飯塚浩一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 01:59 UTC 版)
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名前 | ||||||
カタカナ | イイヅカ コウイチロウ | |||||
ラテン文字 | Iizuka Kouichiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() |
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生年月日 | 1990年6月15日(35歳) | |||||
身長 | 182cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-2008 | ![]() |
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2009-2012 | ![]() |
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クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2013 | ![]() |
10 | (1) | |||
2014 | ![]() |
6 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
飯塚 浩一郎(いいづか こういちろう、1990年6月15日 - )は、日本の元サッカー選手、現サッカー指導者。元シンガポール代表コーチ。選手時代のポジションはMF。
来歴
選手時代
小学生年代から柏レイソルのアカデミーに所属し、高校迄を過ごした。同期に酒井宏樹や指宿洋史、工藤壮人、武富孝介、島川俊郎、仙石廉等がいる黄金世代の一員であった。しかしトップチーム昇格はならず、立命館大学に進学した。大学でもレギュラーを掴み切る事は出来なかったが、一学年上の加藤恒平の影響を受けて海外でのプレーを志すこととなった[1]。
アルゼンチンのCNスポーツでのサッカー留学を経て、2013年にヴィルスリーガのFCダウガヴァに加入した。同年3月30日に初出場を記録した[2]。同年7月17日にはUEFAチャンピオンズリーグ予備予選にも出場した[3]。その後無所属となった。
2014年にOFKアカデミク・スヴィシュトフに加入したが、同年夏に退団した。帰国して柏U-15の練習に参加していたところで才能の差を感じて選手を引退した[1]。
指導者時代
選手引退後はそのまま柏レイソルU-15のアシスタントコーチに就任した。その後同U-18のアシスタントコーチを経て、2017年にU-15の監督に就任すると、同年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で準優勝を記録した。翌年迄柏の下部組織の指導を執った。
2020年にヤング・ライオンズのアシスタントコーチに就任した。2022年4月からは兼任で西ヶ谷隆之率いるシンガポール代表のアシスタントコーチ兼分析官も務めた[4]。双方ともに2023年末を以て退任した。
2024年に冨樫剛一率いる横浜F・マリノスユースのコーチに就任した。
所属クラブ
指導歴
- 2014年 - 2018年
柏レイソル
- 2014年 U-15 アシスタントコーチ
- 2015年 U-18 アシスタントコーチ
- 2016年 U-15 コーチ
- 2017年 - 2018年 U-15 監督
- 2020年 - 2023年
ヤング・ライオンズ アシスタントコーチ
- 2020年4月 - 2023年
シンガポール代表 アシスタントコーチ兼分析官
- 2024年 -
横浜F・マリノスユース コーチ
参考文献
- ^ a b “クラ選U-15で準優勝…柏U-15を率いるのはCL予選出場歴もある異色の指揮官”. サッカーダイジェスト (2017年8月25日). 2024年9月12日閲覧。
- ^ “Daugava Daugavpils vs. Daugava Rīga 0 - 0”. soccerway (2013年3月30日). 2024年9月12日閲覧。
- ^ “Elfsborg vs. Daugava Daugavpils 7 - 1”. soccerway (2013年7月17日). 2024年9月12日閲覧。
- ^ “シンガポールサッカー協会、男子代表(Lions)新監督に西ヶ谷隆之氏任命”. シンガポール新聞. 2024年9月12日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 飯塚浩一郎 - Soccerway.com
- 飯塚浩一郎 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 飯塚浩一郎 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 飯塚浩一郎 - playmakerstats.com
- 飯塚浩一郎のページへのリンク