上初となった。それまでは3分け14敗で未勝利[88]。)。2戦目のセネガル戦は11分にエースのサディオ・マネから先制ゴールを許すなど相手に2度のリードを許したが、乾貴士と本田のゴールで追い付き2-2の引き分けに持ち込んだ。本田は、代表史上初の本大会3大会連続得点となった。3戦目のポーランド戦では59分、ヤン・ベドナレクから失点を献上して0-1で敗れたが順位、得失点差、総得点、直接対決結果の全てが並んでいたセネガルをフェアプレーポイントで上回ったことで2大会ぶりの決勝トーナメント進出(ベスト16)を決めた。なお、同大会の出場チームでは唯一の第4ポットからの決勝トーナメント進出チームとなった。ラウンド16(1回戦)では、大会直前のFIFAランキング3位のベルギーと対戦。後半に原口元気のゴールでワールドカップの決勝トーナメントで初ゴールを挙げると、乾がペナルティーエリア外からの強烈な無回転ミドルを突き刺し、ベルギーから2点を先行。だが、ベルギーが選手を2人同時に交代させたすぐ後の69分、CKの流れからヤン・フェルトンゲンのふわりとしたヘディングシュートを決められて1点を返されると、74分にはチェックに行った大迫がベルギーのエース・エデン・アザールに切り返されてクロスをマルアン・フェライニにヘディングシュートを決められ一気に同点に追いつかれる。このまま、延長戦突入かと思われた試合終了間際の後半AT4分、本田のコーナーキックをティボー・クルトワにキャッチされるとそこからベルギーがカウンターを発動した。ケビン・デ・ブルイネのスルーパスを受けたトーマス・ムニエの折り返しをナセル・シャドリに流し込まれたところで試合終了。失意の逆転負けで、史上初のベスト8進出はかなわなかった。なお、ワールドカップのノックアウトステージにおける2-0とリードしてからの逆転負けは延長戦の末2-3で逆転負けした1970年大会のイングランド以来48年ぶりであった[89]
2022年カタール大会
ロシア大会終了後、西野監督の後任として森保一が監督に就任。森保監督は、2020年東京五輪に出場するU-23日本(2018年時点ではU-21日本)監督を兼任したまま、ロシアW杯日本代表コーチから昇格する形であった。
2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選でオーストラリアにアウェイで初勝利し、7大会連続7度目の本大会出場が決定したが最初の3試合でオマーンサウジアラビアに敗れて1勝2敗と後がない状態から6連勝したこと、1位で予選通過出来なかったこと、特定の選手の活躍が目立ったことから采配に対する不安定性や戦術の確立に対する指摘は少なくなかった。またアジアカップで優勝出来なかったことや、東京五輪でホームアドバンテージを活かしてメダルを取れなかったこと[90][91]で前評判は低かった。
本大会ではグループEに入り、ドイツスペインといったポット1クラスの優勝経験国、2大会前にベスト8入りを果たしたコスタリカと同居する非常に厳しいグループとなった。海外メディアは2強2弱のグループとの見方が大半で、ドイツ代表OBの反応は楽観的だったり対戦国であるスペインのメディアは、ドイツ対日本のスタメン予想にいるはずのない選手を挙げる等扱いも雑であった[92][93]
今大会は、開催国の酷暑の関係で通常の時期とずらした冬の開催となった。メジャーである欧州のシーズン中に中断期間を設けての開催だったので大会前に各国に怪我人が相次いだ。エースが無念の選外となる国もあれば、大会中の復帰を期待してメンバー発表した国もあり、日本も初戦までフルメンバーが揃わない中でやりくりが大変であった。
大会前最後の強化試合で、日本は36年ぶりの本大会出場を決めたカナダと対戦した。結果は1-2で大会前最後の強化試合を逆転負けで終えることとなり、下馬評も低かった[94][95]
初戦は4度の優勝を誇るFIFAランキング11位のドイツと対戦した。開始からドイツにボールを握られる劣勢の中、前半33分にPKをイルカイ・ギュンドアンに決められて前半を折り返した。しかし後半、陣形を変えて選手交代もするとそれが見事に的中。75分に堂安律、83分に浅野拓磨のゴールで逆転し、日本代表としては史上初となる2大会連続の白星スタートとワールドカップでの逆転勝ちを達成した[96][97][98]。2戦目のコスタリカ戦では次のスペイン戦を考えると一番勝利が欲しい相手であったが、前節から先発を5人入れ替えて臨んだ。ボールを保持して圧倒的に攻める展開の中、ケイロル・ナバスを中心とした相手のソリッドな守備を崩せず、試合終盤の81分に不用意なクリアミスから一瞬の隙を与えてしまい、ケイセル・フレールの放ったコスタリカ唯一の枠内シュートにより痛恨のゴールを許し敗戦した(日本がコスタリカに敗れたのは、この試合が初めてだった[99]。)[100][101][102]。これにより、グループEの4チーム全てに決勝トーナメント進出の可能性が残った。迎えた3戦目はスペインと対戦した。日本は今節で勝てば無条件で決勝トーナメント進出だったが、負ければ1次リーグ敗退で、引き分けでもドイツはコスタリカに勝つ可能性が高く、勝利が必要であった。試合は、前半12分にアルバロ・モラタに先制点を許し、ドイツも前半のうちに先制したためこのままだと日本はベスト8への道が途絶えることとなる苦しい展開となった。後半になるとドイツ戦と同じ采配で選手と陣形を変えて攻勢に出る。48分に堂安律、51分に田中碧が立て続けにゴールを奪い後半開始からわずか6分で逆転に成功。コスタリカもドイツから後半開始25分で2点を奪って逆転したため、一時は日本とコスタリカが勝ち抜けという状況にもなった(コスタリカは3分後に追いつかれた)。 逆転されたスペインは1次リーグ敗退の危機に追い込まれ立て続けに選手交代をして攻勢を強め、ドイツも最終的にコスタリカに4-2と2点差で勝利したために日本が決勝トーナメントに進むには勝利しかなくなった。しかし、パス1,000回を駆使したスペイン相手に5分間で効率良く2得点かつ堅守で逃げ切り、アジア勢史上初となるスペイン戦の勝利と日本代表としては史上初となる2大会連続の決勝トーナメント進出を勝ち取った[103][104][105][106][107]。また、スペイン戦の勝利により日本のW杯における勝利数は通算で7となり翌日勝つ韓国と並んでアジア勢最多となった[108][109]
2回目となる1位通過した日本はラウンド16(1回戦)で、前回大会準優勝FIFAランキング12位のクロアチアと対戦。前回トーナメントでPK勝ち2回、延長勝ち1回という粘り強いチームであった。開始から日本が攻めながらも相手のルカ・モドリッチを中心としたクロスやロングスローを多用した攻勢に押し返される展開であったが、前半43分にセットプレーの流れから前田大然が待望の先制点を挙げる。しかし、55分にクロスからイヴァン・ペリシッチにヘディングで同点ゴールを決められ、そのまま決着は着かずPK戦にもつれ込んだ。日本はクロアチアのGKドミニク・リヴァコヴィッチに3人のシュートが止められ、最後はクロアチアの4人目マリオ・パシャリッチに決められたところで試合終了。日本はまたしても、史上初のベスト8にあと一歩届かなかった[110][111][112][113][114]
1大会で2回逆転勝ちしたのはブラジル(西)ドイツに続いて52年ぶり3チーム目、66年大会以降のチームとしては最低保持率で勝利する等記録づくめの大会となった[115][116]。国際サッカー連盟(FIFA)は決勝後、本大会を総括し日本代表をアルゼンチン、クロアチア、モロッコと共に「傑出していたチーム」と評価した[117]。海外メディアからも様々な論評が溢れ、アジア勢が決勝トーナメントに3ヵ国進出したのも欧州勢の次に多く史上最多であった。
2026年北中米大会
カタール大会終了後、日本代表史上初めて指揮官の継続が発表され、2026 FIFAワールドカップ・アジア3次予選で7勝2分1敗、3試合を残しさらには日本史上、世界最速で8大会連続8回目の本大会出場を決めた[118]。さらに、2025年10月14日にはブラジルに歴史的初勝利を挙げ、3月末にはイングランドにも初勝利し、日本代表は歴代最強とも呼ばれた[119][120][121][122][123][124]。そして5月31日には、ワールドカップ本番前国内最後の強化試合でアイスランドと対戦した。開始から相手の質の高さに苦しみ、思い通りにパスが繋がらない場面が終始多かったが、87分に小川航基が先制点を奪い1-0で勝利。ワールドカップ本番前国内最後の強化試合を勝利で終えた[125][126][127]
本大会ではグループFに入り、初戦でヨーロッパの強豪オランダ、第2戦でアフリカのチュニジア、第3戦でヨーロッパのスウェーデンと対戦し、下馬評ではオランダに次ぐ2位通過であった。
初戦となった強豪のオランダ戦では前半を0-0で折り返すと50分、エースのフィルジル・ファン・ダイクから先制点を奪われ、57分に中村敬斗のゴールで一時は追いつくも7分後にクリセンシオ・サマーフィルのゴールで2度リードされる厳しい展開のなか、後半44分にコーナーキックから小川航基のヘディング弾を鎌田大地がコースを変えてゴールネットを揺らし同点に追いついて、2-2の引き分けに持ち込んだ[128][129][130]
2戦目となったチュニジア戦では4分、ワールドカップ2戦連発となる鎌田の先制弾から始まった31分には上田綺世が得点を決め、69分にも伊東純也がゴールネットを揺らし83分には上田がこの試合2点目となる4点目をあげ、4ー0のまま試合を締め、24年ぶりにグループステージ2戦目で勝利した(上田は日本代表としては史上初となるW杯2得点を記録)。なお、この試合は大会通算1000試合目となるメモリアルな試合であったうえ、前半4分での得点は日本代表ワールドカップ史上最短でのゴールで1試合4得点はアジア勢最多となる得点であり、記録づくめな試合となった[131][132][133]
負け以外で2位以内が確定する第3戦目はスウェーデンと対戦。前半を0-0で折り返すと56分に見事な崩しから前田大然が待望の先制点を挙げる。しかし、その6分後にスウェーデンのアンソニー・エランガに強烈なミドルシュートで同点ゴールを決められるとそこから流れはスウェーデンに傾き攻め込まれる時間が長くなる。それでも鈴木彩艶が幾度もファインセーブを見せて1-1の引き分けに持ち込み、2位で決勝トーナメントへ進出した[134][135][136][137]
グループF2位通過した日本はラウンド32(1回戦)で5度の優勝を誇るブラジルと対戦した。日本とブラジルがW杯で対戦するのは2006年大会以来20年ぶりだが、その20年前に日本はブラジルに1-4の敗戦を喫したことなどから、厳しい戦いを擁することが予想された。代表選手の塩貝健人が試合前にブラジル代表について言及した(→詳細は「塩貝健人#人物・エピソード」を参照。)。試合開始から日本は前線にハイプレスをかけるものの、ブラジルにボールを回される時間が続いた。そんな中、29分に佐野海舟が中盤でボールを奪うと、そのままドリブルで相手陣内に侵入しミドルシュートを放つと、ボールは見事左隅に吸い込まれ日本が待望の先制点を挙げる。その後ブラジルに攻め込まれながらも無失点に抑え前半を1-0で折り返す。後半からブラジルのエースヴィニシウス・ジュニオール中心に両サイドを満遍なく使いながら、ゴールを狙いに行った。日本はこの攻撃に苦戦しながらも、11人全員が自陣に戻り守っていた。ところが、56分に左サイドでガブリエウのクロスにカゼミーロにヘディングで合わせられて同点ゴールを決められてしまう。これを機にさらにブラジルは攻勢を強めるが、鈴木彩艶のセーブを中心に粘り強い守備で何とか対応する。このまま延長戦に入るかと思われたが、後半アディショナルタイム5分に田中碧が一度はボールを奪ったものの、その田中が自陣でボールを奪われると、ブルーノ・ギマランイスのパスに反応したガブリエウ・マルティネッリに逆転ゴールを決められたところで試合終了[138][139][140]。1966年以降、ワールドカップのトーナメントの延長戦を除いたレギュラータイムで生まれた最も遅い決勝ゴールでの敗退となった[141][注 8]。日本はまたしても決勝トーナメント1回戦で敗れ、選手のほとんどは天を仰いだ。ただ、海外メディアは日本は5度の優勝を誇るブラジルに対してここまで苦しめたと賞賛を受け[142]、長年のライバルであった韓国も「日本はアジア最強と認めざるを得ない」と賞賛した[143]。なお、この大会ではワールドカップにおける日本代表史上最多となる8ゴールを記録し、さらに参加したすべての試合で得点を挙げた初めてのワールドカップとなった。

FIFAコンフェデレーションズカップ

各大陸別選手権の王者の大会。プレW杯の大会では国際Aマッチデーに入っていた。2017年大会(第10回)で廃止[144]

1995年大会(第2回、当時の大会名はキング・ファハド・カップ)
アジアカップを初制覇して初出場した大会であったが、2試合2敗・得点1失点8のグループリーグ最下位と惨敗に終わった。
2001年大会(第5回)
地元開催となった当大会では、初戦で北中米カリブ王者カナダを破りコンフェデレーションズカップ初勝利を上げると、第2戦でアフリカ王者カメルーンを撃破しグループリーグ突破を決めた。第3戦では南米王者ブラジル相手に善戦して引き分け、グループリーグ1位となった。準決勝では大雨の中、オーストラリアと対戦、中田のFKが決勝点となり1-0で勝利し決勝進出。しかし、決勝前に中心選手である中田が所属クラブであるASローマのスクデット争いのためにチームを離れ、決勝ではフランスに0-1で惜敗した。男子日本代表がA代表に於けるFIFA主催の大会で決勝に進んだのは史上唯一の快挙である(2026年5月現在)。
2003年大会(第6回)
初戦でオセアニア王者ニュージーランドに大勝するも、欧州王者フランス、南米王者コロンビアに連敗。グループリーグ3位となり、2大会連続のノックアウトステージ進出はならなかった。
2005年大会(第7回)
欧州王者ギリシャに勝利し、南米王者ブラジルと引き分けるも初戦で北中米カリブ王者メキシコに敗戦したことが響き、得失点差でグループリーグ3位となりノックアウトステージ進出ならず。
2013年大会(第9回)
アジアカップ2011を制し、2大会振りの出場となったが、同組にブラジル、欧州王者・イタリア、北中米カリブ王者・メキシコと「死の組」に入った。ブラジル戦では、前半3分にネイマールにゴールを決められ、0-3と完敗。イタリア戦では、前半に2点を先制するも逆転され、岡崎慎司のゴールで追いつくも、セバスティアン・ジョヴィンコに決勝ゴールを決められる激闘の末3-4で敗れた。メキシコ戦では、2点を先制され、岡崎慎司のゴールで1点を返すも及ばず、3戦全敗のグループリーグ最下位に終わった。攻撃的サッカーを標榜して戦った日本代表ではあったが、失点数は3試合で9点に及び、守備力への不安が露呈した。アジアカップ2015は準々決勝で敗れ、第10回への出場権を獲得できなかったため、日本代表にとって最後のコンフェデレーションズカップとなった。

アジアカップ

アジアサッカー連盟(AFC)主催のアジア王者を決める大会で、国際Aマッチデーに入っている。2015年オーストラリア大会までは優勝国にFIFAコンフェデレーションズカップの出場権が与えられていたが、コンフェデレーションズカップは2017年の大会を最後に廃止された[144]

アジアにおいては、AFC主催のアジアカップ(サッカー単一種目での大陸選手権)と並んでアジアオリンピック評議会主催のアジア競技大会(総合競技大会)がかつて高い位置を占めていたので、サッカー日本代表は後者をより重視した。その理由としては、当時はアマチュアリズム全盛の時代で、オリンピックを重視していたため五輪と同年のアジアカップを軽視していたことや、現在とは違い代表に投資できる年間予算も限られていたことなどが挙げられる(当時のアジア大会の最高成績は1951年ニューデリー大会と1966年バンコク大会の3位。U-23の大会に変わった後の2010年広州大会で優勝を果たしている)。

1967年7月、台北で開催された第4回アジアカップイラン大会東地区予選に日本B代表が初参加したものの予選で敗退した。B代表が出場したのは、同じ7月にA代表がペルーとブラジルへ遠征中だったためである。続く第5回タイ大会は不参加した。1975年6月、香港で開催された第6回イラン大会東地区予選では初めてA代表が出場した。東地区予選大会は決勝に進んだ2チームが出場する形だった。6月14日の組み分け予備戦(組み分けを決めるために行う試合)で香港と対戦し引き分けたもののPK戦で勝てず (0-0 (PK3-4))、グループリーグでは1勝1敗で準決勝に進み、中国と対戦したが、6分、33分と失点。日本の得点は43分に1点を返したのみで終わり、1-2で敗れ予選敗退が決まった。その後、第7回クウェート大会第8回シンガポール大会と立て続けに参加しなかった。

前述のとおり、1992年バルセロナ五輪から五輪が23歳以下の選手の大会になったことで1987年10月26日にソウル五輪アジア最終予選第6戦最終戦中国戦で日本が0-2で敗れ、予選敗退が決まった直後からJFAは日本A代表の最大の目標をワールドカップへと完全に切り替えた。

1988年第9回カタール大会予選で大学生を主体とするB代表が初めて予選を突破し、そのままB代表が同年12月の本大会に出場したが、本大会では1次リーグ4試合を通じ無得点で1分3敗のグループ最下位で大会を終えた。当時は依然としてJFAやマスコミはアジアカップを軽視しており(同時期に日本で開催していたトヨタカップを重視し、アジアカップに帯同する記者が少なかったことについて大会の関係者が次回の日本開催について考えなおす旨の発言もあった)、バルセロナ五輪(この五輪から23歳以下の大会)アジア予選に向けたチーム作りの一環として第9回カタール大会予選にB代表を参加させた。ところが、期せずして予選を突破したため、そのまま本大会にも出場させたという[10](ただし、このB代表からはいずれも1969年8月1日生以降という年齢制限のため五輪予選には参加していない)。

JFAは、日本代表監督としては史上初の外国人監督であるハンス・オフトを1992年3月に日本代表監督へ就任させた。

1992年10月30日から開幕する第10回日本大会へは開催国として出場が決まっており、開催国としても翌年5月15日に迫ったJリーグ開幕に向け盛り上げるためにも、オフトがチームを掌握するためにも(就任当初は基礎を徹底するオフトに主力が反発するも結果が出るに従い収まっていったが、中心選手のラモス瑠偉だけが猛反発した。1992年9月26日のオフトとの個人面談で和解したが[145]、アジアカップの結果次第では再燃する恐れがあった)、そして何より翌年4月8日から始まる1994年アメリカW杯アジア予選(1993年4月8日がアジア一次予選初戦タイ戦)に自信を持って挑むためにも、この大会での勝利、好成績が求められていた[10]

広島県の4つのスタジアムで開催された日本大会では、初戦のUAE、2戦目の北朝鮮といずれも引き分け、3戦目の前にUAEが北朝鮮に勝利したため[注 9] 暫定3位となり、それまで1勝1分のイランに勝たなければグループリーグ敗退となる状況で、53分に相手FWが退場になり人数的に有利になりながらもなかなか得点を挙げられなかったが、87分に井原正巳のパスから三浦知良のゴールで先制し、その後アディショナルタイムにイランにさらに2人の退場者が出る荒れた試合になったものの、1-0で辛くもアジアカップ初勝利を挙げ、決勝トーナメント進出を決めた。準決勝の中国戦では開始早々に失点、その後後半に2点を入れ逆転したものの、60分にGK松永成立が相手を蹴ったとしてレッドカードで退場、1人少ない状態から一旦は追いつかれたが、84分に中山のヘディングゴールで3-2で辛勝。決勝では、サウジアラビアに対し、36分の高木琢也のゴールを守り切り1-0で勝利、主要国際大会で史上初めての優勝をもたらした。日本は初めてフルメンバーで挑んだアジアカップで、初の栄冠を勝ち取ったのであった。またこの大会は日本各地にサポーターが生まれるきっかけにもなった(それまでも東京の国立では日本サッカー狂会をはじめ数少ないサポーターたちが声をそろえて応援し続けていたが、この大会ではウルトラス・ニッポンの一般観客を巻き込みながらスタンド全体で手拍子と歌によって行う大規模な応援が注目を集め、マスコミが報道した[10]。そのことで翌年のJリーグ開幕以降、日本各地にサポーターが誕生することになった)。

1996年第11回UAE大会は、グループリーグを3戦全勝で通過したものの、準々決勝でクウェートに0-2で敗れ、連覇を逃した。

2000年第12回レバノン大会は、直前のシドニー五輪を戦った中村俊輔高原直泰ら「黄金世代」といわれたシドニー五輪代表と、名波浩川口能活フランスワールドカップ以来のメンバーが融合したチームをフィリップ・トルシエ監督が率い、圧倒的なパフォーマンスで大会を席巻。グループリーグを2勝1分で1位通過すると、準々決勝ではイラクを4-1、準決勝では中国を3-2でそれぞれ逆転で下す。そして決勝戦では前回優勝のサウジアラビアを1-0で破り、2大会ぶり2度目の優勝を果たした。

2004年第13回中国大会は、年初に小泉純一郎首相靖国神社に参拝したことなどによる影響で、日中関係が悪化し、歴史認識を巡る反日感情が高まる中で試合が行われ、開催国・中国との対戦を含む全ての試合で、試合前の国歌斉唱がかき消されるほどに、中国人サポーターの激しいブーイングを受けるなど「完全アウェー」での戦いとなった[146][147]。ノックアウトステージでは初戦のヨルダン戦がPK戦にもつれ込んだ。ペナルティースポット付近の芝の状態が悪く、一人目の中村俊輔と二人目の三都主アレサンドロが続けて外し劣勢に立たされるなか、キャプテンの宮本恒靖がピッチの変更を主審に直談判。これが認められピッチが変更されるという異例の展開となった(後に宮本は、この進言がなんとか流れを変えるための「ダメもと」のもので、まさか聞き入れてくれるとは思わなかったと話している[148])。それで流れが変わったのか、決められれば負けという絶体絶命の状況からGKの川口能活が2つシュートを阻止。両方とも川口が弾いたボールがクロスバーに当たって外れるという神がかり的な活躍を見せた[149]。その2つを含め、ヨルダンは4本連続でPKを失敗し、日本が逆転勝利を収めた[150]、準決勝では0-1から39分に遠藤保仁が退場処分となりながらも後半に逆転、その後再逆転を許すも終了間際に中澤佑二のゴールで同点に追いつき、延長に入り玉田圭司が決勝ゴールを決め4-3で決勝進出。決勝戦では開催国の中国を3-1で下して、2大会連続3度目の優勝を果たした。

2007年第14回タイ、マレーシア、ベトナム、インドネシア共催大会は、高温多湿な気候や、試合前にスコールが降るなど、真夏の東南アジアへの適応に苦しむ国が続出した一方で、下馬評が決して高くなかった東南アジアの開催国4ヶ国のうち3ヶ国がグループリーグで1勝を挙げ、ベトナムが決勝トーナメントに進出するなど、ホームアドバンテージの恩恵を受けた開催国の健闘が注目を浴びた[151]。日本はグループリーグを2勝1分の1位で通過。準々決勝では初参加のオーストラリアをPK戦の末に勝利してベスト4へ進んだものの、準決勝でサウジアラビアに2-3で敗れ、3連覇を逃した。3位決定戦でも韓国相手にPK戦を制することが出来ず4位に終わった。日本は、1996年大会準々決勝でクウェートに敗れて以降、この大会の準決勝でサウジアラビアに敗れるまで16試合連続無敗を続けていた。ちなみにサウジアラビアも1984年大会の初戦から16試合連続無敗を続けていたが、1992年大会決勝で日本に敗れ記録が止まっていた。

2011年第15回カタール大会は、初戦のヨルダン戦で先制を許し、試合終了間際に辛くも追いつきドロー発進。続くシリア戦は先制するも、不可解なPK判定で追いつかれる苦しい展開となったが、岡崎慎司が「ほぼ取らないと思う」と振り返る際どいPKを獲得[152]、それが決勝ゴールとなり辛勝。3戦目のサウジアラビア戦は、岡崎がハットトリックを決める活躍で、5-0と圧勝。2勝1分の1位でグループステージを通過した。準々決勝の開催国カタール戦では、10人になりながらも伊野波雅彦が決勝ゴールを決め、3-2で逆転勝利。準決勝の韓国戦では、延長戦でも決着が付かずPK戦に突入し、川島永嗣が相手のPKを2本止める活躍で勝利し、決勝進出。試合中、ゴールを決めた韓国の奇誠庸が猿を真似たパフォーマンスを行い批判を浴びた[153]。決勝のオーストラリア戦では、0-0のまま延長戦に突入し、延長後半に長友佑都の左サイドからのクロスに李忠成ダイレクトボレーで合わせ、代表初ゴールとなる決勝点を決めた。2大会ぶり歴代最多となる4度目の優勝を遂げたが、波乱に満ちた試合の連続で、Number戸塚啓は「嵐のような2011年大会」と表現した[154]

2015年第16回オーストラリア大会では、グループリーグを3戦全勝、無失点で1位通過。準々決勝のUAE戦では開始早々にこの大会初失点を喫するも、終盤に柴崎岳のゴールで追いつき延長戦に突入。ボール支配率・シュート数では相手を圧倒し、再三にわたり決定機を作るも決められない展開が続いた。延長戦でも勝負を決められず、PK戦となり、1番手の本田と6番手の香川が失敗し、無敗(3勝1分)のままベスト8で敗退。準々決勝敗退は加茂周監督が率いた1996年大会以来で、Jリーグ発足後の成績としては1996年大会と並んで過去最低の記録となった[155]

2019年第17回UAE大会では、グループリーグから準々決勝までの5試合を全て1点差で勝利。準決勝では優勝候補のイランを3-0で破り決勝に進出した。決勝直前には、カタール代表の帰化選手の出場資格について疑惑が浮上し、UAEサッカー協会が、AFCに異議申立てを行うという騒動があった[156]。認められれば没収試合となる可能性もあったが、AFCはUAEの申し立てを棄却。決勝は予定通り開始された[157]。決勝では、2点を先制されるも南野拓実のゴールで1点を返し追い上げムードに。しかし、吉田麻也がエリア内でハンドを取られ、カタールにPKが与えられた。相手選手とヘディングで競り合う中でボールが腕に当たってしまったことが、この大会から導入されたVARでハンドと判定されたもので「これまで見た中で最もバカげたPKの一つ」と吉田に同情する報道もあった[158](その後、ボールが偶発的に手や腕に当たった場合はハンドをとられにくくなるようルールが改正された[159])。試合は1-3で敗れ、2大会ぶりの優勝を逃した[160][161]。この試合は、森保体制となって以来初めての敗戦であった。また、これまで日本は通算4度の決勝戦で全て勝利しており、決勝で敗れるのもこれが初めてだった。

AFCアジアカップ2023[162]は、開催予定だった中国が開催権を返上したため、カタールでの開催となった。前述の2022 FIFAワールドカップが同じくカタールで2022年11月20日から12月18日まで開催された影響もあり、2024年1月12日から2月10日までの開催となる。本大会で日本はグループDに入り、初戦でベトナム、第2戦でイラク、最終節でインドネシアと対戦する組み分けとなった[163]。初戦のベトナム戦は前半11分に南野拓実のゴールで先制するも直後に16分・33分と立て続けに失点し、一時逆転されるも直後に45分・45+4分と立て続けに得点して逆転し4-2で勝利[164][165]。しかし、第2戦のイラク戦ではアイマン・フセインに前半5分にヘディングで先制ゴールを決められると45+4分にもフセインにヘディングでゴールを決められて前半を2点ビハインドで終えることに。後半に入ってからは日本のペースで試合を進め、試合終了間際の90+3分に遠藤航がヘディングでゴールを決めて1点を返すも同点には追いつけず1-2で惜敗[166][167][168]。1992年大会以来続いていたグループステージ無敗記録は25試合で止まり、アジアカップのグループステージでは1988年大会以来となる敗北を喫した[169]。日本はこの時点でグループステージ首位通過の可能性が消滅した。第3戦のインドネシア戦では試合終了間際にロングスローからサンディ・ウォルシュのゴールで失点するも上田綺世の2ゴールの活躍で3-1で勝利し、決勝トーナメント進出を決めた[170][171]。決勝トーナメント1回戦のバーレーン戦では前半31分に堂安律のゴールで先制すると、49分に久保建英がゴールを決める。しかし、64分に板倉滉鈴木彩艶が交錯したことによるオウンゴールで1点は失ったが、72分に上田綺世の3点目が決まりバーレーンに3-1で勝利し、ベスト8進出を決めた[172][173]。準々決勝はカタールW杯後16戦無敗を維持するイランと対戦した。開始から日本がゲームを支配する中で、前半28分に守田英正が待望の先制ゴールを決める。しかし、55分にモハマド・モヘビに同点ゴールを決められると、その後は高さとフィジカルを活かしてロングボールを多用するイランを相手に守勢に回り、防戦一方の展開に。試合終了間際に守備陣の連携ミスから板倉がペナルティエリア内で相手を倒してしまいPKを献上。アリレザ・ジャハンバフシュに決められたところで試合終了となった。アジアカップ史上初めて全試合で失点をし、総失点数は5試合で史上最低の8失点と守備が安定しなかった。史上最強と称され優勝候補筆頭だったが、3大会ぶりの優勝には届かず、史上最低タイのベスト8で大会を去ることとなった[174][175][176]

AFCアジアカップ2027はグループFに入り、初戦で前回大会並びに2026 FIFAワールドカップ・アジア3次予選で対戦したインドネシア、2戦目でタイ、最終戦でアジアカップ2連覇中のカタールと対戦する組分けとなった。前回大会は中国の開催権返上、カタールの夏の高温により2024年に開催されたが、本大会は通常の4年周期に戻る。

コパ・アメリカ

南米サッカー連盟(CONMEBOL)主催の南米王者を決める大会で、国際Aマッチデーに入っているが、CONMEBOLに所属していない招待された代表には国際Aマッチデーによる拘束権はない。CONMEBOLの加盟国は10ヶ国であり、4チームずつのグループを3つ作るため、1993年大会以降、南米大陸外から代表チームを招待するのが慣例となっている[177]アメリカやメキシコなどアメリカ州から招待されることが多く、日本はアメリカ州外から招待された初めての国である。日本はこれまでに3度招待されており、1999年大会2019年大会に出場した。

2011年大会にも招待を受け出場予定であったが[178]、同年3月に発生した東日本大震災に伴うJリーグの日程変更により、主力となるはずの国内クラブ所属選手の招集が難しくなり、また欧州クラブ所属選手の招集も困難であった(アジア大陸の選手権ではないので代表拘束権がない)ことなどから、参加を断念。2015年および2016年もスケジュール調整の関係で参加を辞退した。

1999年大会以来の出場となった、2019年大会は平均年齢22.3歳という東京五輪世代中心で構成されたメンバーで、初戦のチリ戦は0-4と大敗したが、2戦目のウルグアイ戦は2-2の引き分けに持ち込み、勝てば決勝トーナメント進出となる3戦目のエクアドル戦では、中島翔哉のゴールにより先制するも1-1の引き分けに終わり、決勝トーナメント進出を逃した。

EAFF E-1サッカー選手権

東アジアサッカー連盟(EAFF)主催の東アジアの代表王者を決める大会。国際Aマッチデーには入っていないため、各国とも、国内以外の海外リーグに所属する選手を招集するのが難しく、国内リーグの選手のみの代表となることがほとんどである。日本代表は2003年大会から出場しており、2025年現在の成績は、優勝3回、準優勝5回、3位1回、4位1回である。

2017年大会では、初戦の北朝鮮戦は前半から攻めあぐねる場面が散見されるなど、かなりの接戦を強いられたが後半ATに井手口陽介がボレーシュートを決めて1-0と競り勝った[179]。第2戦の中国戦も初戦に続き、前半は決定力を欠いてスコアレスで折り返したが、試合終盤の84分に小林悠が代表初ゴールを決めると、その4分後には昌子源が約40メートルのロングシュートを打ち、追加点を決めた(ゴールを決めた昌子も代表初ゴールとなった)。試合終了間際にPKを決められ1点返されるも、2-1で逃げ切り勝利した[180]。負け以外で優勝が決まる最終戦の韓国戦は前半3分に小林のPKで先制するも、その後に3点を奪われるなど1-4と大敗を喫し2大会ぶりの優勝を逃した[181]。なお、この試合で監督を務めたヴァイッド・ハリルホジッチは、翌年3月のヨーロッパ遠征後の4月7日付で解任された[182]

2019年大会では、初戦の中国戦は29分に鈴木武蔵が先制ゴールを決めると、70分には三浦弦太が2点目のゴールを決めた(ゴールを決めた2人はいずれも代表初ゴールとなった)。試合終了間際に1点を返されたものの、同点にさせることなく2-1で勝利した[183]。第2戦の香港戦は菅大輝田川亨介小川航基の東京五輪世代の3人の活躍で5-0の快勝を収めた(ゴールを決めた3人は全員が代表初ゴール、小川は代表デビューでハットトリック達成という史上3人目の快挙を成し遂げた)[184]。負け以外で優勝が決まる最終戦の韓国戦では前半から韓国に攻め込まれる場面が多く、28分にファン・インボムに先制ゴールを決められ、1点ビハインドで前半を終える。後半は前半よりも攻撃の場面を増やし最後まで同点ゴールを目指すも結局追いつけず0-1で敗戦。韓国に逆転され2位に終わり、3大会ぶりの優勝を逃した[185]

2022年大会は、開催予定だった中国が開催権を返上したため、自国開催となった。初戦の香港戦は相馬勇紀町野修斗西村拓真がそれぞれ2得点ずつを決め6-0で大勝(町野と西村はこれが代表デビュー戦だった)[186][187]。だが続く中国戦ではシュート20本を放ちながら得点できず、0-0の引き分けに終わる[188][189]。勝つ以外優勝はないという状況で臨んだ韓国戦は前半を0-0で折り返すと、49分に相馬勇紀が先制ゴールを決める。その後も64分に佐々木翔、72分に町野修斗が立て続けに得点を決め、3-0で勝利。韓国を逆転し4大会ぶり2回目の優勝を飾った[190][191]

2025年大会は初戦で香港と対戦しジャーメイン良が95年ぶりとなる代表デビュー戦で4ゴールの大活躍などで6-1で快勝した。中3日で迎えた中国戦では前半11分に細谷真大のゴールで先制し、守ってはこの試合が代表デビュー戦となった早川友基のファインセーブで相手に得点を与えず、1点リードで試合を折り返し、63分に望月ヘンリー海輝が代表初得点を決め、そのまま逃げきって2-0で勝利し1位で2位韓国との優勝決定戦となる第3戦に挑んだ[192]。負け以外で優勝が決まる状況で挑んだ韓国戦は開始から韓国にゲームを支配され、前半7分にナ・サンホに低く鋭い弾道のシュートを放たれるが、これは右ポストに救われると直後にこの大会5ゴール目となるジャーメイン良のゴールで先制点を奪い前半を1点リードで折り返す。しかし、後半に入ると前半よりも相手にチャンスを作られる場面が増えて日本は苦境に陥る。それでも大迫敬介のファインセーブなどで相手にゴールを割らせず、最後まで1-0で逃げ切って日本史上初となる韓国戦の3連勝と東アジア選手権史上初となる全勝優勝を達成した[193][194]

成績

主な成績

FIFAワールドカップの成績

 赤枠線  は日本の国内開催 )

FIFAワールドカップ FIFAワールドカップ・予選
開催国 / 年 結果 順位 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
ウルグアイの旗 1930年 ( 不参加 ) ( 不参加 )
イタリア王国の旗 1934年
フランスの旗 1938年
ブラジルの旗 1950年
スイスの旗 1954年 予選敗退 2 0 1 1 3 7
スウェーデンの旗 1958年 ( 不参加 ) ( 不参加 )
チリの旗 1962年 予選敗退 2 0 0 2 1 4
イングランドの旗 1966年 ( 不参加 ) ( 不参加 )
メキシコの旗 1970年 予選敗退 4 0 2 2 4 8
西ドイツの旗 1974年 4 1 0 3 5 4
アルゼンチンの旗 1978年 4 0 1 3 0 5
スペインの旗 1982年 4 2 0 2 4 2
メキシコの旗 1986年 8 5 1 2 15 5
イタリアの旗 1990年 6 2 3 1 7 3
アメリカ合衆国の旗 1994年 13 9 3 1 35 6
フランスの旗 1998年 グループリーグ敗退 31位 3 0 0 3 1 4 15 9 5 1 51 12
日本の旗大韓民国の旗 2002年 ベスト16 9位 4 2 1 1 5 3 予選免除(開催国)
ドイツの旗 2006年 グループリーグ敗退 28位 3 0 1 2 2 7 12 11 0 1 25 5
南アフリカ共和国の旗 2010年 ベスト16 9位 4 2 1 1 4 2 14 8 4 2 23 9
ブラジルの旗 2014年 グループリーグ敗退 29位 3 0 1 2 2 6 14 8 3 3 30 8
ロシアの旗 2018年 ベスト16 15位 4 1 1 2 6 7 18 13 3 2 44 7
カタールの旗 2022年 9位 4 2 1 1 5 4 18 15 1 2 58 6
カナダの旗アメリカ合衆国の旗メキシコの旗 2026年 ベスト32 21位 4 1 2 1 8 5 16 13 2 1 54 3
モロッコの旗ポルトガルの旗スペインの旗アルゼンチンの旗ウルグアイの旗パラグアイの旗 2030年 TBD
サウジアラビアの旗 2034年 TBD
合計 最高成績:ベスト16 (4回)
23大会中/8大会出場
29 8 8 13 33 38 154 96 29 29 359 94

  • 決勝トーナメント/ノックアウトステージでのPK戦は"引分"に含む。
  • 1930年の第1回大会は招待されるも辞退。
  • 1950年大会当時、JFA(当時は日本蹴球協会)はFIFAの資格停止処分中。同年9月23日にFIFA再加盟。

FIFAワールドカップの全試合結果

 赤枠線  は日本の国内開催 )

FIFAコンフェデレーションズカップの成績

出場した大会のみ表記

2002 FIFAワールドカップの記念貨幣

 赤枠線  は日本の国内開催 )

FIFAコンフェデレーションズカップ
開催国 / 年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
キング・ファハド・カップ(サウジアラビア開催・運営)
サウジアラビアの旗 1995年 グループリーグ敗退 2 0 0 2 1 8
FIFAコンフェデレーションズカップ(FIFA管轄)
日本の旗大韓民国の旗 2001年 準優勝 5 3 1 1 6 1
フランスの旗 2003年 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 3
ドイツの旗 2005年 3 1 1 1 4 4
ブラジルの旗 2013年 3 0 0 3 4 9
合計 最高成績:準優勝 16 5 2 9 19 25

オリンピックの成績

1964年東京オリンピック
1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技。日本はFW渡辺正を現在でいうスーパーサブにして銅メダルを獲得した[195]

 赤枠線  は日本の国内開催 )

オリンピック
開催国 / 年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
イギリスの旗 1908年 不参加
スウェーデンの旗 1912年
ベルギーの旗 1920年
フランスの旗 1924年
オランダの旗 1928年
ドイツ 1936年 ベスト8 2 1 0 1 3 10
イギリスの旗 1948年 不参加
フィンランドの旗 1952年
オーストラリアの旗 1956年 1回戦敗退 1 0 0 1 0 2
イタリアの旗 1960年 予選敗退
日本の旗 1964年 ベスト8 3 1 0 2 5 9
メキシコの旗 1968年 3位 6 3 2 1 9 8
ドイツの旗 1972年 予選敗退
カナダの旗 1976年
ソビエト連邦の旗 1980年 不参加
アメリカ合衆国の旗 1984年 予選敗退
大韓民国の旗 1988年
合計 17大会中/4回出場 12 5 2 5 17 29

アジア競技大会の成績

 赤枠線  は日本の国内開催 )

アジア競技大会
開催国 / 年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
インドの旗 1951 3位 1 0 0 1 2 3
フィリピンの旗 1954 グループリーグ敗退 2 0 0 2 5 8
日本の旗 1958 2 0 0 2 0 3
インドネシアの旗 1962 3 1 0 2 3 4
タイ王国の旗 1966 3位 7 6 0 1 18 5
タイ王国の旗 1970 4位 7 5 0 2 8 5
イランの旗 1974 1次リーグ敗退 3 1 1 1 5 4
タイ王国の旗 1978 3 1 0 2 5 5
インドの旗 1982 ベスト8 4 3 0 1 6 3
大韓民国の旗 1986 グループリーグ敗退 4 2 0 2 9 4
中華人民共和国の旗 1990 ベスト8 3 1 0 2 3 1
日本の旗 1994 4 1 2 1 9 5
タイ王国の旗 1998 2次リーグ敗退(ベスト16) 5 3 0 2 8 4
合計 出場13回/3位(2回) 61 36 8 17 128 63

  • 1998年大会は、大会規定上はフル代表が出場可能であったものの、日本はU-21の選手で参加した。

AFCアジアカップの成績

 赤枠線  は日本の国内開催 )

AFCアジアカップ AFCアジアカップ・予選
開催国 / 年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
香港の旗 1956年 不参加 不参加
大韓民国の旗 1960年
イスラエルの旗 1964年
イランの旗 1968年 予選敗退 4 3 1 0 8 4
タイ王国の旗 1972年 不参加 不参加
イランの旗 1976年 予選敗退 4 1 1 2 3 4
クウェートの旗 1980年 不参加 不参加
シンガポールの旗 1984年
カタールの旗 1988年 グループリーグ敗退 4 0 1 3 0 6 4 2 1 1 6 3
日本の旗 1992年 優勝 5 3 2 0 6 3 免除(開催国)
アラブ首長国連邦の旗 1996年 ベスト8 4 3 0 1 7 3 免除(前回優勝)
レバノンの旗 2000年 優勝 6 5 1 0 21 6 3 3 0 0 15 0
中華人民共和国の旗 2004年 6 4 2 0 13 6 免除(前回優勝)
インドネシアの旗マレーシアの旗タイ王国の旗ベトナムの旗 2007年 4位 6 2 3 1 11 7 6 5 0 1 15 2
カタールの旗 2011年 優勝 6 4 2 0 14 6 6 5 0 1 17 4
オーストラリアの旗 2015年 ベスト8 4 3 1 0 8 1 免除(前回優勝)
アラブ首長国連邦の旗 2019年 準優勝 7 6 0 1 12 6 8 7 1 0 27 0
カタールの旗 2023年 ベスト8 5 3 0 2 12 8 8 8 0 0 46 2
サウジアラビアの旗 2027年 6 6 0 0 24 0
合計 最高成績:優勝(4回)
19大会中/11大会出場
53 33 12 8 104 52 49 40 4 5 161 19

  • 決勝トーナメントでのPK戦は"引分"に含む。
  • 1988年大会は日本代表Bとして出場のため、JFAでは国際Aマッチとしていない。
  • 2007年大会は4カ国開催のため、前回優勝チームの日本も予選から参加した。

コパ・アメリカの成績

出場した大会のみ記載。

コパ・アメリカ
開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
パラグアイの旗 1999年 グループリーグ敗退 3 0 1 2 3 8
ブラジルの旗 2019年 3 0 2 1 3 7
合計 出場2回 6 0 3 3 6 15

ダイナスティカップの成績

 赤枠線  は日本の国内開催 )

ダイナスティカップ
開催国 / 年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
中華人民共和国の旗 1990 4位 3 0 0 3 0 4
中華人民共和国の旗 1992 優勝 4 2 2 0 8 3
香港の旗 1995 優勝 4 2 2 0 8 4
日本の旗 1998 優勝 3 2 0 1 7 4
合計 出場4回/優勝3回 12 6 2 4 19 11

  • 決勝でのPK戦は"引分"に含む。

EAFF E-1サッカー選手権の成績

 赤枠線  は日本の国内開催 )

EAFF E-1サッカー選手権
開催国 / 年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
日本の旗 2003年 準優勝 3 2 1 0 3 0
大韓民国の旗 2005年 3 1 1 1 3 3
中華人民共和国の旗 2008年 3 1 2 0 3 2
日本の旗 2010年 3位 3 1 1 1 4 3
大韓民国の旗 2013年 優勝 3 2 1 0 8 6
中華人民共和国の旗 2015年 4位 3 0 2 1 3 4
日本の旗 2017年 準優勝 3 2 0 1 4 5
大韓民国の旗 2019年 3 2 0 1 7 2
日本の旗 2022年 優勝 3 2 1 0 9 0
大韓民国の旗 2025年 優勝 3 3 0 0 9 1
合計 出場10回/優勝3回 30 16 9 5 53 26

現招集メンバー

2026年6月、2026 FIFAワールドカップに招集されたメンバー。(2026年6月30日現在)

No. Pos. 選手名 生年月日(年齢) 出場数 ゴール 在籍クラブ
1 GK 鈴木彩艶 (2002-08-21) 2002年8月21日(24歳) 28 0 イタリアの旗 パルマ・カルチョ
2 DF 菅原由勢 (2000-06-28) 2000年6月28日(26歳) 25 2 ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン
3 DF 谷口彰悟 (1991-07-15) 1991年7月15日(35歳) 41 1 ベルギーの旗 シント=トロイデンVV
4 DF 板倉滉 キャプテン (1997-01-27) 1997年1月27日(29歳) 42 2 オランダの旗 アヤックス
5 DF 長友佑都 (1986-09-12) 1986年9月12日(39歳) 146 4 日本の旗 FC東京
6 FW 町野修斗 (1999-09-30) 1999年9月30日(26歳) 15 5 ドイツの旗 ボルシア・メンヒェングラートバッハ
7 MF 田中碧 (1998-09-10) 1998年9月10日(27歳) 41 8 イングランドの旗 リーズ・ユナイテッド
8 MF 久保建英 (2001-06-04) 2001年6月4日(25歳) 50 7 スペインの旗 レアル・ソシエダ
9 FW 後藤啓介 (2005-06-03) 2005年6月3日(21歳) 5 0 ベルギーの旗 シント=トロイデンVV
10 MF 堂安律 (1998-06-16) 1998年6月16日(28歳) 69 11 ドイツの旗 アイントラハト・フランクフルト
11 MF 前田大然 (1997-10-20) 1997年10月20日(28歳) 30 5 スコットランドの旗 セルティック
12 GK 大迫敬介 (1999-07-28) 1999年7月28日(27歳) 11 0 日本の旗 サンフレッチェ広島
13 MF 中村敬斗 (2000-07-28) 2000年7月28日(26歳) 29 11 フランスの旗 スタッド・ランス
14 MF 伊東純也 (1993-03-09) 1993年3月9日(33歳) 73 16 ベルギーの旗 KRCゲンク
15 MF 鎌田大地 (1996-08-05) 1996年8月5日(30歳) 53 14 イングランドの旗 クリスタル・パレス
16 DF 渡辺剛 (1997-02-05) 1997年2月5日(29歳) 13 0 オランダの旗 フェイエノールト
17 MF 鈴木唯人 (2001-10-25) 2001年10月25日(24歳) 8 0 ドイツの旗 SCフライブルク
18 FW 上田綺世 (1998-08-28) 1998年8月28日(28歳) 43 18 オランダの旗 フェイエノールト
19 FW 小川航基 (1997-08-08) 1997年8月8日(29歳) 18 11 オランダの旗 NECナイメヘン
20 DF 瀬古歩夢 (2000-06-07) 2000年6月7日(26歳) 16 0 フランスの旗 ル・アーブルAC
21 DF 伊藤洋輝 (1999-05-12) 1999年5月12日(27歳) 28 1 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
22 DF 冨安健洋 (1998-11-05) 1998年11月5日(27歳) 46 1 オランダの旗 アヤックス
23 GK 早川友基 (1999-03-03) 1999年3月3日(27歳) 4 0 日本の旗 鹿島アントラーズ
24 MF 佐野海舟 (2000-12-30) 2000年12月30日(25歳) 16 1 ドイツの旗 マインツ05
25 DF 鈴木淳之介 (2003-07-12) 2003年7月12日(23歳) 8 0 デンマークの旗 コペンハーゲン
26 FW 塩貝健人 (2005-03-26) 2005年3月26日(21歳) 3 0 ドイツの旗 VfLヴォルフスブルク

歴代記録

2026年6月29日現在
太字は現役の選手

出場数ランキング

最多出場選手である遠藤保仁は、国際Aマッチにて152試合に出場し、15得点(2002年 - 2015年)を挙げている[196]
順位 名前 出場 得点 期間
1 遠藤保仁 152 15 2002 - 2015
2 長友佑都 146 4 2008 -
3 吉田麻也 127 12 2010 - 2026
4 井原正巳 122 5 1988 - 1999
5 岡崎慎司 119 50 2008 - 2019
6 川口能活 116 0 1997 - 2008
7 長谷部誠 114 2 2006 - 2018
8 中澤佑二 110 17 1999 - 2010
9 中村俊輔 98 24 2000 - 2010
本田圭佑 37 2008 - 2018
フルランキングは、サッカー日本代表出場選手を参照。

得点数ランキング

釜本邦茂は日本サッカー協会やRSSSFの認める、サッカー日本代表の男子の単独最多得点記録保持者(75得点)である[48][197]

JFAは、最多得点者を釜本邦茂(75得点)としている[198][注 1]

順位 名前 得点 出場 期間
1 釜本邦茂[注 1] 75 76 1964 - 1977
2 三浦知良[注 1] 55 89 1990 - 2000
3 岡崎慎司 50 119 2008 - 2019
4 原博実 37 75 1978 - 1988
本田圭佑 98 2008 - 2018
6 香川真司 31 97 2008 - 2019
7 高木琢也 27 44 1992 - 1997
8 木村和司 26 54 1979 - 1986
南野拓実 73 2015 -
10 大迫勇也 25 57 2013 - 2022
フルランキングは、JFA公式Aマッチ得点ランキング[199]を参照。

一方、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)は、三浦知良釜本邦茂(共に55得点)を最多得点者としている。世界では国際サッカー歴史統計連盟と同じ基準で代表の公式記録が作成されているのが通例である。これは以下に示す JFA、IFFHS 両者の統計方法の違いによる。

  • JFA - 1988年以前のオリンピック予選および本大会における、プロリーグの存在しない国・地域の、年齢制限のないオリンピック代表チームとの試合は国際Aマッチとする。
  • IFFHS - FIFA(国際サッカー連盟)が1999年に出した声明を元に「1954年以降の全てのオリンピック関係の試合を国際Aマッチと認めない」という基準を採用している。

主な公式記録

背番号

最も大きな数の背番号をつけ日本代表の公式戦に出場したのは権田修一(88番、AFCアジアカップ2011予選大会、対イエメン、アウェー戦)。また、同試合においては既に登録された77人の選手に加えて19人の選手を追加したため、総勢96人となり、欠番も関係し河野広貴が背番号100で登録された。

年代別日本代表

国籍以外の資格制限がない、いわゆるA代表(国際Aマッチの成立要件となる)のほかに、派遣対象となる試合が選手資格に制限を設けている場合などに、資格を満たす範囲で選手を選出しチームを編成する。このときは、日本代表という呼称の前に制限や派遣大会の名称等を関して、A代表との区別をする(ただし、正式にはA代表にも派遣大会名称を冠している)。

  • オリンピック日本代表 - 1992年バルセロナオリンピック以降、オリンピックのサッカー競技の予選および本大会では、原則として23歳以下の選手に限るという制約が設けられた。このため予選期間にはU-23日本代表(前年に予選が行われる場合はU-22日本代表)と呼ばれることが多いが、本大会ではオーバーエイジ枠を含むことができるため、オリンピック日本代表という呼称が用いられる。詳細はオリンピックサッカー日本代表選手を参照。また、アジア競技大会サッカー競技では2002年釜山大会より、出場資格がオリンピックと同じ23歳以下(オーバーエイジ可)となっているものの、同大会をその2年後のオリンピック日本代表の強化試合と位置付けて、あえて21歳以下の代表を編成する場合もある。年齢に制限はなく、アマチュアのみに出場が許された1968年のメキシコシティ大会でオリンピック日本代表は銅メダルを獲得した。
  • ユニバーシアード日本代表 - 大学生のスポーツ大会であるユニバーシアードサッカー競技に派遣される日本代表を指す。選考範囲は原則として大学または大学院在学中、ならびに大会の前年に大学または大学院を卒業した選手に限られる。その他の大会で同じ選考範囲で選手構成がなされる場合は、学生日本代表や大学日本代表、もしくは学生選抜や大学選抜と断りを入れるなどをして呼ばれることが多い。ユニバーシアード日本代表は、1995年福岡大会で初優勝、その後2001年|北京大会、2003年大邱大会および2005年イズミル大会で3大会連続、2011年深圳大会、2017年台北大会、2019年ナポリ大会と合計7回の優勝を果たしている。
  • U-20日本代表 - 出場資格が20歳以下であるFIFA U-20ワールドカップ(旧:ワールドユース)、およびその予選を兼ねたAFC U20アジアカップ(2004年まではAFCユース選手権、2008-2020年はAFC U-19選手権)に派遣される日本代表を指す。U-20ワールドカップの前年にはU-19日本代表と呼ばれる。ユース日本代表とも。高校を卒業しJリーグクラブに加入したばかりの若手選手を中心に編成されるのが一般的だが、大学生やU-17世代が加わることもある。1999年のワールドユース選手権では、男女、年代の別を問わないすべてのカテゴリーを通じた「サッカー日本代表」として初めて、FIFA主催の世界大会で準優勝の座に立った[注 10]

スポンサー

日本A代表などの各種代表および各年代別代表のスポンサーには、現在6つのカテゴリーが存在する。

オフィシャル(公式)パートナー

オフィシャルパートナーとは、全ての各種サッカー日本代表及び全ての年代のサッカー日本代表の最上位のスポンサー並びにJFAが主催する大会(主に天皇杯/皇后杯、高円宮杯、U-12サッカー選手権など)のほか、選手・指導者、審判の養成さらにグラスルーツなど全ての事業を支援するカテゴリーのことである。現在は1980年(昭和55年)からの長年のスポンサーであるキリン麒麟麦酒キリンビバレッジ以下キリングループ)と2007年(平成19年)4月から8年間で推定総額120億円(年間15億円)で契約していた。2014年5月25日、JFAとキリングループが対等な関係で、サッカーの普及・促進に寄与していくという意志を込め、名称を従来の「オフィシャルスポンサー」から「オフィシャルパートナー」に変更した上で、2015年4月1日から2022年12月31日まで(7年9か月)契約を更新[202][203]。その後2023年1月より契約対象をJFAの全事業に拡大、「JFAオフィシャルパートナー」として2030年までの長期契約を締結した[204]。また、広告代理店の電通と2007年から向こう8年間で総額240億円(年間30億円)で契約していた[80]。その後の契約については非公開である。

オフィシャル(公式)サプライヤー

オフィシャル(公式)サプライヤーとは、ユニホームなどの用具類などを提供する全ての各種サッカー日本代表及び全ての年代のサッカー日本代表の最上位のスポンサーのカテゴリーのことである。アディダスジャパンと2007年4月から向こう8年間で総額160億円(年間20億円)で契約していた[80] が、2015年4月1日からも契約を継続している(契約期間非公開)。なおA代表、U-23代表以外のカテゴリーにおいては、スパイクは同社製に限られている。

メジャーパートナー

メジャーパートナーとは、2022年までの「サポーティングカンパニー」から協賛対象範囲を拡張したものであり、スポンサー料を支払うことで、各種日本代表戦における広告看板掲出権およびチケットキャンペーン権、日本代表エンブレム、マスコット等の広告・販促活動への使用権を得るほか、選手・指導者、審判の養成さらにグラスルーツなど、JFAの一部事業を支援するカテゴリーのことである[205]。ただし、日本のホームゲームなど日本サッカー協会がマーケティング権を完全に保有する試合のみに適用される[80]。このカテゴリーが定められた当初、定数は5社だったが、徐々に増やし、2015年4月1日時点で定数は最大10社と決められていた。現在契約中の企業及び過去契約していた企業は以下のとおり(括弧内は契約期間)。
現在契約中
以上、全日本空輸を除くパートナー各社は「サポーティングカンパニー」から契約を継続。また、MS&ADインシュアランスグループホールディングスは、三井住友海上火災保険時代から継続している。
過去
当初は「2015年までの契約」とされたが[216][217]、2011年5月のJFAとアウディジャパンとの契約締結時点でプレスリリースから社名が消えているほか、2012年6月現在日本代表公式サイトからバナーが消滅している。なお契約解除に関する公式発表はされていない。
なお日本航空は、2010年(平成22年)1月19日に同社が会社更生法の適用を東京地裁に申請し受理された事態(倒産)を受けて契約継続が危ぶまれたが、最終的に契約継続となった[224][225]
朝日新聞社は、2007年4月1日から日本サッカー協会がマーケティング権を持つ国内での日本代表の試合をサポートする日本代表戦マッチスポンサーだったが、2015年4月1日からサポーティングカンパニーとなった。
ファミリーマートは、2016年9月のユニー・ファミリーマートホールディングスの発足に伴い、サークルKおよびサンクス店舗でもPRを実施していた。

ナショナルチームパートナー

ナショナルチームパートナーとは、2023年3月1日より開始した新たな契約カテゴリーであり、男女日本代表や各年代の代表、男女フットサルやビーチサッカー、eスポーツといった全ての代表チームをサポートする。
現在契約中

アパレルプロバイダー

アパレルプロバイダーとは、日本代表が移動時に着用するスーツ等の衣服を提供する企業のこと。
現在契約中
2000年から毎年契約継続中で、2023年で24年目。サッカー日本代表とU-23サッカー日本代表にスーツを提供する。
  • コナカ(「DIFFERENCE」ブランドのスーツを展開、2023年7月6日 - )[231]
なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)にスーツを提供する。
過去
上記ブランドは過去なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)に公式スーツを提供していた。

プロバイダー

プロバイダーとは、日本代表が必要とする商品やサービスを提供する企業のこと。その他のプロバイダーは決定次第随時発表する。
現在契約中
  • 西川産業(2015年4月1日 - 2015年12月31日)(更新しているが、内容と期間未公表)[203][233]
敷き寝具やオーダーメイド枕、クッションなどの商品提供を通じて日本代表選手達のコンディショニングを眠りの面からサポートする[234][235]
過去
  • ウブロ(2015年10月1日 - 2016年9月30日)
ウブロの腕時計日本代表モデル「ビッグ・バン ブルー ヴィクトリー」の提供を通じて日本代表チームを支援していた[236]

なお、スポンサーについての詳細及び他のJFAの財源等については、日本サッカー協会のJFA財務内容の項を参照。

脚注

注釈

  1. 1 2 3 4 国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)は、釜本邦茂三浦知良(共に55得点)の両名を最多得点者としている。
  2. 当時の国名は、大日本帝國vs中華民國[2]
  3. 代表チーム同士以外の試合で、15点差の敗戦試合(日本 1-16 グラスホッパーズ、1936年8月19日)がある。
  4. 1930年の第9回極東選手権競技大会で初めて結成された全日本選抜チームに12人の選手を送り込んだ東京帝国大学ア式蹴球部のユニフォームの色・淡青(ライトブルー)が採用されたという説があるが、それを裏付ける資料が残されておらず、正確な理由は不明とされている。当時、日本蹴球協会の副会長を務めていた田辺五兵衛(田辺製薬第14代五兵衛/日本サッカー殿堂)[8]の自署資料『服色考』には、「昭和5年東京での極東大会で初めて服色を決めた。これ以後同じものを使っている。この時も地味な好みで海にかこまれたとして、国旗をかこむ上衣全体を海とみて青色ということになったのである」という記述が残されている[9]
  5. 2024年 - 2025年は、山本耀司とのコラボブランド「Y-3」[31]
  6. パンツは試合に応じ白または青を採用。
  7. 2012年3月31日までは、特例民法法人(公益の名を冠しない財団法人)として財務諸表などを旧主務官庁である文部科学省に提出する必要があったが、公益法人制度改革により公益財団法人となった後は、内閣府に財務諸表などを提出することとなった。
  8. 以前の記録は2018年のロシアワールドカップの日本対ベルギー戦であった。
  9. 同時開催ではなく日本対イラン戦の2時間前に開始。
  10. その後にFIFA主催の世界大会で日本代表が準優勝以上の成績を挙げた大会は、FIFAコンフェデレーションズカップ2001(準優勝)・2010 FIFA U-17女子ワールドカップ(準優勝)・2011 FIFA女子ワールドカップ(優勝)がある。

出典

  1. 1 2 3 日本代表チーム愛称は、「SAMURAI BLUE 」”. 日本サッカー協会 (2009年10月19日). 2009年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
  2. 犬飼基昭 2008, pp. 14, 29.
  3. Japan 0–5 Republic of China 1917”. 蹴球 Shukyu. David Phillips. 2026年4月14日閲覧。
  4. 1 2 犬飼基昭 2008, p. 206
  5. Japan 15–0 Philippines 1967”. 蹴球 Shukyu. David Phillips. 2026年4月14日閲覧。
  6. 「競技記録 第三日/蹴球/庭球」 朝日新聞、1917年5月11日、2015年11月20日閲覧
  7. Japan 2–15 Philippines 1917”. 蹴球 Shukyu. David Phillips. 2026年6月29日閲覧。
  8. 日本サッカー殿堂 田辺五兵衛”. JFA.jp. 日本サッカー協会. 2020年12月10日閲覧。
  9. 1 2 3 4 サッカーQ&A”. 日本サッカー協会. 2012年7月19日閲覧。 “Q.日本代表チームのユニフォームはなぜ青なの?”
  10. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 後藤健生 2007
  11. 速報!歴代日本代表ユニフォーム”. サッカーミュージアムな日々 (2007年3月27日). 2021年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
  12. 1 2 歴代ユニフォーム - 日本サッカーミュージアム11+”. JFA.jp. 日本サッカー協会. 2025年11月6日閲覧。
  13. お祭り好きに火が付いた 数万人、未明まで熱狂」『京都新聞』2002年6月15日。オリジナルの2005年11月27日時点におけるアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
  14. 健闘たたえる温かい拍手 スタジアムに祈り届かず」『京都新聞』2002年6月18日。オリジナルの2005年11月18日時点におけるアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
  15. 夕刊フジ全記録『日本代表の1366日』vol.1〜永久保存版、トルシエニッポンの軌跡(夕刊フジzakzak編)
  16. W杯特別連載特集<検証トルシエ・ニッポン>」『日刊スポーツ』2002年6月19日。オリジナルの2006年7月19日時点におけるアーカイブ。
  17. セルジオ越後 2014, pp. 42–45.
  18. U−20日本代表、ライバル韓国と激突/カタール国際決勝”. livedoorスポーツ. ライブドア (2005年1月25日). 2012年7月19日閲覧。
  19. オリムピック代表選手後援費應募者名簿」『蹴球』第4巻第3号、大日本蹴球協會、1936年7月28日、16-18頁、 オリジナルの2013年9月25日時点におけるアーカイブ。
  20. 最新のFIFAランクが発表、日本代表は19位にダウン…そして首位変動! スペイン代表が約11年ぶりに返り咲き”. サッカーキング (2025年9月18日). 2025年9月18日閲覧。
  21. 最新のFIFAランク発表、日本は歴代ワースト2番目の61位に落ちる”. サッカーキング (2018年6月7日). 2024年8月20日閲覧。
  22. 最新FIFAランク発表、日本は13位に浮上”. ゲキサカ. 講談社 (2011年4月13日). 2024年8月20日閲覧。
  23. チョー・ディン Kyaw DIN - 日本サッカー人物史”. 日本サッカーアーカイブ. 2012年7月19日閲覧。
  24. 松本育夫 1987, pp. 174–176.
  25. 1 2 二宮清純 2004, pp. 75–82
  26. Preview: Japan v Poland (英語). FIFA.com (2018年6月26日). 2018年6月27日閲覧。 “ロシアW杯H組第2戦セネガル戦終了時点日本W杯連続レッドなし試合19で世界一位と記載”
  27. 【日本代表】W杯初出場から7大会連続出場なるか?「王国」ブラジルに次ぐ史上2位」『日刊スポーツ』2022年3月24日。
  28. 受け継がれる青の魂 The History of Japan Jerseys”. JFA.jp. 日本サッカー協会. 2025年11月6日閲覧。
  29. 【画像】日本代表の歴代ユニホームを厳選写真で振り返る!(1992-2025)”. サッカーダイジェストWeb. 日本スポーツ企画出版社. 2025年11月6日閲覧。
  30. サッカー日本代表とともに歴史を刻んだ歴代ユニフォーム”. アディダスジャパン. 2025年11月6日閲覧。
  31. 「サッカー日本代表 2024 ユニフォーム」発表 「カルチャーウェアコレクション」も同時発表”. Y-3 (2024年6月22日). 2025年11月6日閲覧。
  32. アディダス、「日本サッカー協会 オフィシャルサプライヤー」契約延長を発表』(プレスリリース)アディダスジャパン、2025年3月25日
  33. 20年前の“炎”を再び…選手、サポーターがメモリアルユニフォームを着用”. サッカーキング (2017年6月7日). 2017年7月7日閲覧。
  34. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ハリルホジッチ体制誕生で改めて振り返る日本代表監督の待遇”. サッカーダイジェストWeb (2015年3月24日). 2015年3月24日閲覧。
  35. 中条一雄 (2007年4月4日). クラマー取材ノートから(57)日本への思い ― 最終話”. ビバ!サッカー研究会. 牛木素吉郎. 2018年4月2日閲覧。
  36. 木村浩嗣 (2019年12月10日). 八百長事件の判決ついに出る。アギーレと選手36人は無罪に”. フットボリスタ. 2026年6月22日閲覧。
  37. 1 2 3 4 5 就任半年でアギーレ氏を解任、そして開幕直前にハリルホジッチ氏も…W杯日本代表監督交代の歴史」『読売新聞』2022年10月24日。2026年6月22日閲覧。
  38. 西野監督17位 W杯32チーム監督年俸ランク」『日刊スポーツ』2018年5月12日。オリジナルの2018年5月13日時点におけるアーカイブ。2018年5月12日閲覧。
  39. ハリル電撃解任、田嶋会長会見要旨”. ゲキサカ (2018年4月9日). 2018年4月9日閲覧。
  40. 西野朗監督は任期満了で退任へ 田嶋会長が明かす」『産経ニュース』2018年7月5日。2018年7月5日閲覧。
  41. 誕生!森保監督に2年3億、サポート役西野氏浮上も」『日刊スポーツ』2018年7月26日。オリジナルの2018年7月26日時点におけるアーカイブ。2018年7月26日閲覧。
  42. 森保“兼任監督”の任期は「4年」 田嶋会長、22年W杯まで「やってもらいたい」と明言”. FOOTBALL ZONE. Creative2 (2018年7月26日). 2018年7月26日閲覧。
  43. 東京五輪の代表監督に森保一氏 年俸は4800万円で歴代五輪監督の「倍」に”. @niftyニュース. ニフティ (2017年11月13日). 2018年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月27日閲覧。
  44. 森保ジャパン、西野サッカー「進化させる」五輪と兼任カタールW杯まで任期4年」『スポーツ報知』2018年7月27日。オリジナルの2018年7月26日時点におけるアーカイブ。2018年7月27日閲覧。
  45. 森保監督の続投が決定! W杯終了後の指揮官継続は日本代表史上初…第2章突入へ”. サッカーキング (2022年12月28日). 2024年7月2日閲覧。
  46. 【Match Report】SAMURAI BLUE、ボリビア代表に3-0快勝で森保監督の100戦目を飾る”. 日本サッカー協会 (2025年11月19日). 2025年11月19日閲覧。
  47. 犬飼基昭, pp. 14–28, 225–226.
  48. 1 2 日本代表 試合別出場記録”. 日本サッカー協会. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月20日閲覧。
  49. Japan - World Match Centre”. FIFA.com. FIFA. 2014年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月20日閲覧。
  50. キリンチャレンジカップ2014 2024/9/9(火) vs ベネズエラ代表”. 日本サッカー協会. 2022年12月18日閲覧。
  51. アギーレ日本第2戦没収試合 得点は認定」日刊スポーツ、2014年11月20日。2022年12月20日閲覧。
  52. サッカーマガジン 2008, pp. 56–57.
  53. 「ドーハの悲劇」は日給9000円。トップアスリートの金銭事情”. ホウドウキョク. フジテレビ (2018年4月1日). 2018年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月2日閲覧。
  54. 矢内由美子「日当、勝利給、賞金…日本代表まるごとハウマッチ」『スポーツニッポン』2005年5月13日。オリジナルの2005年12月31日時点におけるアーカイブ。2012年7月19日閲覧。[リンク切れ]
  55. 1 2 3 日本代表選手ペイメント問題に対する当協会の考え”. 日本サッカー協会 (2011年2月22日). 2012年7月19日閲覧。
  56. 1 2 日本代表昇給!Aランク勝利給30万→50万」『日刊スポーツ』2012年11月17日。オリジナルの2012年11月18日時点におけるアーカイブ。2012年11月18日閲覧。
  57. 1 2 代表勝利給、来年からアップへ」『スポーツ報知』2012年11月19日。オリジナルの2012年11月19日時点におけるアーカイブ。2012年11月19日閲覧。
  58. 岡田“格差”ジャパン!W杯予選出場給を3段階支給」『スポーツ報知』2009年8月12日。オリジナルの2009年8月15日時点におけるアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
  59. 日本代表がゲットする13億円、税金も「半端ないって」 五輪と違い非課税扱いなし”. 税理士ドットコム. 弁護士ドットコム (2018年6月30日). 2018年6月30日閲覧。
  60. 所得税法 第九条(非課税所得)”. e-Gov法令検索. デジタル庁. 2018年7月1日閲覧。
  61. オリンピック・パラリンピック競技大会の報奨金”. スポーツ庁. 2020年12月10日閲覧。
  62. オリンピック・パラリンピックの賞金・報奨金はいくら?所得税はかかる?”. 税理士相談Cafe. エファタ株式会社 (2016年8月11日). 2016年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月9日閲覧。
  63. 待遇改善求めスト検討…代表戦ボイコットも」『スポーツニッポン』2010年12月18日。オリジナルの2010年12月20日時点におけるアーカイブ。
  64. W杯代表の年金制度創設へ=田嶋氏、会長選改革にも意欲-日本サッカー協会”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2018年2月2日). 2018年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月3日閲覧。
  65. カズは対象外? サッカーW杯メンバーの年金制度創設へ」『朝日新聞朝日新聞社、2018年2月2日。2018年2月3日閲覧。
  66. サッカーマガジン 2012, p. 79.
  67. 日本代表”. JFA.jp. 日本サッカー協会. 2026年1月7日閲覧。
  68. ザックJ、2月にもう1試合 2億円以上入る“ドル箱興行”で協会も得”. ZAKZAK. 産経デジタル (2012年12月1日). 2012年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月27日閲覧。
  69. ザックジャパン“金欠”で欧州遠征白紙」『東スポ』東京スポーツ新聞社、2012年12月25日。オリジナルの2012年12月29日時点におけるアーカイブ。2012年12月29日閲覧。
  70. 2017年度決算、収入は2016年に次いで過去2番目、支出は過去最大の規模に”. 日本サッカー協会 (2018年3月24日). 2018年3月25日閲覧。
  71. サッカー日本代表、親善試合はほぼ自腹 対戦国に「2~3億円払う」”. ORICON NEWS. オリコン (2014年5月17日). 2014年5月18日閲覧。
  72. 中倉一志 (2003年6月16日). 初の国際試合 〜第3回極東選手権大会”. 日本サッカーの歴史. 2003年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月19日閲覧。
  73. 1936.08.19 グラスホッパー(スイス) 16-1 日本代表 - 代表TIMELINE”. SAMURAI BLUE. 日本サッカー協会. 2014年10月20日閲覧。
  74. 後藤健生 (2008年6月15日). 【後藤健生コラム】日本サッカーとスイスとの意外な因縁”. J SPORTS. 2014年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月20日閲覧。
  75. サッカーマガジン 1968, p. 112.
  76. 1 2 日本サッカーのあゆみ 1974, p. 150
  77. 松岡完 1994, p. 85.
  78. 1 2 沿革・歴史”. 日本サッカー協会. 2012年7月19日閲覧。
  79. S. Korea's inaugural victory over Japan in men's football to be made into film (英語). 聯合ニュース (2019年8月14日). 2024年9月30日閲覧。
  80. 1 2 3 4 サッカー批評 2003
  81. 日本サッカー協会公式 (2012年4月2日). 小倉純二日本サッカー協会会長コラム「今日もサッカー日和」第31回”. 2012年7月19日閲覧。
  82. 信念貫き日本サッカーの発展に尽力/石井義信氏悼む」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2018年4月28日。2018年8月4日閲覧。
  83. , サッカーダイジェスト & 2014-07-15, p. 83.
  84. , サッカーダイジェスト & 2014-07-15, p. 25.
  85. , サッカーダイジェスト & 2014-07-08, pp. 8, 22.
  86. W杯で勝つ確率は1%でも上がったか?日本代表、ガーナに敗戦で再燃するハリル解任の是非”. Goal.com (2018年5月30日). 2018年6月30日閲覧。
  87. THE PAGE (2018年6月20日). 海外メディアも日本の番狂わせを続々報道「感動火花」「評論家の度肝抜く」”. Yahoo! JAPANニュース. 2020年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月15日閲覧。
  88. 日本代表、コロンビア撃破で歴史的快挙! W杯史上初、アジアが南米に勝利”. サッカーキング (2018年6月19日). 2022年12月10日閲覧。
  89. 日本、ベスト16の壁超えられず…ベルギーに2点先行も悪夢の逆転負け”. サッカーキング (2018年7月3日). 2026年6月26日閲覧。
  90. SAMURAI BLUE、カタールに敗れて準優勝~AFCアジアカップUAE2019(1/5~2/1)~”. 日本サッカー協会 (2019年2月2日). 2023年10月19日閲覧。
  91. U-24日本代表 1-3でメキシコに敗れ、東京オリンピックを4位で終える”. 日本サッカー協会 (2021年8月7日). 2023年10月19日閲覧。
  92. 元独代表エースの反応「初戦が日本なのは…」。W杯対戦決定、ドイツはGL突破へ楽勝ムード!?”. 2022年12月6日閲覧。
  93. 日本代表の予想スタメンが衝撃的 スペイン紙の投稿が話題「ノイヤー国籍変わってるやん」”. 2022年12月6日閲覧。
  94. 【Match Report】SAMURAI BLUE、カナダ代表に終了直前の失点で逆転負け”. 日本サッカー協会 (2022年11月18日). 2023年10月19日閲覧。
  95. サッカー日本代表、カナダとのW杯前最後の強化試合は劇的敗戦…最終盤のPKで逆転許す”. Goal.com (2022年11月18日). 2023年10月19日閲覧。
  96. 日本代表、逆転大金星で世界を驚かせる! 堂安&浅野弾で超攻撃采配実り優勝候補ドイツ撃破”. Goal.com (2022年11月24日). 2023年3月24日閲覧。
  97. 【Match Report】SAMURAI BLUE、ドイツに歴史的な逆転勝利で白星発進”. 日本サッカー協会 (2022年11月24日). 2023年3月24日閲覧。
  98. W杯 グループE 第1節 ドイツ vs. 日本”. スポーツナビ (2022年11月23日). 2024年5月18日閲覧。
  99. 日本代表、コスタリカに敗れるのは5試合で初。シュート13本で無得点に終わり前例は…”. Goal.com (2022年11月28日). 2023年6月16日閲覧。
  100. 日本代表、一瞬の隙が命取りに…終盤ルーズなクリアからコスタリカに先制され敗戦、決勝T進出に大きな痛手”. Goal.com (2022年11月27日). 2023年3月24日閲覧。
  101. 【Match Report】SAMURAI BLUE、コスタリカ代表に痛い黒星で突破決定持ち越しに”. 日本サッカー協会 (2022年11月28日). 2023年3月24日閲覧。
  102. W杯 グループE 第2節 日本 vs. コスタリカ”. スポーツナビ (2022年11月27日). 2024年5月18日閲覧。
  103. W杯史上、究極のジャイアントキリングを達成した日本の驚くべきデータ。パス1000本を駆使したスペイン相手に、シュートわずか6本で勝ちきる”. 2022年12月9日閲覧。
  104. "逆転大金星"再び!日本代表がスペイン撃破、首位で決勝T進出!堂安律&田中弾で死の組1位突破”. Goal.com (2022年12月2日). 2023年3月24日閲覧。
  105. 【Match Report】SAMURAI BLUE、スペインに逆転勝ちで2大会連続の16強進出”. 日本サッカー協会 (2022年12月2日). 2023年3月24日閲覧。
  106. W杯 グループE 第3節 日本 vs. スペイン”. スポーツナビ (2022年12月2日). 2024年5月18日閲覧。
  107. W杯 グループE 第3節 コスタリカ vs. ドイツ”. スポーツナビ (2022年12月2日). 2026年8月1日閲覧。
  108. 【W杯】ドイツ&スペイン撃破、「日本の6つの記録」に海外注目「世界を驚かせた」”. FOOTBALL ZONE (2022年12月2日). 2022年12月7日閲覧。
  109. 【W杯データBOX】日本のW杯7勝目はアジア最多 2大会連続ベスト16はアジア勢初」『サンケイスポーツ』2022年12月2日。2022年12月7日閲覧。
  110. 日本代表、クロアチアとPK戦までの死闘の末に敗退…2大会連続、“あと一歩”で8強及ばず”. Goal.com (2022年12月6日). 2023年3月24日閲覧。
  111. 日本、あと一歩で届かなかった8強…シアラー「最後は経験がものを言った」。PK戦の評価は?”. Goal.com (2022年12月6日). 2023年6月16日閲覧。
  112. あと一歩に迫ったW杯ベスト8…日本代表は今後どう強化すべきなのか?『as』副編集長が提言「方向性を疑う必要はない」”. Goal.com (2022年12月6日). 2023年6月16日閲覧。
  113. 【Match Report】SAMURAI BLUE、クロアチアにPK戦で敗れて16強越えならず”. 日本サッカー協会 (2022年12月6日). 2023年3月24日閲覧。
  114. W杯 ラウンド16 日本 vs. クロアチア”. スポーツナビ (2022年12月5日). 2024年5月18日閲覧。
  115. 【W杯】日本、1大会2度の逆転勝利は52年ぶり3チーム目 スペイン&ドイツ破り決勝Tへ」『日刊スポーツ』2022年12月2日。2022年12月7日閲覧。
  116. 【W杯】日本のボール支配率は18%、66年大会以降の勝利チームとしては最低保持率」『日刊スポーツ』2022年12月2日。2022年12月7日閲覧。
  117. おとぎ話の様な結末となったワールドカップ(英語)”. 2022年12月19日閲覧。
  118. 【ゴール動画&試合テキスト速報】日本代表vsバーレーン代表|W杯アジア最終予選第7節”. Goal.com (2025年3月20日). 2026年4月2日閲覧。
  119. 日本代表、王国ブラジルに歴史的初勝利! 0-2ビハインドから後半3発で3-2の大逆転勝利”. Goal.com (2025年10月14日). 2026年4月2日閲覧。
  120. 代表親善試合 日本 vs. ブラジル”. スポーツナビ (2025年10月14日). 2026年4月2日閲覧。
  121. 【Match Report】SAMURAI BLUE、後半の3得点でブラジル代表に逆転、14戦目で歴史的な初勝利”. 日本サッカー協会 (2026年10月15日). 2026年7月18日閲覧。
  122. 日本代表がイングランド代表に歴史的初勝利! 聖地で三笘薫が決勝弾、5連勝でW杯へ弾み”. Goal.com (2026年4月1日). 2026年4月2日閲覧。
  123. 代表親善試合 イングランド vs. 日本”. スポーツナビ (2026年4月1日). 2026年4月2日閲覧。
  124. 【Match Report】SAMURAI BLUE、鮮やかなカウンターから三笘薫が決め、サッカーの聖地でイングランドに1-0の勝利!”. 日本サッカー協会 (2026年4月1日). 2026年7月18日閲覧。
  125. 代表親善試合 日本 vs. アイスランド”. スポーツナビ (2026年5月31日). 2026年7月18日閲覧。
  126. 日本代表がアイスランド代表に勝利!小川航基のヘディング弾でW杯に弾みつける”. Goal.com (2026年5月31日). 2026年8月1日閲覧。
  127. 【Match Report】SAMURAI BLUE、アイスランド代表に1-0白星でFIFAワールドカップへ”. 日本サッカー協会 (2026年6月1日). 2026年7月18日閲覧。
  128. “ジョーカー”小川航基が88分に同点弾生み出す!オランダとのW杯初戦はドロー決着”. Goal.com (2026年6月15日). 2026年6月26日閲覧。
  129. W杯 グループF 第1節 オランダ vs. 日本”. スポーツナビ (2026年6月15日). 2026年7月18日閲覧。
  130. 【Match Report】SAMURAI BLUE、2度リードを許しながらもオランダに追いつき、価値ある勝ち点1をつかみ取る”. 日本サッカー協会 (2026年6月16日). 2026年7月18日閲覧。
  131. 日本代表、W杯で最多の4得点!鎌田大地連発、上田綺世2ゴールなどでチュニジアを粉砕”. Goal.com (2026年6月21日). 2026年6月26日閲覧。
  132. W杯 グループF 第2節 チュニジア vs. 日本”. スポーツナビ (2026年6月21日). 2026年7月18日閲覧。
  133. 【Match Report】SAMURAI BLUE、鬼門の第2戦でワールドカップ過去最多4ゴールの快勝! チュニジアを下してグループステージ突破に前進!”. 日本サッカー協会 (2026年6月22日). 2026年7月18日閲覧。
  134. 【速報】日本代表、3大会連続のW杯決勝Tへ!ラウンド32ではブラジルと対戦決定”. Goal.com (2026年6月26日). 2026年6月26日閲覧。
  135. 2位通過の日本代表、決勝Tは厳しい道のり…ブラジル戦後も強敵待ち受ける”. Goal.com (2026年6月26日). 2026年6月26日閲覧。
  136. W杯 グループF 第3節 日本 vs. スウェーデン”. スポーツナビ (2026年6月26日). 2026年7月18日閲覧。
  137. 【Match Report】SAMURAI BLUE、スウェーデンと激闘の末にドロー! 粘り強い戦いで勝ち点1をもぎ取り、グループ2位でラウンド32に進出!”. 日本サッカー協会 (2026年6月27日). 2026年7月18日閲覧。
  138. 日本代表、終了間際に痛恨の失点…マルティネッリ弾に沈みブラジルの前に涙、W杯はラウンド32で敗退”. Goal.com (2026年6月30日). 2026年6月30日閲覧。
  139. W杯 ラウンド32 ブラジル vs. 日本”. スポーツナビ (2026年6月30日). 2026年7月18日閲覧。
  140. 【Match Report】SAMURAI BLUE、ブラジルに先制するも1-2で逆転負け。5度目の挑戦もラウンド32突破はならず”. 日本サッカー協会 (2026年7月1日). 2026年7月18日閲覧。
  141. ブラジル戦決勝弾はW杯史上最も遅い決勝ゴール 皮肉にも前記録も日本代表」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2026年7月1日。2026年7月1日閲覧。
  142. ブラジルvs日本代表の一戦に海外メディア「期待を裏切らなかった」。敗退には「同情せざるを得ない」”. Goal.com (2026年6月29日). 2026年6月30日閲覧。
  143. 韓国「正直、認めるわ」 日本VSブラジル大健闘に称賛相次ぐ「もうアジア最強で間違いない」”. THE ANSWER. Creative2 (2026年6月30日). 2026年6月30日閲覧。
  144. 1 2 クラブW杯を4年ごとの開催に、コンフェデ杯廃止へ―FIFA方針”. AFPBB News. フランス通信社 (2018年4月19日). 2018年4月20日閲覧。
  145. 鈴木洋史 1998.
  146. 【地球コラム】平成日中関係史 反日サッカーからSMAPまで”. 時事通信. 2026年1月6日閲覧。
  147. “反日”の罵声と壮絶な死闘、PK戦での奇跡… 日本の底力を見せた伝説のアジア杯連覇”. FOOTBALL ZONE (2019年1月8日). 2026年1月6日閲覧。
  148. PKのサイド変更。15年前、宮本恒靖が大胆な進言に至った本当の理由”. Sportiva. 集英社 (2019年1月22日). 2026年1月6日閲覧。
  149. 川口能活、アジアカップ伝説のPKを語る。2本の神セーブを生んだ意識<アジアカップ開幕特集>”. テレ朝POST (2019年1月6日). 2026年1月6日閲覧。
  150. サッカー日本代表 激闘日誌 ジャーナリスト二宮寿朗が目撃した激闘の記憶(2/3)”. Sports Graphic Number Web. 文芸春秋社 (2018年3月30日). 2018年7月18日閲覧。
  151. 湿気や突然の雨…地元勢、ホームの利で活躍 アジア杯」『朝日新聞』2007年7月13日。2026年1月11日閲覧。
  152. 決勝PK獲得の岡崎、微妙な判定に「ほぼ取らないと思う」”. ゲキサカ (2011年1月14日). 2026年1月6日閲覧。
  153. アジア杯 キ・ソンヨン『猿真似パフォーマンス』が物議”. ゲキサカ (2011年1月27日). 2026年1月6日閲覧。
  154. 「不可解判定で退場」「なんで伊野波があそこに?」長谷部誠の心も乱れた“2011年アジアカップの大事件”「日韓戦の勝敗を分けたのは…」”. Number Web (2024年1月22日). 2026年1月5日閲覧。
  155. アギーレ監督 解任保留 19年ぶり8強敗退」『中日スポーツ』中日新聞社、2015年1月24日。オリジナルの2015年1月24日時点におけるアーカイブ。2015年1月26日閲覧。
  156. “疑惑”向けられるカタール、日本との決勝が没収になる可能性も?”. ゲキサカ (2019年1月31日). 2026年1月6日閲覧。
  157. カタール2選手の「代表資格」は問題なし! AFCが抗議棄却を正式発表”. ゲキサカ (2019年2月1日). 2026年1月6日閲覧。
  158. 吉田麻也のハンドでのPK判定に海外有力メディアも同情 「これまで見た中で最もバカげたPKの一つ」”. GOAL (2019年2月2日). 2026年1月6日閲覧。
  159. サッカーにおけるハンドは故意でなければ反則にならないの?”. Smart Sports News (2022年11月17日). 2026年1月6日閲覧。
  160. 日本、3失点を喫し王座奪還ならず… カタールが初優勝を果たす【サマリー:AFC アジアカップ UAE 2019 決勝 日本vsカタール】”. Jリーグ公式サイト (2019年2月2日). 2024年2月3日閲覧。
  161. 日本、まさかの3失点完敗で王座奪還ならず…カタールがアジア杯初優勝”. サッカーキング (2019年2月2日). 2024年2月3日閲覧。
  162. AFCアジアカップ”. スポーツナビ (2024年2月11日). 2024年3月6日閲覧。
  163. AFC アジアカップカタール2023組み合わせ決定”. 日本サッカー協会 (2023年5月11日). 2023年9月3日閲覧。
  164. 南野が2G1Aの日本代表、4発でベトナムを下してアジアカップ白星発進! 10連勝で歴代最多連勝記録更新”. Goal.com (2024年1月14日). 2024年2月3日閲覧。
  165. 【Match Report】SAMURAI BLUE、ベトナム代表に逆転勝利でAFCアジアカップ白星スタート”. 日本サッカー協会 (2024年1月15日). 2024年3月24日閲覧。
  166. アウェー状態の日本代表、イラクに1-2で惜敗。主将・遠藤航が一矢報いるも及ばず、連勝「10」でストップ”. Goal.com (2024年1月19日). 2024年2月3日閲覧。
  167. アジアカップ グループD 第2節 イラク vs. 日本”. スポーツナビ (2024年1月19日). 2024年3月6日閲覧。
  168. 【Match Report】SAMURAI BLUE、アジアカップ第2戦でイラクに敗れて1勝1敗に”. 日本サッカー協会 (2024年1月20日). 2024年3月24日閲覧。
  169. 「ついに馬鹿げた偉業が止まった!」イラクにまさかの完敗→日本代表の“三大連続記録”が終焉と海外メディア指摘!「よもやの守備崩壊」【アジア杯】”. サッカーダイジェスト (2024年1月20日). 2026年1月6日閲覧。
  170. 日本代表、上田綺世が2発&OG誘発の大活躍!インドネシア撃破で2位通過、決勝T1回戦で日韓戦の可能性も”. Goal.com (2024年1月24日). 2024年2月3日閲覧。
  171. 【Match Report】SAMURAI BLUE、インドネシアに勝利、2位でAFCアジアカップ16強へ進出”. 日本サッカー協会 (2024年1月25日). 2024年3月24日閲覧。
  172. 日本代表、アジアカップ9大会連続8強入り! 堂安、久保、上田のゴールでバーレーン撃破”. Goal.com (2024年1月31日). 2024年2月3日閲覧。
  173. 【Match Report】SAMURAI BLUE、バーレーンに3-1勝利でAFCアジアカップ8強進出”. 日本サッカー協会 (2024年2月1日). 2024年3月24日閲覧。
  174. 日本代表、3大会ぶりアジアカップ制覇の夢ついえる…後半ATにPK献上、痛恨の逆転負けでイランに屈する”. Goal.com (2024年2月3日). 2024年2月3日閲覧。
  175. アジアカップ 準々決勝 イラン vs. 日本”. スポーツナビ (2024年2月3日). 2024年3月6日閲覧。
  176. 【Match Report】SAMURAI BLUE、イランに逆転負けでAFCアジアカップ4強ならず”. 日本サッカー協会 (2024年2月4日). 2024年3月24日閲覧。
  177. 日本代表はどこまでいける? コパ・アメリカ「招待国」の意外な成績を知る”. REALSPORTS (2019年6月15日). 2026年1月6日閲覧。
  178. Walker-Roberts, James (2009年6月2日). Japan Invited To Copa America 2011 Along With Mexico (英語). Goal.com. 2009年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月9日閲覧。
  179. SAMURAI BLUE、井手口選手のゴールで白星発進 ~EAFF E-1サッカー選手権 KOREA DPR戦~ JFA公式サイト. 2017年12月10日付。
  180. SAMURAI BLUE、小林選手、昌子選手の初ゴールで中国に勝利 ~EAFF E-1 サッカー選手権 2017 決勝大会~ JFA公式サイト. 2017年12月13日付。
  181. SAMURAI BLUE、韓国に敗れて優勝逃す ~EAFF E-1サッカー選手権決勝大会~ JFA公式サイト. 2017年12月17日付。
  182. SAMURAI BLUE(日本代表) ヴァイッド・ハリルホジッチ監督との契約を解除 (2018年4月9日). 2023年9月3日閲覧。
  183. SAMURAI BLUE、中国に2-1勝利で白星スタート ~EAFF E-1サッカー選手権2019~ JFA公式サイト. 2019年12月12日付。
  184. SAMURAI BLUE、代表デビュー小川選手が3得点など香港に勝利 ~EAFF E-1サッカー選手権2019~ JFA公式サイト.2019年12月15日付。
  185. SAMURAI BLUE、韓国に敗れて3大会ぶり優勝ならず ~EAFF E-1サッカー選手権2019~ JFA公式サイト. 2019年12月19日付。
  186. 【Match Report】SAMURAI BLUE、香港代表に6-0の快勝でEAFF E-1選手権白星スタート (2022年7月20日). 2023年6月22日閲覧。
  187. E-1選手権 第1節 日本 vs. ホンコン・チャイナ”. スポーツナビ (2022年7月19日). 2025年7月12日閲覧。
  188. 【Match Report】SAMURAI BLUE、EAFF E-1選手権第2戦で中国代表に終始攻勢もスコアレスドロー (2022年7月25日). 2023年6月22日閲覧。
  189. E-1選手権 第2節 日本 vs. 中国”. スポーツナビ (2022年7月24日). 2025年7月12日閲覧。
  190. 【Match Report】SAMURAI BLUE、韓国に3-0快勝でEAFF E-1選手権4大会ぶり制覇、森保体制初タイトル (2022年7月28日). 2023年6月22日閲覧。
  191. E-1選手権 第3節 日本 vs. 韓国”. スポーツナビ (2022年7月27日). 2025年7月12日閲覧。
  192. E-1選手権 第2節 日本 vs. 中国”. スポーツナビ (2025年7月12日). 2025年7月15日閲覧。
  193. E-1選手権 第3節 韓国 vs. 日本”. スポーツナビ (2025年7月15日). 2025年7月15日閲覧。
  194. 日本代表、韓国代表を下してE-1選手権2連覇を達成! 史上初の日韓戦3連勝”. Goal.com (2025年7月15日). 2025年7月15日閲覧。
  195. サッカーの話をしようNo.95 3人目の交代をどう使うか-大住良之オフィシャルアーカイブサイト
  196. 遠藤 保仁”. サッカー日本代表データベース. 2018年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月21日閲覧。
  197. Kunishige Kamamoto - Goals in International Matches (英語). RSSSF.com. 2016年9月21日閲覧。
  198. 釜本 邦茂 - 日本サッカー殿堂”. JFA.jp. 日本サッカー協会. 2020年12月20日閲覧。
  199. 参考:Aマッチ得点ランキング (PDF) [リンク切れ] 、日本サッカー協会
  200. 1 2 3 4 5 6 日本サッカー協会編「日本代表公式記録集The Yearbook of JFA 2015」
  201. GK権田 9戦連続完封も満足せず「みんなが守ってくれた結果」」『スポーツニッポン』2021年3月31日。2021年3月31日閲覧。
  202. 日本サッカー協会、キリングループとの契約を2022年まで更新-サッカーキング2014年5月25日
  203. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 日本代表ページ-日本サッカー協会(JFA)公式HP
  204. キリングループとの「日本サッカー協会オフィシャルパートナー」契約に基本合意”. 日本サッカー協会. 2022年6月1日
  205. 1 2 MS&ADインシュアランス グループとの次期パートナーシップ契約に基本合意”. 日本サッカー協会. 2022年11月4日
  206. 全日本空輸(ANA)とのパートナーシップ契約に基本合意”. 日本サッカー協会. 2023年2月27日
  207. クレディセゾンとJFAメジャーパートナー契約を締結”. 日本サッカー協会. 2023年7月3日
  208. 日本代表チームのサポーティングカンパニー契約決定について - クレディセゾン・2001年11月5日
  209. 日本代表チームならびに日本代表戦のスポンサー決定について~2007年4月より、8年間の契約更新 ~ - クレディセゾン・2007年3月26日
  210. サッカー日本代表チームとのサポーティングカンパニー契約を締結 - KDDI・2016年8月25日
  211. KDDIとのパートナーシップ契約に基本合意”. 日本サッカー協会. 2023年3月23日
  212. 株式会社みずほフィナンシャルグループと日本代表チームサポーティングカンパニー契約を締結 - 日本サッカー協会・2013年4月1日
  213. 財団法人日本サッカー協会とサッカー日本代表チームのサポーティングカンパニー契約を締結しました』(プレスリリース)三井住友海上火災保険、2008年5月2日。オリジナルの2008年5月14日時点におけるアーカイブ
  214. TOYO TIREは、皆様とともに、サッカー日本代表を応援してまいります。 - TOYO TIRE・2021年5月20日
  215. 日産、日本サッカー協会スポンサーから撤退へ - J-CASTニュース・2007年2月16日
  216. 大和証券グループと日本代表チームのサポーティングカンパニー契約を締結”. J's GOAL (2007年5月30日). 2013年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月30日閲覧。
  217. 過去の協賛事業”. 大和証券グループ本社. 2013年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月21日閲覧。
  218. 財団法人日本サッカー協会とのスポンサーシップ契約について - ソニーマーケティング・2007年3月27日
  219. アウディ ジャパン株式会社と日本代表チームサポーティングカンパニー契約を締結 - 日本サッカー協会・2011年5月26日
  220. コナミはサッカー日本代表を応援しています サッカー日本代表のサポーティングカンパニーに』(プレスリリース)コナミデジタルエンタテインメント、2013年3月25日。オリジナルの2013年4月27日時点におけるアーカイブ
  221. JAL、サッカー日本代表チームの「サポーティングカンパニー」に! - 日本航空・2007年3月26日
  222. サッカー日本代表チーム サポーティングカンパニー契約締結について』(プレスリリース)ファミリーマート、2007年3月26日。オリジナルの2012年5月26日時点におけるアーカイブ
  223. 大東建託はサッカー日本代表を応援します!日本サッカー協会とサポーティングカンパニー契約を締結 - 大東建託・2016年11月1日
  224. JAL対ANAに注目!“岡田Jウイング”争奪戦の行方”. ZAKZAK (2010年1月28日). 2010年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月28日閲覧。
  225. 犬飼会長、JAL問題は「静観するしか」」『日刊スポーツ』2010年1月22日。オリジナルの2010年5月1日時点におけるアーカイブ。2010年1月22日閲覧。
  226. アパホテルとのパートナーシップ契約に基本合意”. 日本サッカー協会. 2023年3月1日
  227. 読売新聞とのパートナーシップ契約に基本合意”. 日本サッカー協会. 2023年3月21日
  228. ダンヒル、2012年サッカー日本代表チームの「勝負服」オフィシャルスーツを発売”. FASHION PRESS (2015年5月4日). 2015年5月5日閲覧。
  229. 2020年度 dunhillサッカー日本代表オフィシャルスーツSAMURAI BLUE Collection 4月24日(金)よりdunhill.comオンラインにて発売開始』(プレスリリース)ダンヒル、2020年4月24日
  230. サッカー日本代表、歴代のオフィシャルスーツを紹介 - ダンヒルが手掛ける「勝負服」”. FASHION PRESS (2024年4月24日). 2024年4月25日閲覧。
  231. オーダースーツブランド「DIFFERENCE」を展開するコナカと「サッカー日本女子代表アパレルプロバイダー」契約を締結 - 日本サッカー協会・2023年7月6日
  232. 株式会社ビームスと日本代表アパレルプロバイダー契約を締結~なでしこジャパンにオフィシャルスーツを提供 - 日本サッカー協会・2017年10月11日
  233. U-16日本女子代表候補 AFC選手権前最後のトレーニングキャンプをスタート、日本代表プロバイダーの西川産業株式会社による睡眠レクチャー - 日本サッカー協会公式サイト2017年8月10日
  234. 日本サッカー協会とプロバイダー契約を締結。寝具の提供を通じて日本代表チームをサポートいたします!!』(プレスリリース)東京西川、2015年4月1日。オリジナルの2015年4月2日時点におけるアーカイブ
  235. SAMURAI BLUE(サッカー日本代表)の睡眠をサポート コンディショニングを睡眠の面で支えます』(プレスリリース)西川株式会社、2026年6月9日
  236. スイスの高級腕時計ブランド、ウブロと日本代表プロバイダー契約を締結 - 日本サッカー協会・2015年11月10日

参考文献

書籍

雑誌

  • 轡田三男「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (6)」『週刊サッカーマガジン』1968年8月号、ベースボール・マガジン社 
  • 「改革を進める日本サッカー協会」『サッカー批評』第20号、双葉社、2003年10月10日。 
  • 『週刊サッカーマガジン No.1264』2008年12月16日号、ベースボール・マガジン社、2008年12月2日。 
  • 三浦憲太郎「日本代表裏戦記」『週刊サッカーマガジン No.1394』2012年4月10日号、ベースボール・マガジン社、2012年3月27日。 
  • 『週刊サッカーダイジェスト No.1290』7/8号、日本スポーツ企画出版社、2014年6月23日。 
  • 『週刊サッカーダイジェスト No.1291』7/15号、日本スポーツ企画出版社、2014年7月1日。 

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Samurai Blue」の関連用語

Samurai Blueのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Samurai Blueのページの著作権

   
新語時事用語辞典新語時事用語辞典
Copyright © 2026 新語時事用語辞典 All Rights Reserved.
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサッカー日本代表 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS