視羆とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 視羆の意味・解説 

視羆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 04:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

視羆(しひ、368年? - 400年?)は、吐谷渾首長

生涯

視連の長男として生まれた。視連が死去すると、視羆が後を嗣いだ。その性格は英明果断で、非凡な計略を抱いていたとされる。視羆は秣馬厲兵を率いて中国と争いたいと博士の騫苞に相談したこともあった。西秦乞伏乾帰が使者を派遣して使持節・都督龍涸以西諸軍事・沙州牧に任じ、白蘭王に封じたが、視羆は受けなかった。乞伏乾帰の怒りを買い、398年に乞伏益州の攻撃を受けて大敗し、白蘭に撤退した。西秦に遣使して謝罪し、方物を貢献して、子の宕豈を人質として送った[1]。在位11年して死去した。享年は33。弟の烏紇提が後を嗣いだ。

子女

脚注

  1. ^ 晋書』乞伏乾帰載記

参考資料

先代:
視連
吐谷渾の首長
第6代:390年? - 400年?
次代:
烏紇提



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  視羆のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「視羆」の関連用語

1
12% |||||

2
12% |||||

3
4% |||||

視羆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



視羆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの視羆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS