長野通藤とは? わかりやすく解説

長野通藤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/08 01:07 UTC 版)

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長野通藤
時代 戦国時代
生誕 文明10年(1478年
死没 享禄3年6月6日1530年6月30日
改名 金吾(幼名)→通藤
戒名 智賢教恵居士
官位 尾張亮
氏族 長野工藤氏
父母 父:長野藤直
稙藤

長野 通藤(ながの みちふじ)は、戦国時代武士長野工藤氏13代当主。

略歴

文明10年(1478年)、12代当主・長野藤直の嫡男として誕生。

永正11年(1514年)、父の死去により家督を継いで13代当主となる。享禄3年(1530年)6月6日に死去。享年53。

跡を子・稙藤が継いだ。





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