R.L.バーンサイドとは? わかりやすく解説

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R.L.バーンサイド

(R. L. Burnside から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/27 15:30 UTC 版)

R.L.バーンサイド
バーンサイド(1998年、シャーロットのダブルドアインにて)
基本情報
原語名 R.L. Burnside
出生名 Robert Lee (or Rural) Burnside
生誕
出身地 アメリカ合衆国 ミシシッピ州オックスフォード
死没
ジャンル ブルース
職業
  • ミュージシャン
  • 歌手
担当楽器
活動期間 1960年代 – 2005年
レーベル

R.L.バーンサイドR. L. Burnside1926年11月23日 - 2005年9月1日)は、ブルース歌手、ギタリスト、ソングライターである。ミシシッピ州北部のヒル・カントリー・ブルースのスタイルを持つアーティストとして知られる。彼は人生の多くをミュージシャンとして過ごしたが、 パンクガレージ・シーンなどジャンルを超えた人気を集めるきっかけとなった1995年のジョン・スペンサーとのツアー以前は、さほど大きな注目を浴びてはいなかった。

来歴

1926年-1959年:幼少期からキャリア初期

バーンサイドは1926年11月23日、アーネスト・バーンサイドとジョーシー・マローンの下に生まれた[1][2]。生誕地についてはハーモンタウン[3]、カレッジ・ヒル[4][5]、あるいはブラックウォーター・クリーク[6]といくつかの説があるが、いずれの地もミシシッピ州北部ラファイエット郡の農村地帯で、1930年代のサーディス湖造成によって水面下に沈んだ地域の付近である[7]

彼のファースト・ネームについてはR.L.[8]、ルーラル(Rural)[9][8][n 1]、ロバート・リー(Robert Lee)[6]、ルール(Rule)[8]、あるいはルエル(Ruel)など複数の情報がある。彼の父親は早い段階で家族から離れており、R.L.は彼の母親、祖父母、兄弟たちと一緒に暮らし育っている。

彼は16歳の頃からハーモニカを演奏し、ギターも少し弾き始めた。本人によると、初めて人前で演奏したのは21歳か22歳の時だという[10][11]。彼は、幼少期より近所に住んでいたミシシッピ・フレッド・マクダウェルから多くを学んだという。彼は7歳か8歳の頃に初めてマクダウェルの演奏を耳にし[12]、後に彼のギグに参加するようになった[11][13]

その他彼に教えた地元の人間には彼の妻の兄[10]、彼の義理の叔父でセナトビア出身の知られたプレイヤー、レイニー・バーネット[12][14]、ほぼ無名のヘンリー・ハーデン[15]、サン・ヒブラー、ジェシー・ヴォーティスの他、ストーンウォール・メイズも彼に教えていた可能性がある[16]。バーンサイド自身は幼少期の音楽の体験として、教会で歌った経験[13][17]とファイフ・アンド・ドラムのピクニック(ミシシッピ州北部で古くから開催されるアフリカ系アメリカ人による笛と打楽器を演奏するピクニック[18][19])を挙げ、大人になってから影響を受けた人としてマディ・ウォーターズライトニン・ホプキンズジョン・リー・フッカーを挙げている[10][11][12]

1940年代後半[20]、よりよい生活を求め[11]彼は母と別れた父親が住んでいたシカゴに移住した[11]。彼は金属とガラスの加工工場で職を得る一方[12][21][22]、彼の義理の従兄だったマディ・ウォーターズと共に[11]、マックスウェル・ストリートのブルース・シーンを満喫した[2][20]。しかし彼の期待したような状況にはならず、彼の父親、2人の兄、2人の叔父が皆市内でその後1年の間に殺害されてしまった[13][n 2]

シカゴに移住して3年後[13][20]、バーンサイドは南部に戻った。彼は1949年、1950年頃にアリス・メイ・テイラーと結婚している[23][24][22]。彼にとって2度目の結婚であった[10][n 3]

