由利聖子とは? わかりやすく解説

由利聖子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 00:37 UTC 版)

由利 聖子(ゆり せいこ、1911年7月8日 - 1943年2月[1])は、日本の児童文学作家。本名、鈴木 富美子[2]

略歴

1929年(昭和4年)、東京府立第三高等女学校卒業。第三高女在学中から少女向け雑誌「少女の友」に投稿する。1932年(昭和7年)頃から同誌に短編を発表。また、ミス・マミコのペンネームで「少女画報」誌に作品を発表。

「少女の友」の姉妹誌「新女苑」では丘 文子のペンネームを使用した。

作品

『チビ君物語』(1939年)表紙絵河目悌二

〇長編作品

『モダン小公女』……「少女画報」1934年1月~12月連載

 新泉社 1935年 戦後版は偕成社1948年

『チビ君物語』……「少女の友」 1934年12月~ 1936年12月連載。単発あり。

 実業之日本社 正編1939年 続編1941年

 戦後版は東和社1948年 続編は『小さいお母さん』と改称。

『わんぱく大将』……「少女画報」1935年1月~12月 未刊行

『エンマ帖物語』……「少女画報」1936年1月~12月 未刊行

『オテンバ日記』……「少女画報」1937年1月~12月 未刊行

『仔猫ルイの報告書』……「少女の友」1937年1月~12月

 教材社 1940年 戦後版は新浪漫社浅田書店 1948年

『蚊トンボ先生』……「少女画報」1937年1月~6月 未刊行

『青空娘』……「少女画報」1937年7月~? 未刊行

『あまのじゃく合戦』……「少女の友」1938年1月~12月

 実業之日本社『少女三銃士』のタイトルで 1941年 戦後版は偕成社 1948年 

『次女日記』……「少女の友」1939年1月~12月

 東和社 1947年

『職場るぽるたぁじゅ』……「少女画報」1939年8月~1940年1月 未刊行

『小さい先生』……「少女の友」1940年1月~12月

 実業之日本社 1942年 戦後版は東和社 1949年

『女学生日記』……「少女画報」4月、6月~10月 未刊行

『我が家の合唱』……「少女倶楽部」昭和16年1~12月

 実業之日本社『ほがらか回覧板』の名で1941年、戦後版は新浪漫社浅田書店『ほがらか日記』1948年

『蕾物語』……「少女の友」1941年1月~12月

 実業之日本社 1942年のちゆまに書房より復刻

『3階の娘たち』……「少女画報」1941年8月~11月、1942年1~2月 未刊行

脚注

  1. ^ 遠藤寛子 『『少女の友』とその時代 - 編集者の勇気 内山基』 本の泉社、2004年、73頁。
  2. ^ 『『少女の友』とその時代』、70頁。

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