フランシスコ・マヌエル・ブランコとは? わかりやすく解説

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フランシスコ・マヌエル・ブランコ

(Manuel Blanco Ramos から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/20 16:54 UTC 版)

フランシスコ・マヌエル・ブランコ

フランシスコ・マヌエル・ブランコFrancisco Manuel Blanco1778年 - 1845年)はスペイン修道士植物学者である。フィリピンで伝道を行い、フィリピンの植物についての著書で知られる。

生涯

レオン地方スペイン語版(今日のカスティーリャ・イ・レオン州)のナビアーノス・デ・アルバスペイン語版(自治体オルミージョス・デ・カストロスペイン語版内の集落)で生まれた。聖アウグスティヌス修道院の修道士であった。フィリピン、ルソン島ブラカン州のAngatに赴任し、その後フィリピン各地で伝道した。最終的にはマニラで修道士の代表となった。マニラで没した。

ブランコは最初のフィリピンの植物の包括的な著作『フィリピンの植物』(Flora de Filipinas. Según el sistema de Linneo)を著した。1837年と1845年に刊行された最初の2版は図版がつけられなかったが、Celestine Fernandez Villar (1838-1907)らによって、フィリピンの植物画家、レジノ・ガルシア(Regino Garcia)らが描いた図版をつけられた版がブランコの死後の1877年から1883年にかけて出版された。

カール・ルートヴィヒ・ブルームによって、ハエモドルム科の種、Blancoaに献名された。

『フィリピンの植物』の画像




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