1950年代に彼はメンフィスミシシッピ・デルタ、ミシシッピ北部のヒル・カントリーを何度か移住している[25][9][26]。この頃デルタ地域で、彼はブルースマンのロバート・ロックウッド・ジュニアアレック・"ライス"・ミラーと出会った[10][11]。この時期、バーンサイドは殺人を犯したと考えられている。彼はクラップスのゲームで1人の男性を殺害し、殺人罪で起訴されてミシシッピ州立刑務所(通称、パーチマン・ファーム)に収監された[24][27]。バーンサイドが後になって語ったところによると、彼のトラクター運転手としての能力を彼の上司が必要としていたため、上司は6か月後に彼を釈放させるように手配していたという[n 4]

1960年-1990年:パートタイムでのミュージシャン生活

バーンサイドは、その後2005年に亡くなるまでの45年間をミシシッピ州北部のパノラ郡およびテイト郡で過ごしている。当初は人里離れた場所に住み[23]、綿花、大豆を栽培する小作人、タラハッチー川で操業する漁師、戸別訪問のセールスマン[10][29]、あるいはトラック運転手として[30]1980年代まで働いていた。後になってから彼はよりホリー・スプリングスに近い場所に住居を移している。彼はミシシッピ州に戻ってからは、特に結婚後は[15]、地元のギグをより多くこなすようになり[20]、ジューク・ジョイントやバー(彼経営のものも含む)[3][2][12][9][31]、ピクニックや自ら開催したオープン・ハウス・パーティー[26][n 5]、そしてときにはフェスティバルでもでギターを弾いた。

彼の最も古いレコーディングは、1967年に当時ジャーナリズム専攻大学院生で後に音楽プロデューサーとなるジョージ・ミッチェルによってレコーディングされた。ミッチェルと彼の妻は13日間に渡るミシシッピ州への夏の旅行に出かけ、いくつかのカントリー・ブルースのアーティストにとって初のレコーディングとなるものを記録した[32]。彼は、ファイフ奏者/職人のオサー・ターナーの勧めにより、コールドウォーター付近にあったバーンサイドの家を訪ねた[33]。フレッド・マクダウェルはバーンサイドについて教えてくれなかった、それは恐らく彼が"大きな競争相手"だったからだろう、とミッチェルは書き記している[34]

アコースティック・ギターで演奏された6曲がミッチェルから貸し出され2年後にアーフーリー・レコードからリリースとなった、残りの9曲は後になってからリリースとなっている。1969年にもアデルファイ・レコードのためにアコースティックのレコーディングが行なわれたが、30年後までリリースはされなかった。1975年に行なわれたレコーディングについても同様の運命をたどっている[35][36]

これらのレコーディングではバーンサイドはアコースティック・ギターを弾いて歌っており、数曲においてはW.C.ヴィーシーあるいはユニス・レッド・ラムジーがハーモニカで入っている。またレコーディングこそされてされてはいないが、バーンサイドはこの時期既にエレクトリック・ギターも弾いていたという[9][26]。彼の初期のレパートリーはヒル・カントリーやメンフィスで人気だったジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズを始め、ハウリン・ウルフエルモア・ジェイムズのヒット曲、他ヤンク・レイチェル、ライトニン・ホプキンズ、ロンサム・サンダウンの楽曲などがあった。

1969年、彼はモントリオールでライトニン・ホプキンズとジョン・リー・フッカーと共に公演を行なったが、これは彼にとって初めての米国外でのコンサートであった[10][11]。ソロ・アーティストとしては、彼は3回ヨーロッパでツアーを行ない、熱烈な観客の前で演奏している[26]。1974年、彼はニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバルに初めて出演した。その後彼は8回このフェスティバルに出演している[37]。同じく1974年、タヴ・ファルコはミシシッピ州コモのバーンサイドのバーンサイド経営のジューク・ジョイント、ブラザーフッド・スポーツメンズ・ロッジでバーンサイドの演奏を映像記録した[38][39][n 6]

バーンサイドの演奏の多くにスライド・ギタリストのケニー・ブラウンがフィーチャーされている。ブラウンはバーンサイドの友人であり、サポート役であった。1971年にバーンサイドはブラウンへ教えることを始めており、ブラウンのことをバーンサイドは「養子」であると主張していた[43][44]。1978年、バーンサイドはアラン・ローマックスによって映像記録された。その多くがテレビ・ドキュメンタリー「The Land Where The Blues Began」のアウトテイクとして残ることとなった[n 7]

音楽研究家のデイヴィッド・エヴァンズが彼のレーベル、ハイウォーターのために行なった1979年のレコーディングはバーンサイドのサウンド・マシンをフィーチャーした最初のレコーディングである。このバンドには、ギターに2人の息子デュエインとダニエル、ベースにも息子のジョセフ、そして義理の息子のカルヴィン・ジャクソンがドラムスに参加している[23]

サウンド・マシンの活動はほぼ地元に限られていたものの、彼らは1980年[26]と1983年のヨーロッパ・ツアーでバーンサイドに同行している。彼らは珍しいカントリー・ブルースとアーバン・ブルース、ファンクR&Bソウルの融合を図り[9][n 8]ミシシッピの若年層にアピールした[26]。彼らのセットではジミー・ロジャーズリトル・ウォルターアルバート・キングリトル・ミルトンらのカバーも演奏された。EP「Sound Machine Groove」がエヴァンズのレーベルから米国でリリースとなったものの、配給は全くないも同然な状況であった[45][46]。他には同じタイトルのフル・アルバムがディスク・ヴォーグからヨーロッパ・リリースとなり[26]、もう一時間分の音源がメンフィスのレーベル、インサイド・サウンズから2001年にリリースとなっている[47]

1980年から86年の間、バーンサイドはオランダのレーベル、オールド・スウィングマスターとフランスのレーベル、アリオンのためにレコーディングを行なっている。その殆どはソロあるいはハーモニカが加わったデュオ形式であった。いくつかはジョニー・ウッズがハーモニカで参加していたが、彼はリーダー・アーティストとしてもレコーディングを行ない、そこではバーンサイドが逆にギターでサポート役に回った。カーティス・サルガドがニューオーリンズでのセッションに参加したことも一度あった[48][49]

1980年代半ばには、バーンサイドは農業からは身を引き、音楽により集中するようになった[20]。12年ほどの期間、彼はニューオーリンズを拠点とするハーピスト、ジョン(ジョニ)・モリス・ネレンバーグと活動した[10][23][9]。彼は1982年のノックスビル国際博覧会、1984年のニューオーリンズ国際河川博覧会など大きなイベントの聴衆の前で演奏し[23]、1986年には海外ツアーの合間に開催されたサンフランシスコ・ブルース・フェスティバルにも出演した[50][23][51]

1980年代半ばまでには、彼はヨーロッパに年に1、2度は出かけ[20]、そして1985年時点のレポートによると彼のヨーロッパ・ツアー歴は通算17回にも及んでいた[10]。モリスと行なったレコーディングは、後になって2つのCDでリリースとなっている。1つは『Acoustic Stories』で1988年のセッションより、もう1つは『Well... Well... Well』でモリスが提供した非公式レコーディングを集めた2001年リリースのコンピレーションである。いずれもM.C.レコードとルイス・X・アーランジャーがプロデュースを担当した[12]

1991年–2005年:商業的成功と健康状況の悪化

バーンサイド(1992年、イタリアのリリ・ブルース・フェスティバルにて)

1970年代後半または1980年代初頭頃、バーンサイドはジュニア・キンブローに紹介され、2人のパートナーシップが始まった[20]。そのおよそ10年後、バーンサイドの店は閉店となり[31][n 9]、彼の家族はチュラホーマのキンブローの新しい店ジュニアズ・プレイスの隣に引っ越して音楽一家どうしで一緒に活動をした[12][45][53]オックスフォードのミシシッピ大学で教鞭を執っていた音楽ライターのロバート・パーマーはその場にしばしば有名ミュージシャンたちとともに現れ、そのことが1990年のドキュメンタリー映画「Deep Blues」の制作に繋がった。この映画にはバーンサイドも目立つ形でフィーチャーされている。

バーンサイドは1991年、オックスフォードのレーベル、ファット・ポッサム・レコードへのレコーディングを開始した[1]。このレーベルは、バーンサイドやキンブローを始めとする年老いたミシシッピ北部のブルースマンをレコーディングすることに特化しており[24][54]、設立者は彼らを相当期間見続けていた2人の学生(リヴィング・ブルース誌編集者のピーター・レドヴァーズ・リーと同誌ライターのマシュー・ジョンソン)であった[55][56]。以後バーンサイドは、亡くなるまでこのレーベル所属であった。同レーベルからの最初のアルバムは『Bad Luck City』(1992年)で、サウンド・マシンをフィーチャーしていた。続く作品『Too Bad Jim』(1994年)はジュニアズ・プレイスで、パーマーのプロデュースの下カルヴィン・ジャクソンとケニー・ブラウンのサポートを得てレコーディングされた[53][57]

ジャクソンがオランダに移住して地元を離れた後[43][44]、バーンサイドはレギュラーでギターのケニー・ブラウン、孫でドラマーのセドリック・バーンサイドとプレイするようになり、彼らが彼の固定のバンドとなった。グラミー賞にノミネートされたプロデューサーのラリー・ホフマンが1993年2月、彼をウォルターズ美術館でのボルティモア・フォーク・ミュージック・ソサエティ・コンサートの目玉として彼をボルティモアに招いた。バーンサイドにとっては美術館での演奏はこれが初めての経験であった。

ドキュメンタリー映画「Deep Blues」リリース当時のニューヨークのコンサートで、彼はジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのリーダーのジョン・スペンサーの目に留まることとなった[58]。彼は1995年にオープニング・アクト、あるいはシット・インの形でこのグループとともにツアーに出て[58]多くの新たなファンを獲得することにつながった[59]。1996年のアルバム『A Ass Pocket of Whiskey』はスペンサーのバンドとともにレコーディングされ、彼らのファンに向けたマーケティングが行なわれたものの、バーンサイド名義のアルバムであった[58]。この作品は評論家から高い評価を受け、ボノイギー・ポップからも称賛の声が上がった。ビルボード誌は「これまでにリリースされたあらゆるブルースのアルバムとも異なるサウンド」と評し[58]、同誌のライターの一人はこの作品を年末の評論家投票の1枚にえらんだが[60]リヴィング・ブルース誌は「恐らく過去最悪のブルース・アルバム」とこき下ろした[61]

1982年、ノックスヴィル国際博覧会にて

ブルース・エクスプロージョンと別れたあと、レーベル側はテクノダウンテンポヒップホップのリスナーへのアプローチを念頭に、レコーディングされた楽曲をプロデューサーのトム・ロスロックにリミックスさせる方針を打ち出した。この実験は『Mr. Wizard』(1997年)のトラックから始まり[62][63]、様々な異なるセッションの音源からフル・アルバム『Come On In』(1998年)が完成した[64]。アーティスト側は作品が完成した状態で初めて耳にすることになったが、人気も出たことで最終的に好きになったとした[43][65]

バーンサイドは、かつてないほどの規模でツアーを続けた。彼はビースティー・ボーイズのオープニング・アクトを務め[12][66]レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエンに音楽ゲストとして出演した。リチャード・ギアの誕生日パーティーなどのプライベート・イベントでエンターテイメントを提供していたHBOの音楽番組「Reverb」[24]は、ファット・ポッサムの他のアーティスト、特にT-モデル・フォード、ポール・"ワイン"・ジョーンズ、セデル・デイヴィス、ロバート・ケイジ、ロバート・ベルフォアとの共演やショーケース出演にも参加した。

彼の生活と仕事に関するドキュメンタリー報道も増加した。ブラッドリー・ビーズリーは、バーンサイドと他のファット・ポッサムのアーティストについての60分の映画「ヒル・ストンプ・ホラー」を撮影し、1999年のサウス・バイ・サウスウエスト映画祭プレミアで上映し好評を博した[67][68]。しかしながら、レーベルはこの映画のリリースを許可しなかった[69]。ビーズリーの撮影した映像の多くと彼が行なったインタビューは、マンディ・スタイン監督の77分の映画「You See Me Laughin'」に使用され、ファット・ポッサムはこれを2003年にリリースした。1999年、パリのニュー・モーニング・クラブでのブラウンとセドリックが共演した公演は、フランスのブルース シンガー、ソフィー・ケイ (ソフィー・ケルテスとしても知られる) 撮影し、 52 分間のドキュメンタリーを制作した。

しかしながら、間もなくバーンサイドの健康状態は悪化した。耳の感染症を患い、1999年には心臓手術を受けた[3][70][71][72]。彼のツアーでの公演数は最小限に減る中[73][74]、『Wish I Was In Heaven Sitting Down』(2000年)がリリースとなった。ここではボーカルは本人がとった一方、ギターについては他のプレイヤー(リック・ホームストロム、スモーキー・ホーメル、ジョン・ポーター)が担当している[12][75]。2001年に心臓発作を起こした後、バーンサイドは医師より飲酒を止めるように勧められた。彼はその勧めに従ったものの、この頃にはプレイはできなくなっていた[28]。ファット・ポッサムは2004年に『A Bothered Mind』をリリースした。これは過去にレコーディングされたギター・トラックを使用し、キッド・ロック、リリックス・ボーンとのコラボレーションも収録された[76]

後年のリミックス・アルバムについては賛否両論の評価を受けており、一部評では「不自然である」された一方[77]、遊び心のある精神[78]や「本物のブルースの感覚を新しいテクノロジーに結びつけた手法」を称賛する評もあった[79]。商業的にはリミックス・アルバムは成功を収めており、ビルボードのブルース・チャートでは12-18週の期間チャートにとどまるなど以前の作品と比較して好成績となった。しかしながら、より競争の激しいビルボード・ホットR&B/ヒップホップ・ソングスのチャート入りをすることはなかった[80][n 10]。『Come On In』の2曲は、HBOのテレビドラマ「Music On The Sopranos」のサウンドトラックに使用された。『Come On In』の「Let My Baby Ride」は多くの放送で流され、ビデオ・クリップも作成され、MTVの「120 Minutes」で放送されている[65]。アルバム収録の「Rollin' & Tumblin'」は米国で2002年の日産自動車のテレビCMで使用された[12][83][84]

リミックスされていないライヴ盤『Burnside On Burnside』(2001年)はビルボードのブルース・アルバム・チャートで4位を記録し[80]グラミー賞の最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞にノミネートされた[85]。このアルバムは2001年1月にレコーディングされており、ケニー・ブラウンとセドリック・バーンサイドが参加。バーンサイドがバンドリーダーとして演奏する作品としては最後のものとなっている。

ファット・ポッサムは、1967年にジョージ・ミッチェルが行なったトラディショナルな形式のレコーディング・セッションを最も完全な形でまとめた『Frst Recording』(2003年)をリリースしている[n 11]。1990年代から2000年代にかけ、過去数十年間の未発表音源などが、その他のレーベルからいくつかリリースされている。

死去と家族について

2002年に再度心臓発作に見舞われたバーンサイドは2003年に心臓手術を行ない、その後の計画を縮小せざるを得ない状況となった[12][70]。しかしそれでもバーンサイドは最後のパフォーマンスとなった2004年のボナルー・フェスティバルへの出演など、時折のゲスト出演も含めて活動を続けた[87]

彼は2005年9月1日メンフィスのセントフランシス病院にて死去した。78歳だった[88]。葬儀はミシシッピ州ホリースプリングスのラスト大学で執り行われ、ハーモンタウンのフリー・スプリングス墓地に埋葬された。死去した頃、彼はミシシッピ州バイへイリア在住であった。彼の直近の遺族は下記の通りである:[88]

  • 妻:アリス・メイ・テイラー・バーンサイド(1932年-2008年)[89]、1949年結婚[22][24]
  • 娘たち:ミルドレッド・ジーン・バーンサイド(1949年-2010年)[90]、リンダ・ジャクソン、ブレンダ・ジャクソン、ブレンダ・ケイ・ブルックス、パメラ・デニース・バーンサイド
  • 息子たち:メルヴィン・バーンサイド、R.L.バーンサイドJr.(1954年-2010年)[91]、カルヴィン・バーンサイド、ジョセフ・バーンサイド、ダニエル・バーンサイド、デュエイン・バーンサイド、デクスター・バーンサイド、ギャリー・バーンサイド(一番末の息子)、ロジャー・ハーモン
  • 姉妹:ルシール・バーンサイド、ヴァーリン・バーンサイド、マット・バーンサイド
  • 兄弟:ジェシー・モニア
  • 孫:セドリック・バーンサイド、ケント・バーンサイド(最年長の孫)、他彼らを含めて35名いる。
  • ひ孫:32名

バーンサイドの一族の中にはホリー・スプリングス地域を中心に他の地域でもブルースをプレイし続けている人が複数存在する。

受賞歴

  • ブルース音楽賞
    • 2000年(年間トラディショナル・ブルース男性アーティスト)[92]
    • 2002年(年間トラディショナル・ブルース男性アーティスト、年間トラディショナル・ブルース・アルバム-『Burnside On Burnside』)[93][94]
    • 2003年(年間トラディショナル・ブルース男性アーティスト)[95]
    • 1982年以降、受賞につながらなったノミネートも11回受けている[96]
  • グラミー賞
    • 2003年(最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム-『Burnside On Burnside』ノミネート)[97]

影響力の広がり

バーンサイドと同じファット・ポッサム所属のザ・ブラック・キーズは、影響を受けた人物として彼の名前を挙げており、彼らの楽曲「Busted」にバーンサイドの「Skinny Woman」を使用している。彼らはケニー・ブラウンをフィーチャーしたアルバム『Delta Kream』(2021年)でバーンサイドの楽曲を2曲カバーしており、アルバム『Dropout Boogie』のサポートのための2022年のツアーではブラウンに加えジュニア・キンブローの元ベーシスト、エリック・ディートンが参加し、バーンサイドのカバーをライヴ演奏している。

エレクトロニカのミュージシャン、サンジェルマンはバーンサイドの「Nightmare Blues」をサンプリングし、「Now Dare You」に使用し2015年のアルバム『St Germain』に収録した[100]

スタイル

バーンサイド(2001年1月、ポートランドのクリスタルボールルームにて

バーンサイドは力強く表現力豊かな声の持ち主であった。それは年を重ねても衰えることはなく、むしろ豊かになっていた[12][24]。彼はエレクトリック、アコースティック両方のギターを弾き、スライド・ギターもプレイした。そのドローンを駆使したスタイルはデルタ・ブルースよりもヒル・カントリー・ブルースに見られる特徴である。他のカントリー・ブルースのミュージシャン同様、彼は12小節、16小節のブルース・パターンに常に厳密に従うことはせず、ときに拍を一つ追加するなどした[101]。彼のリズムは、しばしばミシシッピ北部特有のファイフ&ドラム・ブルースのリズムに基づくものであった[57][102][n 12]

彼のロールモデルであるジョン・リー・フッカーと同様、バーンサイドの初期のレコーディングは、ボーカルと楽器のスタイルにおいて非常に似ており、 全く同じと思われるものさえある。これらの楽曲の多くは伝統的なブルースの3コード進行を避け、ワン・コードで演奏されるか[9][33][57]、あるいはシンプルなベースラインが曲を通して繰り返される。バーンサイドはピックを使わず、ギターをフィンガースタイルで弾いた。チューニングはオープンGを多用している[103]。彼のボーカル・スタイルの特徴的なところは長く声を伸ばした際に最後の部分で一時的にファルセットになるところであった。

彼と同世代のブルースマン、T-モデル・フォードと同様、バーンサイドは、余分なものを削ぎ落として生の質感を活かすアプローチを好んだ。彼の自他共に認めるキャラクターとしては、苦労の人生を送った働き者の男、大酒飲み、反抗的な歌を歌う犯罪者的な存在というイメージであった[104]

バーンサイドは、「Signifying monkey」、「Tojo Told Hitler」など、アフリカ系アメリカ人のラップのフォーク・ポエムであるトースティングを多く知っていた。彼はコンサート、レコーディングでそれを好んで曲間に挟んだ。彼は長いジョークをコンサート、イベントで語った[59][105]。多くの記事などで彼の機転の効いたウィットやカリスマ性について触れている。

ディスコグラフィー

オリジナル・アルバム

アルバム名 レーベル 備考
1981年 『Plays And Sings The Mississippi Delta Blues』 Swingmaster
1981年 『Sound Machine Groove』 Vogue
1984年 『Mississippi Blues』 Arion ※Rural L. Burnside名義
1986年 『Hill Country Blues - The Blues Of R.L. Burnside』 Swingmaster
1994年 『Too Bad Jim』 Fat Possum
1996年 『A Ass Pocket Of Whiskey』 Matador
1996年 『Mr. Wizard』 Fat Possum/Epitaph
1997年 『Acoustic Stories』 M.C.
1998年 『Come On In』 Fat Possum/Epitaph
2000年 『Wish I Was In Heaven Sitting Down』 Fat Possum/Epitaph
2001年 『Burnside On Burnside』 Fat Possum
2004年 『A Bothered Mind』 Fat Possum

コンピレーション

アルバム名 レーベル 備考
1998年 『Going Down South』 Swingmaster ※レイニー・バーネット、ジョニー・ウッズとの共同名義
1999年 『My Black Name A-Ringin'』 Genes
2001年 『Well... Well... Well』 M.C.
2001年 『Raw Electric』 Music Avenue
2001年 『No Monkeys On This Train』 Hightone
2003年 『First Recordings』 Fat Possum/Epitaph
2010年 『The King Of Hill Country Blues: Rollin' & Tumblin'』 Fat Possum
2017年 『Long Distance Call: Europe 1982』 Fat Possum

映像出演

  • 1974年「Honky Tonk」(タヴ・ファルコ制作)
  • 1979年「The Land Where The Blues Began」(アラン・ローマックス、ジョン・メルヴィル・ビショップ、ウォース・ロング制作=ミシシッピ州教育テレビ公社協力)
    • 1990年「American Patchwork: Songs and Stories of America」、パート3:「The Land Where The Blues Began」、ノースカロライナ州公共テレビ。「The Land Where The Blues Began」(1979年)を再編成したもの。
    • 1991年「Deep Blues: A Musical Pilgrimage to the Crossroads」(ロバート・マッジ監督)
  • 1999年「Hill Stomp Hollar」(ブラッドリー・ビーズリー制作)
  • 「Un jour avec... R. L. Burnside」 Archived 2015-06-11 at the Wayback Machine. (1999/2001)(ソフィー・カーツ制作、Ciné-Rock, Parisプロデュースと配給OCLC 691729826
  • 2002年「You See Me Laughin': The Last of the Hill Country Bluesmen」、2005年にファット・ポッサムよりリリース。(マンディ・スタイン 監督、プロデューサー)
  • 2005年「Richard Johnston: Hill Country Troubadour」(マックス・ショアーズ監督)
  • 2001年「Big Bad Love」、アリリス・ハワード音楽、バーンサイドはサウンドトラック盤にカメオ出演。MGM/IFCフィルムズ。
  • 2012年「Holy Motors」、レオス・カラックス監督、ドクター・エルによるアコーディオンとドラムスでのドクター・Lによる「Let My Baby Ride」カバー。

注釈

  1. バーンサイドの墓標には"R. L. (Rural) Burnside"と記載されている。
  2. バーンサイドは、特にアルバム『Wish I Was in Heaven Sitting Down』(2000年)の冒頭曲 スキップ・ジェイムズの「Hard Time Killing Floor」のカバーと締めのトーキング・ブルース(語りブルース)の「R.L.'s Story」の解釈にこの彼の経験を生かしている。
  3. 彼の最初の結婚については、彼に向けられる「ブルースっていったい何ですか?」といった質問の答えとして語る話の中に暗示されているようである。「夜遅くに家に着くと、家の前の車道で最初に出会うのが猫で、猫がこう言っているんだ。(上手に猫の声を真似して)『彼女はいない、彼女はいない』とね。そのとき君はブルースを得ている。もう、君の奥さんはいないのだから。」(出典: New York Magazine. (1995-09-11). p. 94. ISSN 0028-7369.; 『A Ass Pocket Of Whiskey』(1996年)収録曲「Have You Ever Been Lonely」と冒頭曲「You See Me Laughin'」でも似たストーリーが語られている。
  4. 彼はこの事件についてこう語っている。「人を殺すつもりはなかったんだよ。ただ、あのクソ野郎の頭と胸を二発撃とうとしただけだ。彼の死は彼と神の間の問題だったんだ[28]。」
  5. エヴァンズは更なる詳細を明らかにしている:Chris Nelson (1997年8月2日). “Classic R.L. Burnside 'House Party' Style Recordings Reissued”. MTV News. オリジナルの2015年6月21日時点におけるアーカイブ。 2015年6月17日閲覧。 ミシシッピ・ブルース委員会による追加情報源は次のURLにあり:Tate County Blues”. Mississippi Blues Trail. 2026年2月20日閲覧。
  6. 26分ほどのこの映像には「You See Me Laughin'」などの楽曲が含まれている。バーンサイドはファルコがギタリストに成る上で重要な役割を果たしている[40]。ファルコのバンド、タヴ・ファルコズ・パンサー・バーンズは1981年のアルバム『Behind The Magnolia Curtain』で「Snake Drive」を取り上げており、バーンサイドの自作曲をカバーしたケースとしては初であると思われる[41][42]。バンド・メンバーのロレット・ヴェルヴェットは、彼女のソロ作の中でその他の曲をカバーしている。
  7. 2010年にDVDとアラン・ローマックス・アーカイヴのYouTubeチャンネルでリリースされている:プレイリスト
  8. バーンサイドによると、「彼らはロックンロールとディスコもできたよ」とのことである[10]
  9. クラックブームによって多くのジョイントが放置されてしまったときの状況に似ている[12][52]
  10. ヒップホップの観点から見ると、ファット・ポッサムの活動はブルースを取り入れた最初のものの一つではあったものの、結局は若い世代のジャンルの状況を変えるほどのインパクトにはつながらなかった[81]。明らかな前兆の一つはリトル・アックスの『The Wolf That House Built』に見られる[82]。他クリス・トーマス・キングにもその影響は感じられる。
  11. インタビューの中で、ファット・ポッサムのワトソンとジョンソンは、バーンサイドがレーベルのベストセラーであり、商業的にあまり確実でないプロジェクトに資金を提供し、新しいアーティストと契約することを可能にしたと述べている。[28][54][31][86]
  12. バーンサイドはファイフ&ドラム・ミュージックをボーカルで模倣している。「You See Me Laughin'」(映像出演の項目参照、min. 25:55ff.

脚注

  1. 1 2 Richard Skelly. R.L. Burnside”. AllMusic. 2026年2月19日閲覧。
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