相原祐弥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 12:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動相原 祐弥(あいはら すけや、元治元年11月4日[1](1864年12月2日) - 没年不詳)は、日本の裁判官。
経歴
宮城県仙台市出身[1]。小野祐治の二男として生まれ、相原安治の養子となった[2]。1891年(明治24年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補となる[1]。秋田地方裁判所判事、前橋地方裁判所判事、東京地方裁判所、東京控訴院判事、東京控訴院部長、名古屋控訴院部長を歴任した[1]。
大審院判事を務めた後、台湾総督府法院判官に転じ、高等法院長に就任した[2]。
脚注
- ^ a b c d 帝国法曹大観 1915, p. 81.
- ^ a b 人事興信録 1928.
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。
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