Ben Taylor (Negro Leagues)とは? わかりやすく解説

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ベン・テイラー (1888年生の内野手)

(Ben Taylor (Negro Leagues) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/15 04:20 UTC 版)

ベン・テイラー
Ben Taylor
1915年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州アンダーソン
生年月日 1888年7月1日
没年月日 1953年1月24日(満64歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1908年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
  • バーミンガム・ジャイアンツ (1908 - 1909)
  • ウェストバーデン・スプラデルス (1910)
  • セントルイス・ジャイアンツ (1911 - 1912)
  • ニューヨーク・リンカーン・ジャイアンツ (1912)
  • ウェストバーデン・スプラデルス (1913)
  • シカゴ・アメリカン・ジャイアンツ (1913 - 1914)
  • インディアナポリス・ABCs (1914 - 1918)
  • ヒルデール・デイジーズ (1919)
  • ニューヨーク・バカラック・ジャイアンツ (1919)
  • インディアナポリス・ABCs (1920 - 1922)
  • ワシントン・ポトマックス (1923 - 1924)
  • ハリスバーグ・ジャイアンツ (1925)
  • ボルチモア・ブラックソックス (1926 - 1928)
  • アトランティックシティ・バカラック・ジャイアンツ (1929)
  • カリフォルニア・スターズ (1930)
  • シルバームーンズ (1931)
  • ワシントン・パイロッツ (1932)
  • ボルチモア・スターズ (1933)
  • ブルックリン・イーグルス (1935)
  • ウィンストン-セーラム・イーグルス (1938)
  • ワシントン・ブラック・セネタース (1938)
  • ワシントン・ロイヤルズ (1939)
  • ニューヨーク・キューバンズ (1940)
  • エッジウォーター・ジャイアンツ (1941)
監督歴
  • ワシントン・ポトマックス (1923 - 1924)
  • ボルチモア・ブラックソックス (1926 - 1928)
  • ワシントン・パイロッツ (1932)
  • ブルックリン・イーグルス (1935)
  • ワシントン・ブラック・セネタース (1938)
殿堂表彰者
選出年 2006年
選出方法 ニグロリーグ特別委員会による選出

ベンジャミン・ハリソン・テイラー(Benjamin Harrison Taylor, 1888年7月1日 - 1953年1月24日)は、1910〜1920年代にアメリカ合衆国ニグロリーグで活躍していた野球選手。主なポジションは一塁手サウスカロライナ州アンダーソン生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Old Reliable"(オールド・リライアブル)。

来歴・人物

兄がいずれもニグロリーグで活躍していた4人兄弟の末っ子で、プロ選手として試合に出始めたのは1908年である。最初は投手を務めていたが、後に一塁手に転向する。守備はすぐに上手くなったようで、難しいゴロを難なく捌くスムーズな守備を見せていたという。

主に活躍したのは、兄のC.I.テイラーが監督をしていたインディアナポリス・ABCsで、1914年から1922年まで在籍していた(1919年を除く)。この間の活躍としては、1915年のニグロリーグでの打率は.308で、その冬のキューバリーグでは打率.500を記録したこと、1916年のニグロ・ワールドシリーズで18打数11安打、3盗塁を記録したこと、また1921年に打率は.421を放ち、またリーグ最多となる106本の安打と19本の二塁打を放った事などが挙げられる。1922年シーズンは、C.I.テイラーの急死に伴い選手兼任監督をしていたが、この年の打率は.362だったという。

1923年、テイラーは自ら新たな野球チーム「ワシントン・ポトマックス」を創設、兄のジョニー・テイラーをコーチとして迎え入れイースタン・カラード・リーグに参加したりもした。ただ、ポトマックスでの経歴は短く、1925年にはハリスバーグ・ジャイアンツに移籍をしている。その後ボルチモア・ブラックソックスを経て1929年にはバカラック・ジャイアンツに移籍。テイラーは41歳になっていたが、バカラック・ジャイアンツで12試合に出場し.310の打率を残している。なお1930年代に入っても選手として試合に出場していたが、詳しい記録が残っていない。判明している選手としての通算打率は.333に及ぶという。

1940年以降は主にコーチとしてニグロリーグに関わっていた。その指導力も優れており、1970年代にアメリカ野球殿堂入りしたバック・レナードは、ホームステッド・グレイズ時代にテイラーの指導を受け、後に「黒いルー・ゲーリッグ」と呼ばれる名一塁手となる。1949年にフィラデルフィアの新聞社がニグロリーグの全ての時代のオールスターを選出した際、監修したオスカー・チャールストンはレナードを一塁手として選出している。

1953年にボルチモアにて死去。2006年にニグロリーグ特別委員会アメリカ野球殿堂入り選手に選出した。

記録・表彰等

  • ニグロリーグでの通算打率:.333

出典・外部リンク


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