耶律和尚とは? わかりやすく解説

耶律和尚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 03:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

耶律和尚(やりつ かしょう、生没年不詳)は、(契丹)の興宗の寵臣。は特抹。

経歴

季父房の末裔。滑稽を得意とした。重熙初年、祗候郎君に補任された。興宗は親族を重用したが、中でも和尚をもっとも寵愛した。和尚は宴席のたびに興宗のそばにいたが、冗談であっても一言の誤りもなく、このためますます興宗に重んじられた。積慶宮使・永興宮使を歴任し、同知南院宣徽使事・南面林牙に累進した。重熙16年(1047年)、懐化軍節度使として出向したが、まもなく御史大夫として召還された。

重熙23年(1054年)、天平軍節度使・検校太師の位を加えられた。重熙24年(1055年)、中京路按問使に転じた。後に死去した。

和尚はたびたび親友のために財産を分け与えて、みなに親しまれ重んじられた。しかし酒におぼれて仕事はしなかったので、仕事を任されることはなかった。ある人が深酒をいさめると、和尚は「わたしは酒の害を知らないではないが、人生をかえりみると風燈石火のようなものであり、どうして飲まないでいられよう」と答えた。晩年は酒への耽溺がひどくなり、当時の人に「酒仙」と称された。

伝記資料





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耶律和尚」の関連用語

1
6% |||||

耶律和尚のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耶律和尚のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耶律和尚 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS