トリグラフ (駆逐艦・初代)とは? わかりやすく解説

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トリグラフ (駆逐艦・初代)

(SMS Triglav から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 14:10 UTC 版)

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トリグラフ (SMS Triglav) はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の駆逐艦。タトラ級

艦歴

1912年8月1日、ガンツ・ダヌビウス社のPorto Réの造船所で起工。1913年12月22日進水[1] 1914年8月8日竣工[2]

第一次世界大戦

タトラ級6隻は第1水雷隊を編成し、巡洋艦「サイダ」などとともに第1水雷戦隊に属していた[3]。なお、1914年10月20日に「サイダ」は「ヘルゴラント」と交代している[4]

1914年11月と12月や1915年4月に「ヘルゴラント」が駆逐艦を伴って出撃しているが[5]、「トリグラフ」が参加しているかはわからない[6]

1915年2月18-19日、「ヘルゴラント」とタトラ級6隻はオトラント海峡へ出撃したが、敵を見なかった[4]

5月11日から17日にかけて、オスマン帝国へ向かう潜水艦「UB7」をポーラからオトラント海峡の南まで曳航した[7]。そこからは「UB7」は単独でオスマン帝国へと向かい、無事到着している[7]。次いで5月22日からは同様の潜水艦「UB3」をポーラからカッタロ湾まで曳航[7]。その先は駆逐艦「Warasdiner」が「UB3」が曳航した[7]。「Warasdiner」と別れた後、「UB3」は消息不明となった[8]

1915年5月23日、イタリアはオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。翌日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍はアンコーナなどを攻撃した。この時、「トリグラフ」は巡洋艦「サイダ」、「Szigetvár」、駆逐艦「バラトン」とともにFグループを構成し、主力部隊の南方の哨戒を行った[9]

7月23日、「ヘルゴラント」やタトラ級駆逐艦などによるイタリア沿岸襲撃が実施された[10]。「トリグラフ」と「リカ」はトレーミティ諸島に兵を上陸させて電信ケーブルを切断した[11]

7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍は巡洋艦「サイダ」、タトラ級駆逐艦6隻などでイタリアが7月11日に占領したペラゴーザ島に対する攻撃を実施[12]。砲撃後に108名を上陸させたが、オーストリア=ハンガリー帝国側は敵兵力を過小評価しており、撃退された[13]

10月、オーストリア=ハンガリー帝国軍やドイツ軍はセルビアに対する攻勢を開始[14]。続いてブルガリア軍もセルビアに侵攻し、セルビアへのサロニカからの補給ルートを切断[15]。アドリア海側からのルートがその代わりとなり、その切断がオーストリア=ハンガリー帝国海軍に求められた[16]。11月22日に「ヘルゴラント」と「サイダ」やタトラ級駆逐艦などは出撃してオトラント海峡へ向かい、2隻の船(「Palatino」、「Gallinara」)を沈めた[17]。この後、タトラ級駆逐艦は巡洋艦「ヘルゴラント」や「ノファラ」などとともにカッタロへ移された[18]。12月6日、「ヘルゴラント」、「サイダ」[19]とタトラ級駆逐艦はドゥラッツォ港を攻撃した[20]

12月28日にドゥラッツォで[21]発見された2隻のイタリア駆逐艦など[22]を攻撃するため、同日夜[23]カッタロより「ヘルゴラント」、「バラトン」、「チェペル」、「リカ」、「タトラ」、「トリグラフ」が出撃した[20]。イタリア駆逐艦は発見されず、12月29日夜明けにドゥラッツォ港内に侵入した「チェペル」、「リカ」、「タトラ」、「トリグラフ」は汽船1隻とスクーナー2隻を沈めた[24]。港外で出る際、おそらく「ヘルゴラント」の射線をふさがないようにしようとしたため(または沿岸砲の砲撃を避けようとして[25])機雷原に入ってしまい、「リカ」が触雷沈没[24]。「トリグラフ」も触雷して缶室に浸水し航行不能となった[20]。この機雷はイタリア巡洋艦「Puglia」と嚮導駆逐艦「Guiglielmo Pepe」により敷設されたものであった[26]

「チェペル」が曳索がスクリューに絡まり「トリグラフ」曳航に失敗した後、「タトラ」が「トリグラフ」を曳航し北上を開始[27]。一方、ブリンディジから巡洋艦「ダートマス」、「クアルト」、フランス駆逐艦5隻(「Casque」、「Bisson」、「Renaudin」、「Commandant Bory」、「Commandant Lucas」)と、それより遅れて巡洋艦2隻と駆逐艦4隻が出撃していた[28]。敵接近により「トリグラフ」乗員の退艦が命じられ、「ダートマス」グループが視認されると曳航中止となった[28]。その後、「トリグラフ」はフランス駆逐艦によって沈められた[26]

脚注

  1. ^ Greger, p. 44
  2. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 23
  3. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 69-70
  4. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers in World War One, p. 184
  5. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 119-120, 122, 150
  6. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918には艦名や艦名が特定できることが書かれていないため
  7. ^ a b c d The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 134
  8. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 135
  9. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 171
  10. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 31, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 185
  11. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 185
  12. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 186, Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32
  13. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32
  14. ^ A Naval History of World War I, p. 152
  15. ^ A Naval History of World War I, pp. 152-153
  16. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 32, A Naval History of World War I, p. 153
  17. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 205
  18. ^ A Naval History of World War I, p. 154
  19. ^ A Naval History of World War I, p. 154などでは「サイダ」の名前はない
  20. ^ a b c Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 33
  21. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 210ではドゥラッツォ付近
  22. ^ 他資料では駆逐艦2隻以外の記述はない
  23. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 210では12月29日夕刻。そのため、「リカ」、「トリグラフ」触雷は12月30日となっている。
  24. ^ a b A Naval History of World War I, p. 156, Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 33
  25. ^ Clash of Fleets, Battle of Durazzo
  26. ^ a b The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 210
  27. ^ Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 33, A Naval History of World War I, p. 156
  28. ^ a b Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18, p. 34, Clash of Fleets, Battle of Durazzo

参考文献

  • Greger, René (1976). Austro-Hungarian Warships of World War I. London: Ian Allan. ISBN 0-7110-0623-7 
  • Halpern, Paul G. (1994). A Naval History of World War I. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-55750-352-4 
  • Noppen, Ryan K. (2016). Austro-Hungarian Cruisers and Destroyers 1914-18. New Vanguard. 241. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-4728-1470-8 
  • O'Hara, Vincent P.; Heinz, Leonard R. (2017). Clash of Fleets: Naval Battles of the Great War, 1914-18. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press (電子版)
  • Zvonimir Freivogel, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, Despot Infinitus, 2019, ISBN 978-953-8218-40-8
  • Zvonimir Freivogel, Austro-Hungarian Cruisers in World War One, Despot Infinitus, 2017, ISBN 978-953-7892-85-2



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