エディリシンゲ・セナナヤケとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 軍人・武士 > 軍人・軍事関係者 > スリランカの軍人 > エディリシンゲ・セナナヤケの意味・解説 

エディリシンゲ・セナナヤケ

(E・M・セナナヤケ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/21 07:46 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

エディリシンゲ・ムディヤンセラゲ "E. M." セナナヤケ(Edirisinghe Mudiyanselage "E. M." Senanayake1970年2月14日 - )は、スリランカの軍人(軍曹)、射撃選手。中部州キャンディのウドゥドゥンバラ近くの僻村ハンダナパワの中流階級の家出身[1]。1998年に結婚しており、2人の息子がいる[2]

経歴

学生時代はMorayaya Sangabodhi Vidyalayaへと通っていたが射撃は行っておらず、短距離走りや高跳びを行っていたと。勉強もスポーツもそれほど得意ではなかったが、軍に入りたいという意志は強く持っていた。軍の入隊時には彼の家族は強く反対したものの、彼の強い意志に負け入隊を認めた[1]

1990年3月23日より軍のトレーニングセンターで訓練を受けた。1990年6月6日よりスリランカシンハ連隊 (Sri Lanka Sinha Regimentに所属し、7年間軍の戦前でたたかった。その後はコロンボへと戻り、軍の射撃学校へと入団した。このとき彼の才能を見出したダヤ・ラジャシンゲ大佐 (Nadeeka Lakmali1988年ソウルオリンピックに射撃競技の代表として出場している[1]

国内選手権では1999年、2001年から2007年の8回の優勝を誇っており50mのフリーとエアピストルの国内記録も保持している[1]。2006年にはオーストラリアメルボルンで開催された2006年コモンウェルスゲームズに出場した[2]

2008年には北京オリンピックへの出場が決まり、スリランカとしては5人目のオリンピック射撃選手で初のピストル競技に出場する選手となった。北京オリンピックには軍からは2人の選手が出場しており、もう1人はやり投げのナディーカ・ラクマリ (Nadeeka Lakmaliであった[1]。競技では男子10mエアライフルで47位、50mのエアライフルでは35位に終わった。

出典

  1. ^ a b c d e SENANAYAKE”. nation.lk (2008年8月3日). 2010年1月1日閲覧。
  2. ^ a b Shooting with passion”. Sundayobserver.lk (2008年12月14日). 2010年1月1日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エディリシンゲ・セナナヤケ」の関連用語

エディリシンゲ・セナナヤケのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エディリシンゲ・セナナヤケのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエディリシンゲ・セナナヤケ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS