長尾景弘
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長尾 景弘(ながお かげひろ)は、平安時代後期の武将。長尾氏の祖とされる。子に長尾定景、長尾為宗がいる。
系譜
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大日本野史巻の一百一十二・武臣列伝第二十・長尾景信(顕長)に記された景弘の系譜は以下の通り[1]。
本文では「鎮守府将軍良文曾孫景政。鎌倉権五郎と称す。景政後景弘」「(景弘は)初め相模長尾郷を領し、長尾二郎と称す。関東八平氏の一員と為る」と書いて、以下の説を紹介している。
藩翰譜および北条五代記では「鎌倉景政孫景弘」としている。宇佐美定祐記としては「村岡将軍忠道三子鎌倉四郎景村。景村子景明。長大庭景宗。次長尾景弘」としている。夏目定房記としては「良文五世村岡太郎景通嫡子鎌倉権五郎景政。景政五世景弘」としている。
家族
- 父:鎌倉景明
- 母:不明
- 子:長尾定景、長尾為宗
脚注
- ^ 『野史: 291巻首1巻目3巻』國文社、1881年、四十頁 。2021年11月4日閲覧。
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