Harry Sindenとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Harry Sindenの意味・解説 

ハリー・シンデン

(Harry Sinden から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 05:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
獲得メダル
男子アイスホッケー
カナダ
オリンピック
1960 スコーバレー 男子
アイスホッケー世界選手権
1958 オスロ 男子

ハリー・シンデン(Harry Sinden, 1932年9月14日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州キングストン出身の元プロアイスホッケー選手、指導者。ポジションはディフェンスマン

NHLボストン・ブルーインズゼネラルマネージャー、コーチ、球団社長などを長年務めた。1972年のサミット・シリーズではカナダ代表を率いた。1983年にホッケーの殿堂入りを果たした。

経歴

選手時代

Toronto Marlboro bantamsでプレーした後、オンタリオ・ホッケー協会英語版(OHA)のオシャワ・ジェネラルズ英語版のジュニアチームに入った[1]。1949年から1953年までジェネラルズのシニアチームでプレーした後、同じOHAのホイットビー・ダンロップス英語版で6シーズンプレーした。1957年にはチームキャプテンとしてアラン・カップ英語版(カナダのアマチュアチャンピオンに与えられるトロフィー)獲得に貢献した。アイスホッケーカナダ代表(当時の国際大会にはプロは参加できずカナダ代表はアマチュアクラブチームのチャンピオンで結成された。)として1958年のアイスホッケー世界選手権で優勝、1960年のスコーバレーオリンピックにもKitchener-Waterloo Dutchmenを中心としたチームにダンロップスから加わり、銀メダルを獲得した[2]

キャリア晩年、モントリオール・カナディアンズが彼を獲得する交渉をしてきたが両者は合意に至らずイースタン・プロフェッショナル・ホッケーリーグ英語版ハル=オタワ・カナディアンズ英語版でプレーした。その後ボストン・ブルーインズゼネラルマネージャーリン・パトリックと出会い、選手兼任コーチとしてブルーインズの下部チームのキングストン・フロンテナクスで1960-61シーズンよりプレーした。彼は1961-62シーズンのオールスターファーストチームに選ばれ1962-63シーズンのMVPとなった。その後リーグが消滅しチームはセントラル・ホッケーリーグ英語版所属のミネアポリス・ブルーインズ英語版となったが引き続き彼は選手兼任コーチを務め、2シーズン後に再度チームが移転しオクラホマシティ・ブレイザーズ英語版でもプレーし1956-66シーズンを最後に現役を引退した。この年彼はチームをリーグチャンピオンシップまで導いた。

NHLコーチ

1966年5月にボストン・ブルーインズのヘッドコーチに当時NHL最年少の33歳で就任した。ボビー・オアの存在もあったが就任1年目はNHL最低の成績でプレーオフを逃した。2年目チームはシカゴ・ブラックホークスからフィル・エスポジトを獲得、3シーズン目には100ポイントを超えトップのモントリオール・カナディアンズに次ぐ位置までチームを引き上げた。そして4シーズン目の1969-70シーズン、彼はチーム創設29シーズン目で初のスタンレー・カップ優勝を果たした。

引退とサミット・シリーズ

こうした成功を修めたもののチームと彼の間はぎくしゃくしており優勝後彼はチームを離れることを発表した。これに対してチームはvoluntary retired listに入れて1年間は他のチームを指揮することができないようにした。1970年10月彼はスポーツ・イラストレイテッド上でブルーインズを離れたのはチームがシーズン半ばに彼の翌年の年俸アップを拒否したからだと述べている。

1972年初めにニューヨーク・アイランダーズからヘッドコーチのオファーがあったが、これを断りトロント・メープルリーフスセントルイス・ブルースからのオファーも同様に断った。同年6月、カナダとソビエト連邦の間で行われることとなったサミット・シリーズのヘッドコーチに就任した。8戦にわたるシリーズは最終戦の残り34秒でポール・ヘンダーソンが決勝ゴールをあげて4勝3敗1分でカナダの勝利となった。またかつてブルーインズで指導したエスポジトがシリーズの得点王となった[3]

ボストン・ブルーインズへの復帰

サミット・シリーズ終了後、ゼネラルマネージャーとしてボストン・ブルーインズに復帰し28年間に渡り同職を務めた。これはチームの初代ゼネラルマネージャーであるアート・ロス(1924年から1954年までの30年間)に次ぐ長期間となった。ゼネラルマネージャー退任後も球団社長として2006年までチームに残った。GMの間、チームは30年間プレーオフに連続出場したがこれは北米4大プロスポーツリーグトップの記録である。ファイナルに1974年、1977年、1978年、1988年、1990年と5回出場し、1983年、1990年と2回レギュラーシーズン最高勝率を修めた。

1996-97シーズンのオタワ・セネターズとの試合ではビデオリプレイオフィシャルに対して暴言をはいて5,000ドルの罰金を受けた[4]。1999年には29得点をあげたドミトリ・クリスティッチ英語版との年俸調停を拒否した。これはクリスティッチのプレーオフでのパフォーマンスに対して代理人の要求する280万ドルが高すぎると考えたためであった[3]

その後はブルーインズオーナーへのアドバイサー[5]ホッケーの殿堂選考委員などを務めている。

人物

トラジカリー・ヒップ英語版のリーダー、ゴードン・ダウニー英語版代父母となっている。

1972年サミット・シリーズをもとにしたテレビシリーズのCanada Russia '72ではブース・サベージ英語版が彼を演じている[6]

著書

  • 『Hockey Showdown』[7]1972年

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ ONE ON ONE WITH HARRY SINDEN”. ホッケーの殿堂. 2011年6月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年12月19日閲覧。
  2. ^ ハリー・シンデン”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2010年12月18日閲覧。
  3. ^ a b Honoured Builder”. legendsofhockey.net. 2010年12月19日閲覧。
  4. ^ Outburst Costs Sinden”. ニューヨーク・タイムズ (1997年1月31日). 2010年12月19日閲覧。
  5. ^ Harry Sinden moves into new role”. ボストン・ブルーインズ (2006年8月9日). 2010年12月19日閲覧。
  6. ^ Canada Russia '72”. インターネット・ムービー・データベース. 2010年12月19日閲覧。
  7. ^ サミット・シリーズ当時彼がテープレコーダーで記録した日記を後に書籍化したもの。

外部リンク

先代:
ミルト・シュミット
ボストン・ブルーインズ
ヘッドコーチ

1966–1970
次代:
トム・ジョンソン
先代:
フレッド・クレイトン
ボストン・ブルーインズ
ヘッドコーチ

1979–1980
次代:
ジェリー・チーバーズ
先代:
ジェリー・チーバーズ
ボストン・ブルーインズ
ヘッドコーチ

1984–85
次代:
ブッチ・ゴーリング
先代:
ミルト・シュミット
ボストン・ブルーインズ
ゼネラルマネージャー

1972–2000
次代:
マイク・オコネル

「Harry Sinden」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Harry Sinden」の関連用語

Harry Sindenのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Harry Sindenのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハリー・シンデン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS