由利聖子
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由利 聖子(ゆり せいこ、1911年7月8日 - 1943年2月[1])は、日本の児童文学作家。本名、鈴木 富美子[2]。
略歴
1929年(昭和4年)、東京府立第三高等女学校卒業。第三高女在学中から少女向け雑誌「少女の友」に投稿する。1932年(昭和7年)頃から同誌に短編を発表。また、ミス・マミコのペンネームで「少女画報」誌に作品を発表。
「少女の友」の姉妹誌「新女苑」では丘 文子のペンネームを使用した。
作品

〇長編作品
『モダン小公女』……「少女画報」1934年1月~12月連載
新泉社 1935年 戦後版は偕成社1948年
『チビ君物語』……「少女の友」 1934年12月~ 1936年12月連載。単発あり。
実業之日本社 正編1939年 続編1941年
戦後版は東和社1948年 続編は『小さいお母さん』と改称。
『わんぱく大将』……「少女画報」1935年1月~12月 未刊行
『エンマ帖物語』……「少女画報」1936年1月~12月 未刊行
『オテンバ日記』……「少女画報」1937年1月~12月 未刊行
『仔猫ルイの報告書』……「少女の友」1937年1月~12月
教材社 1940年 戦後版は新浪漫社浅田書店 1948年
『蚊トンボ先生』……「少女画報」1937年1月~6月 未刊行
『青空娘』……「少女画報」1937年7月~? 未刊行
『あまのじゃく合戦』……「少女の友」1938年1月~12月
実業之日本社『少女三銃士』のタイトルで 1941年 戦後版は偕成社 1948年
『次女日記』……「少女の友」1939年1月~12月
東和社 1947年
『職場るぽるたぁじゅ』……「少女画報」1939年8月~1940年1月 未刊行
『小さい先生』……「少女の友」1940年1月~12月
実業之日本社 1942年 戦後版は東和社 1949年
『女学生日記』……「少女画報」4月、6月~10月 未刊行
『我が家の合唱』……「少女倶楽部」昭和16年1~12月
実業之日本社『ほがらか回覧板』の名で1941年、戦後版は新浪漫社浅田書店『ほがらか日記』1948年
『蕾物語』……「少女の友」1941年1月~12月
実業之日本社 1942年のちゆまに書房より復刻
『3階の娘たち』……「少女画報」1941年8月~11月、1942年1~2月 未刊行
脚注
関連項目
固有名詞の分類
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