Al-Mustanjidとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Al-Mustanjidの意味・解説 

ムスタンジド

(Al-Mustanjid から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 13:34 UTC 版)

ムスタンジド
يوسف المستنجد بالله
カリフ(アミール・アル=ムウミニーン)
在位 1160年 - 1170年

出生 1124年
死去 1170年12月20日
子女 ムスタディー
家名 アッバース家
王朝 アッバース朝
父親 ムクタフィー
宗教 イスラム教スンナ派
テンプレートを表示

ムスタンジド1124年 - 1170年12月20日)は、アッバース朝の第32代カリフ(在位:1160年 - 1170年)。

生涯

第31代カリフ・ムクタフィーの子。1160年、父の死で跡を継いだ。税の軽減と悪法の取り消しを行ったが、私領地の特権を廃してハラージュ地に戻したために、国内のシーア派から恨みを買った。1170年に難病にかかると、重臣たちのクーデターによって風呂場で絞殺された。

ムスタンジドの時代に2人の人間が宰相(ワズィール)を務めた。治世の前半は父の時代からのワズィール、イブン・フバイラに国政について諮り、父の代からの変わらぬ忠誠を称えた[1]。1165年にフバイラが没した後、ワーシトの監察官から宰相に抜擢したイブン・アルバラディーを重用した。政務の権限を委ねられたアルバラディーは強大な権力を持ったが、次代のムスタディーの即位に伴い処刑された。

脚注

  1. ^ イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳)、243-244頁

関連文献

  • 『岩波イスラーム辞典』(岩波書店、2002年2月) - アッバース朝の歴代カリフの系図が収録されている

参考文献

  • イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳、東洋文庫、平凡社、2004年9月)
先代
ムクタフィー
アッバース朝
1160年 - 1170年
次代
ムスタディー



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Al-Mustanjidのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Al-Mustanjidのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのムスタンジド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS