ヒ71船団
(Convoy Hi-71 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/15 22:03 UTC 版)
ヒ71船団(ヒ71せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年8月-9月に日本からシンガポールへ航海した日本の護送船団である。高速タンカー中心の優秀輸送船20隻を空母を含む艦隊で護衛した、日本としては最大級の護送船団であったが、アメリカ海軍潜水艦の襲撃で大損害を出した。日本側の死者は乗船中の陸軍将兵ら約8000人に上った。
- ^ ヒ20船団など欠航となった便があるため、実際の運航順は通算71番目や往路36番目ではない。
- ^ 第二水雷戦隊・第32駆逐隊の藤波はタンカー旭東丸の護衛を兼ね、リンガ泊地進出を命じられていた[11]。
- ^ 大井篤は第39号駆潜艇も護衛に加わっていたとするが[12]、同艇は1944年2月16日にすでに戦没している[13]
- ^ 戦史叢書によれば、分離した輸送船は5隻で、代わりに別の1隻が加入した[9]。
- ^ 帝洋丸撃沈はラッシャーによるものになっているが(#Roscoep.547)、ラッシャーは当時魚雷を撃ちつくしており、また当該時刻に対敵行動をとっていない(#SS-269, USS RASHER_Part1p.298-299、#駒宮p.227-228)。帝洋丸の被雷時刻と、ブルーフィッシュが「2番目のタンカー」を攻撃していた時刻が近いことから、帝洋丸はブルーフィッシュの戦果と思われる(#SS-222, USS BLUEFISH, Part 2p.26-29)。
- ^ 防衛庁防衛研修所戦史室(1971)、378頁。
- ^ 戦史叢書81巻24頁「四 緊急戦備の実施」
- ^ a b 戦史叢書81巻159-163頁「捷号作戦準備進捗綜合状況」
- ^ 戦史叢書81巻29-30頁「第十四軍の強化」
- ^ a b 戦史叢書41巻131-132頁『第二十六師団船団』
- ^ a b c d e f g h 岩重(2011)、90-91頁。
- ^ 大井、海上護衛戦 2014, pp. 323–324.
- ^ a b c 日本海防艦戦史 1994, p. 72.
- ^ a b c 防衛庁防衛研修所戦史室(1971)、384-385頁。
- ^ a b c d 特攻船団戦記141頁
- ^ 戦史叢書37 1970, pp. 386a-387第三十二駆逐隊
- ^ a b 大井、海上護衛戦 2014, p. 319.
- ^ 駒宮(1987)、22頁。
- ^ 海軍護衛艦物語 2009, pp. 263–265「大鷹」被雷沈没
- ^ 駒宮(1987)、225頁。
- ^ a b 特攻船団戦記142頁
- ^ a b c d 海軍護衛艦物語 2009, p. 264.
- ^ 特攻船団戦記143頁
- ^ a b c d 戦史叢書48巻194-195頁『挿表第二十一 船舶損耗一覧表(昭和十九年八月一日~二十八日)』
- ^ a b c The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
- ^ a b 陸軍運輸部残務整理部 『船舶輸送間に於ける遭難部隊資料(陸軍)』 1946年、アジア歴史資料センター Ref.C08050112500 画像29-31枚目。
- ^ a b 駒宮(1987)、226-227頁。
- ^ 護衛空母入門 2005, pp. 247–249「大鷹」
- ^ a b 特攻船団戦記145-146頁
- ^ 特攻船団戦記147、150頁
- ^ a b c 駒宮(1987)、228頁。
- ^ a b 特攻船団戦記156-157頁
- ^ a b 日本海防艦戦史 1994, p. 73.
- ^ 日本海防艦戦史 1994, pp. 74–75.
- ^ 大井、海上護衛戦 2014, p. 322.
- ^ 戦史叢書37 1970, p. 387.
- ^ 海軍護衛艦物語 2009, p. 265.
- ^ 戦史叢書81巻192-193頁「船舶損耗と作戦準備への影響」
- ^ 護衛空母入門 2005, p. 249.
- ^ a b 大内(2004)、339頁。
- ^ 戦史叢書48巻193頁
- ^ 戦史叢書48巻167頁
- 1 ヒ71船団とは
- 2 ヒ71船団の概要
- 3 結果と影響
- 4 船団の編制
- Convoy Hi-71のページへのリンク