金山弾薬犠牲者碑とは? わかりやすく解説

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金山弾薬犠牲者碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 14:01 UTC 版)

金山弾薬犠牲者碑(かなやまだんやくぎせいしゃひ)は、長崎県佐世保市東浜町にある1945年昭和20年)12月31日に発生した爆発事故の慰霊碑[1][2]。爆発事故が発生した施設の名称は「金山弾薬庫」とされてきたが、事故当時の現場付近の資料から「日宇火薬庫」であるとみられている[2]

事故

爆発事故は1945年(昭和20年)12月31日正午前に発生した[1][2]。事故の発生場所は佐世保市白岳町の旧海軍「金山弾薬庫」とされてきた[1]。しかし、「金山弾薬庫」という名称の施設は第二次世界大戦後の1955年(昭和30年)に海上自衛隊によって設置されたもので、1945年3月の現場周辺図面などから事故現場は大塔町付近にあった「日宇火薬庫」と考えられている[2]。事故後に米軍が記録したとみられる同日の写真には、英文で「廃棄のためにバージ(船)に積み込まれていた約240の日本の爆雷の暴発」とある[2]

この事故で東浜町の住民9人と米兵MP2人が亡くなった[1][2]。碑は2002年(平成14年)に建立された[2]

脚注

  1. ^ a b c d 筒井隆義. “敗戦の年大みそかの惨事”. 広報させぼ 2012.12(佐世保市). p. 31. 2023年12月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 「とにかくひどい光景」 佐世保・日宇火薬庫の爆発事故 米軍撮影の現場写真か”. 長崎新聞. 2023年12月13日閲覧。



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