衛猫児とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 衛猫児の意味・解説 

衛猫児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 09:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

衛 猫児(えい みょうじ、1116年 - 1127年)は、北宋欽宗の後宮に仕えた少女。

経歴

宮女として使令に任じられたが、夫人以上のには封じられていなかった。靖康2年(1127年)2月時点で満年齢11歳ないし12歳であり[1]、欽宗に仕える女性の中で最年少だった。

靖康の変において開封陥落後、靖康2年2月7日に徽宗軍の軍基地とされた青城[2]に連行されると、妃嬪や衛猫児らの宮女も同じく青城に拉致された。多くの女性が青城で性的暴行された。衛猫児は12歳になるかならないかという幼さであったにもかかわらず、金の兵士たちは慈悲を懇願する衛猫児を輪姦した。その後、絶望した衛猫児は頸動脈を切って自害している。

同じく6人の宮女の曹妙婉・卜女孟・席進士・程巧・兪玩月・黄勤らは溺死(入水自殺、あるいは事故死)した。

伝記資料

  • 『靖康稗史箋證』
  • 『宋史』

脚注

  1. ^ 『開封府状』によれば「衛使令十三歳。名猫児。」
  2. ^ すでに衛猫児の主人である欽宗は青城に拘束されていた。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「衛猫児」の関連用語

1
8% |||||

2
6% |||||

衛猫児のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



衛猫児のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの衛猫児 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS