エイノ・パヌラ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:26 UTC 版)
エイノ・パヌラ(Eino Viljami Panula, 1911年3月10日 - 1912年4月15日)は、フィンランド生まれのタイタニック号乗客である[1]。彼は生後13ヶ月のときに、母親や兄たちなどとともに父親の待つアメリカ合衆国へ移住するためにタイタニック号に乗船した[1][2]。4月15日にタイタニック号は事故に遭い、エイノを含む一行全員が死亡した[1]。エイノは2002年に行われた鑑定において、タイタニック号の犠牲者の1人である「身元不明児」(The unknown child)と同定されたが、2007年の再鑑定によって否定されている[1][3][4]。
注釈
- ^ 上から順に、長男ユーホ(Juho Eemeli Juhonpoikar Panula、1892年10月23日 - 1892年12月23日)、次男エルネスティ(Ernesti Arvid Juhonpoika Panula、1895年5月18日生、事故当時16歳)、三男ヤーッコ(Jaakko Arnold Juhonpoika Panula、1897年2月8日生、事故当時15歳)、長女エンマ(Emma Iita Juhontytar Panula、1901年2月24日- 1910年4月8日溺死)、次女リティア(Lyytia Juhontytar Panula、1902年6月17日 - 1902年12月23日)、 四男ユハ(Juha Niilo Juhonpoika Panula、1904年9月1日生、事故当時7歳)、五男ウルホ(Urho Aaprhami (Abrahm) Juhonpoika Panula、1909年9月25日生、事故当時2歳)六男で末子のエイノである。
- ^ エンサイクロペディア・タイタニカでは、スザンナはおそらくパヌラ家でメイドとして働くために同行したものと推定している。
- ^ 1等と2等の乗客の子供たちで、唯一犠牲となったのは父母(この事故でともに死去)と弟、使用人4名(運転手の男性は死去、メイド・乳母・コックの3女性は生還)とともに乗船していた1等乗客のローレン・アリソン(Helen Loraine Allison、1909年6月5日生、事故当時2歳)である。ローレンは母ベッシー(Bessie Waldo Allison、1886年11月14日生、事故当時25歳)のそばから離れようとしなかったために、事故の犠牲者となった。弟のトレヴァー(Hudson Trevor Allison、1911年5月7日生、事故当時11か月)はアリソン家の乳母に救出されて一家の中で唯一事故を生き延びたが、1929年8月に18歳で死去している。
- ^ ウォルター・ロードは、著書『タイタニック号の最期』(en:A Night to Remember (book))で3等乗客の子供について「乗船者76名のうち生存者23名」としている。
- ^ Encyclopedia Titanicaが「身元不明児」である可能性に言及したのは、スウェーデン出身のGilbert Sigvard Emanuel Danbom(事故当時生後5か月)、イングランド出身のアルバート・ピーコック(Albert Peacock、事故当時生後7か月)とシドニー・レスリー・グッドウィン(Sidney Leslie Goodwin、事故当時生後19か月)、アイルランド出身のユージン・ライス(Eugene Rice、事故当時2歳)、そして生後13か月のエイノ・パヌラであった。
- ^ ヨースタ・レナード・ポールションは母及び姉2人、兄1人とともにサウサンプトンからタイタニック号の3等に乗船した。ポールション一家は全員が事故の犠牲となり、そのうち遺体が確認されたのは母のアルマ(Alma Cornelia Pålsson、事故当時29歳)のみであった。
- ^ ダニエル・アレン・バトラーは、1991年にタイタニック号研究家のグループが身元不明だった若い女性の死者をフィンランド出身の女性ウェンドラ・ヘイニネン(Wendla Maria Heininen、1889年生、事故当時23歳)と確定したのを始めとして、他にも数名の身元を確定したと記述している。
出典
- ^ a b c d e Eino Viljam Panula Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n Maija Emelia Abrahamintytar Panula Encyclopedia Titanica 2014年3月1日閲覧。(英語)
- ^ a b c Titanic's Unknown Child Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ a b c Titanic baby given new identity BBC News 2007年8月1日、2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ a b c Susanna Juhantytär Riihivuori Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ a b c ロード、57-58頁。
- ^ Ernesti Arvid Panula Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ Jaako Arnold Panula Encyclopedia Titanica 2014年3月1日閲覧。(英語)
- ^ Juha Niilo Panula Encyclopedia Titanica 2014年3月1日閲覧。(英語)
- ^ Urho Abraham Panula Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ a b c d e f g h i Anna Sofia Turja Encyclopedia Titanica 2014年3月1日閲覧。(英語)
- ^ a b 高島、168頁。
- ^ a b c d e バトラー、334-340頁。
- ^ a b c d e f g h バトラー、341-346頁。
- ^ a b c Description of recovered bodies Encyclopedia Titanica 2014年3月1日閲覧。(英語)
- ^ ロード、84-85頁。
- ^ ロード、112-113頁。
- ^ a b ロード、146-147頁。
- ^ 高島、134-135頁。
- ^ Margaret Rice (née Norton) Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ a b Sidney Leslie Goodwin Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ Gösta Leonard Pålsson Encyclopedia Titanica 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ バトラー、442頁。
- ^ Titanic's baby victim identified BBC News 2002年11月7日、2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ Eino Viljami Panula Find a Grave 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ Who was this child? Why was he in the news in 2002, almost a century after he perished? FORENSIC GENEALOGY 2014年3月10日閲覧。(英語)
- ^ Sidney Leslie Goodwin Find A Grave 2014年3月10日閲覧。(英語)
- 1 エイノ・パヌラとは
- 2 エイノ・パヌラの概要
- 3 参考文献
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